本日朝6時14分に母は死去しました。息子としては1月8日の父の命日を越えるか、3月1日の米寿の誕生日を迎えて欲しいと思いながらも、医師としては14日の入院で「あと1週間」と判断していました。会うべき人にはこの1週間にお別れをしてもらいました。病院に向かうときに母が父に言ったのは、もしかして「1週間したら行くから待ってて」だったのでしょうか。
胸水を抜いてもらった翌日はかなり元気になり、食事も少しとれるようになっていました。毎日二回のぞきに行ってマッサージして帰るのですが、ひょっとしたら年を越せるかも・・・。しかし急変したのは木曜日です。意思の疎通がなくなりました。酸素が5L必要になっています。金曜日一度元気になったものの土日は苦しそうで、こちらを見て酸素マスクの下で何か言っていますが聞き取れません。父が最後に言った言葉を思い出しました。「ここまでがんばったからもういいな」
丁度10年前に父も他界しましたが、なんとその経過の似ている事でしょう。二人とも膵臓癌で肺へ転移し、癌性胸膜炎で水を抜きました。いくら仲がいいといってもここまで似なくても・・。
またいっしょになれたね。ほんとにごくろうさま。最大の理解者であった二人に感謝しています。
お母様の時も
多忙の中、献身的に介護されましたね。
私も義父が亡くなった時の事を思い出す時があります。
最後に義父の治療を決断したのは私だったので、それが良かったのか悪かったのか、随分悩みました。
それでも安らかに逝った事が唯一の救いでした。
私もまた、いずれは義父と再会するのだな・・・と思うことがあります。
本当におつかれさまでした。
ご両親はとても幸せな最期だったと思います。
自分の母が、いつ逝ってもおかしくない今の状態の中で、悩む日々。「自分は、母親ならどうしただろうという立場に立って母のことを考えました」と言葉を頂き。母は波乱万丈の人生だったのに、いつも明るく楽しく努力が好きで前向きに生きてきました。今の母はほとんど動けない、目が見えない、やっと右手だけ動かせる中でも決して人生を諦めようとはしていないと確信しています。だからこそ、最後まで頑張って欲しいと思います。