ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

天動説と地動説

2015-12-03 11:12:11 | 日記・エッセイ・コラム
「それでも地球は動いてる」。
ガリレオが言った言葉である。
それまではキリスト教会の教えである天動説であった。
それをガリレオは教会の反対に屈せず地動説を唱えた。
如何せん裁判においては、それは否定された。
その時の言葉である。
・・・・・
もちろんガリレオは天動説を否定していない。
ただ「地球は動いてる」と言っただけである。
ご存知の通り、太陽も星々も宇宙に在るものはすべて動いている。
その意味では天動説の方が正しい。
地球もその天の一部であるだけだ。
ガリレオはその事を否定してはいないだろう。
というより、言及していなかったと思う。
ただ地球は動いてると言ったのだ。
とはいえ、実際どんな議論があったのかは知らない。
当時の天動説を否定したのは事実だ。
つまり、
地球は動いてなく、天だけが動いてる、
ということを。
・・・・・
しかし、当時の天動説も事実といえば事実である。
見るということは視点が必要である。
その視点から見てどう見えるか。
対象を観察するとして、
その視点から見えた事実も一つの事実だ。
それを否定できない。
地球という視点もあれば、太陽という視点もある。
私やあなたという視点もある。
無数の視点から同時に見るということはそもそも不可能だ。
視点を定めて見なければならない。
でなければ観察は成り立たない。
人類は太古から天空に関心を持ち観察してきたが、
それはそういうことだ。
それを一概に否定はできない。
・・・・・
一つの視点から見た事実も事実である。
むしろ、すべてはそこから始まる。
それを主観というなら、主観こそ原点である。
先ず主観があるのだ。
それはそうなのだが、
その主観からの事実だけを事実とすれば間違うだろう。
別の主観もあるのである。
さらに、もっと別の主観もある。
それを認めなければならない。
客観とはどういうものかよく分からないが、
それを踏まえていれば、
少しは客観的になれるだろう。
心したいものだ。











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