末光道正のブログ  八尾から日本の政治を変えよう

労働者・市民・学生の団結を強めるコーナーです

熱気あふれる10・17関西国鉄集会かちとる

2014-10-19 06:55:08 | 国鉄全国運動

■熱気あふれる10・17関西国鉄集会かちとる
八尾北医療センター労働組合ブログ 2014年10月18日

 関西国鉄集会は、大阪市の港区民センターに350名が結集し、戦闘意欲あふれる集会としてかちとられました。

◆ 国鉄闘争全国運動関西準備会を代表し、国労近畿地本の富田益行さんが基調報告を提起しました。
 本日をもって「準備会」をはずし、国鉄闘争全国運動関西として闘うことを明らかにし、
 ① 1047名解雇撤回闘争勝利-10万人署名を貫徹しよう。
 ② JR体制打倒ー動労総連合を全国につくろう。
 ③ 戦争・改憲、民営化反対! 階級的労働運動の拠点労組を作ろう!
 ④ 国鉄闘争全国運動は、新たな産別労運動、新たな労働組合の地域共闘、階級的労動運動の全国的台頭を果たそう。
 と実践方針を鮮明に打ち出しました。

◆ 八尾北医療センター労働組合も登壇し発言しました。
 家族と西郡支部の参加とともに、高槻の植木団地労働組合の仲間が大挙結集していることを紹介し、大きな拍手と激励が湧き起こりました。
 みなさん! ともに国鉄決戦に勝利し、11・2の1万人結集を実現のために、残り20日間を全力で組織戦に入りましょう。


10・17国鉄集会基調報告 

(1)国鉄闘争全国運動関西を本格的に立ち上げ、戦争・改憲、民営化・非正規職と闘う階級的労動運動をつくりだそう。

まず第1に訴えたいことは、本日の集会をもって、国鉄闘争全国運動関西を本格的に立ち上げ、戦争・改憲、民営化・労組破壊と闘い、これらを打ち破る階級的労動運動を、全国の仲間と団結してつくりだそうということです。
7・1安倍政権の集団的自衛権閣議決定と、これと一体となった民営化・非正規化・規制緩和攻撃は、労動運動を根絶する大攻撃です。
象徴的事態として、国労の8月全国大会で自ら全国単一体を解体し、各社バラバラにする、つまり、国労解散・連合移行を組織決定するということがおこっています。
この既成労組の解体情勢をどうみるのか。この情勢は、新たな闘いが生まれる情勢です。日本の労働者階級が連合や全労連の既成の労動運動を乗り越えて「生きさせろ!」の嵐のような決起が巻き起こる新しい時代の始まりです。
私たち 国鉄闘争全国運動・関西は、国鉄1047名解雇撤回闘争において、2010年4月9日、国労が「解雇撤回なき、和解」で終息したことを乗り越えて、2010年10月に結成しました。
以来、4年の討議を重ねてきました。全国金属機械・港合同、関西地区生コン支部、動労千葉の3労組共闘のうち、関西の港合同と関生支部の2つの労働組合を柱にして、動労総連合・動労西日本を切っ先にして、関西の労動運動を階級的に塗り替えていく闘いに打って出ていくことを宣言したいと思います。
3労組が呼びかける11・2全国労働者総決起集会に結集し、全国・全世界の労働者と団結し、新自由主義を打ち倒し、労働者が社会の主人公になる世界をつくろう!

(2)国鉄分割民営化が一切の始まりだった。
3労組共闘は、労働組合の存亡を賭けた闘いとして始まった。
振り返って、1981年暮れから、政府・マスコミ・裁判所という国家権力・総がかりによる国鉄労働者に対する攻撃が始まりました。当時の労働組合のナショナルセンターである総評の中心をなす国鉄労動運動を壊滅させる、まさに国家的不当労働行為として強行されたのです。国労や動労千葉を根絶やしにしようとしたのです。解雇された1047名はその生き証人でした。
3労組共闘は、労働組合根絶攻撃であった国鉄分割民営化による1047名解雇撤回闘争に対する、1998年5月28日の東京地裁反動判決を契機に始まりました。
それは、国家権力による解雇が正当だ、という反動判決を許すならば、日本の全ての労働組合は一掃されてしまうという共通する危機感からでした。
「こうした無茶苦茶な労働組合破壊がまかり通るなら労働者は生きていくことはできない」と3労組共闘が発足し、以降、毎年の11月集会が開催され、闘う労働組合が次々とつくりだされ、日米韓の国際連帯闘争として発展してきたのです。

ここで、あらためて国鉄分割民営化攻撃とはなんだったかを明らかにしなければなりません。
1980年前後、世界的規模で、新自由主義による労働者階級への大攻撃が始まりました。それまでの資本の支配のやり方が、完全に行き詰まったからです。「労働組合の存在を前提にする支配体制では、やっていくことはできない。労働組合を絶滅一掃して、資本が好き放題にできるやり方に転換するしかない」と労働者に襲いかかってきたのです。
アメリカではレーガンが、自分を支持する数少ない労働組合である航空管制官組合PATC0でストライキに立ち上がった労働者1万3千名を全員解雇し、イギリスではサッチャーが、最強と言われたスカーギル委員長率いる炭鉱労働者の1年間に及ぶストライキを叩き潰し、日本では中曽根が、国鉄労働者に対する、国家をあげた攻撃に打って出てきたのです。
新自由主義への世界的歴史的大転換でした。
中曽根は、国鉄分割民営化を「戦後政治の総決算」(新たな戦争を準備する)と位置づけ、「国労を潰し総評を潰して立派な憲法を安置することを自覚してやった」と1996年に公言しています。まさにそれは国家的不当労働行為、国家による国鉄労働者への襲撃でした。40万国鉄労働者を半分にする20万首切り攻撃でした。
まず81年11月末からマスコミを総動員した「ヤミ・カラキャンペーン」から始まり、「国鉄赤字は国鉄労働者が働かないから」という「国鉄労働者は国賊」論のデマが圧倒的物量で流され「カラスの鳴かない日はあってもヤミカラのない日はない」とまで言われました。
続いて「不当な労使慣行」として、国鉄労働者が首をかけた闘いで勝ち取ってきた諸権利の剥奪が強行されました。国鉄当局による職場支配略奪が、有無を言わさず強行されたのです。
国労・動労千葉などへの労組破壊は、熾烈を極めました。国鉄分割民営化に反対する労組に所属する組合員は、全国1400箇所の「人材活用センター」送りにされ、来る日も来る日も草むしりや竹細工など苦役に従事させられ、いじめ抜かれました。現在の「追い出し部屋」の走りです。
政府は国鉄改革法を国会で成立させ、国鉄当局は、「職員管理調書」を作成して、国鉄分割民営化に反対する組合に所属する労働者は最低評価になる仕組みを作り、新会社(JR)から弾こうとしたのです。国労や動労千葉にいたら新会社にいけないと国鉄当局は、総力をあげた組合破壊を繰り広げ、20万にいた国労は3万人にまで激減させられたのです。そのもとで、200人の国鉄労働者が自殺に追いやられたのです。まさに国家に殺されたのです。
こうした激しい攻撃が吹き荒れ、1986年に国鉄分割民営化が強行され、1047名解雇が行われました。
98年5・28反動判決は、以上のような凄まじい労働組合つぶしを合法と認めるとんでもないものでした。これを認めたら労働組合は成り立たないという思いは、当然のことです。労働組合の存亡をかけた闘いとして、3労組共闘が始まったのです。

(3) 国鉄分割民営化を打ち破ることなしに、労動運動を甦らすことはできない。
新自由主義を打ち破った3労組こそが、日本労働運動を蘇らせることができる。

国鉄分割民営化は、新自由主義の始まりでした。国鉄分割民営化以降、労組破壊、民営化・外注化・非正規化・規制緩和が、推し進められていきます。それは全産業に波及し、全社会に拡大しています。官民を問わないこうした規制緩和攻撃は、資本に自由を与え、労働組合を解体する攻撃そのものです。国鉄分割民営化は、過去の話ではありません。われわれ労働組合にとって、まさに今の攻防そのものなのです。

当時、国鉄にはあらゆる政治勢力・グループが存在し、総評の中軸であった国鉄労働運動の主導権を執ることが、実は日本労働運動全体のヘゲモニーをとることに繋がるがゆえに激しく国鉄当局と闘争していました。こうした勢力にとって、国鉄分割民営化とどう対決するのかが問われたのです。国鉄労動運動の全勢力がこの試練にさらされたのです。
国労に存在した社会党・共産党等既成勢力は、国鉄分割民営化攻撃の激しさ、非和解性に震えあがり「嵐の過ぎるのを待つ」という「蛸壷方針」をとって、ズタズタにされ、一方、動労本部を筆頭に「資本の軍門にくだり」率先協力し、国労・動労千葉の組合員の首を切って自分たちだけが生き延びるという労働組合が登場しました。
総評の大単産の組合幹部らは、この攻撃を自分たちに掛けられた攻撃とすることができず、「闘っても勝てない」と逃げてしまったのです。そして、国家権力の攻撃に恐怖し、1991年総評は解散し、連合にとって変わられてしまいました。
このように、労働組合の協力なしに国鉄分割民営化の強行はありえませんでした。
しかし、同時に、この激闘の中から国鉄分割民営化を打ち破った労働組合が断固として登場しました。動労千葉は、徹底的な組合での討議と一致をつくりだし、満を持して首をかけ、1985年11月72時間ストライキ、86年第2波ストライキを闘いぬき、大量解雇処分を乗り越えて、闘い抜いてJRに乗り込むことに成功したのです。
「資本と労働者は非和解だ」と団結をつくってきた動労千葉の路線がつくりだした大勝利でした。動労千葉はJR体制下で、外注化・非正規化と真っ向から対決し、分断をはねかえす団結の拡大をつくりだし、新自由主義の根幹を叩きつぶす闘争を展開しています。1047名解雇撤回闘争では「JR不採用は不当労働行為」と東京高裁に認定させ、最高裁で解雇撤回の判決をもぎりとる闘いを繰り広げています。

新自由主義の転換は、国鉄だけではありませんでした。労働時間規制の解体、解雇の自由化、賃金の大幅引き下げが「規制緩和」「民営化」をテコに全社会的に強行されました。そして、1986年労働者派遣法施行を契機に”非正規労働”という資本主義勃興期に引き戻すような過酷な労働形態をつくりだしました。それは社会的紐帯をズタズタにし、安全を崩壊させ、とんでもない社会を生み出しました。
国家は、その貫徹のために資本の支配を吹き飛ばす力のある労動運動を潰す攻撃を一斉にかけてきました。労働者自主生産闘争を生み出し闘う港合同への田中機械倒産攻撃、産業別政策闘争で集団交渉方式を確立し、日経連に「資本主義の根幹にふれる闘争」と言わしめた関西地区生コン支部への1980年~82年の大弾圧、これら港合同、関西生コン支部への攻撃は、国鉄分割民営化と一体の新自由主義攻撃だったのであり、これらを突き破った3労組の共闘は歴史的必然だったのです。
ここに労働者階級が勝利を切り開く地平があります。
動労千葉が切り開いた反合運転保安闘争、港合同が切り開いた自主生産闘争、関西地区生コン支部が切り開いた産業政策闘争は新たな時代の労働運動の展望です。
まさに、国鉄分割民営化が明らかにしたことは、戦後労動運動にとって代わって3労組を軸にした階級的労動運動が6千万労働者の最前線に躍り出る時代が始まったということです。

(4)国鉄闘争全国運動で闘う労動運動をつくれば、勝利できる

 国鉄闘争で勝ち取ってきた地平は、社会に全面化する新自由主義を打ち破る力を与えています。
そのことを全面的に明らかにしたのは、橋下打倒闘争です。橋下の登場にあらゆる既成の政治勢力は、震え上がりました。既成の全勢力は橋下を「ハシズム」と称して、恐れたのです。大阪市職を中心とする公務員労働組合が標的にされ、大阪市労連の委員長が橋下に直角お辞儀する写真が流されました。国鉄分割民営化から30年、今度は最初から闘わず屈服しようとしたのです。
しかし、私たちは、この攻撃は打ち破ることができると確信をもって闘いを始めることができました。
なぜなら、敵と絶対妥協を許さず、絶対反対で闘うなら、敵の攻撃を団結の拡大で打ち破ることができることを国鉄闘争の教訓から、つかんでいたからです。
職員アンケートや入れ墨調査に絶対反対で立ち向かい、入れ墨処分を引き出し、それが労働者の新しい決起と団結をつくりだしていきました。大阪市職の労働者を軸に3労組共闘の橋下打倒陣形がつくられ、橋下打倒情勢が引き寄せられてきたのです。いまや橋下はグラグラです。絶対反対で立ち上がった労働者が、橋下打倒情勢をつくったのです。これは同時に既成勢力から大阪市の労動運動の主導権を奪い返す情勢をつくりだしています。このように、国鉄闘争でつながるとき、全ての産別・職場で資本の攻撃を、団結の拡大に転化して勝利していくことができるのです。
この橋下打倒闘争では、港合同は、南大阪平和人権連帯会議という官民共闘組織を通して、橋下と闘ってきました。産別を越えた「地区労」的団結で大阪市職の現場の闘いを支えました。国鉄闘争をわが事のように闘ってきた大和田委員長の教えが、この勝利を導きだしたのです。
労働者にとって国鉄闘争は決定的闘いです。関生支部の故高英男副委員長は「国鉄闘争は労働者の階級的自覚を育てる」と私たちに説いてくれました。まさに国鉄闘争に、資本と労働者との非和解性、国家と労働者との非和解性、そして労働者こそ社会の主人公であることが詰まっているのです。
関生支部の指導を受けた東京の鈴木コンクリート工業分会の解雇撤回闘争は大勝利し、首都圏の産業別的組織拡大が生み出されています。

最後に国鉄闘争全国運動の目的を提起します。
ひとつは、1047名解雇撤回闘争に勝利することです。10万人署名を貫徹しよう。
ふたつに、JR体制の中からJRを打倒する労働者の団結をつくりだそう。JR体制は崩壊過程に入っています。とりわけ外注化による安全崩壊はとどまることはありません。労働組合の復権だけが、労働者の回答です。動労西日本・動労総連合をJRの全職場につくろう。
みっつに、戦争・改憲、民営化と真っ向から闘い抜き、職場・産別に階級的労動運動をつくりだし、労働組合の拠点を建設しよう。
よっつに、こうした一切闘いを、国鉄闘争全国運動に集約し、新たな産別労運動、新たな労働組合の地域共闘をつくりだし、階級的労動運動の全国的台頭を果たそう。


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