ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

時代相

2023-02-13 09:14:47 | 日記・エッセイ・コラム
明治開国以降70年余りで、
大戦争の罠に嵌まったが、
それまでは実に奇跡の成長であった。
あの世界の状況を鑑みればまさに。
ときに恐慌での停滞はあったが。
それがあの戦争で頓挫してしまった。
そして時代は様変わり、
その相が変わった。
次は終戦以降70年余りだが、
これもまた奇跡の成長であった。
あの町々の壊滅的状況を鑑みれば。
これもバブル崩壊で停滞したが、
曰く未だ停滞中?のようだが。
それがここにきて、
時代は変わった。
その相が明らかに変わった。
そう想うのです。
そして今、令和の時代。
・・・・・
何が変わったのか。
一番変わったのは言葉である。
もとより言葉の生き物・人間である。
言葉に捉われて生きている。
それが神話を生み、
宗教をおこし、哲学をたて、科学がなった。
すべては言葉である。
現下は科学の時代である。
宗教はその基をくるわせ、
哲学は言葉遊びを免れず、
そして科学の時代となる。
もとより、
すべては言葉で出来てるのだが、
そのことに対する思い入れが無さすぎる。
余りに当り前過ぎて気付かないのか、
目先の現実に惑わされるからか、
それが大きな落し穴となる。
だからむしろ、
それに気付けば大転換の時代となるのに。
思えば、
当初の70年余りは、
科学が目に見える時代であった。
前の時代から見れば驚異的であっても、
それが目に見えていた。
次の70年余りは、
科学が目に見えにくくなってきた。
軽薄短小とか言って。
でもやはり目には見えていた。
それを変えたのは、
コンピュータの出現である。
当初はそれほどでもなかったが、
ここに来てもはや魑魅魍魎のごとし。
何度も言ってるが、
コンピュータは半導体と電気で出来ている、
のではないと。
それらは只の物とエネルギーである。
たしかにそれらはそのものではある。
でも本体ではない。
本体は「言葉」である。
言葉に始まり言葉に終わる。
それがコンピュータである。
それを知ろう。
今まさに情報化時代と言われるが、
言い得て妙というか、
そのまんまというか。
冒頭で、
一番変わったのは言葉だと言ったが、
それはまさにこのことで、
裏に隠れていた言葉が表に出て来た、
とも言えるが、
人と共にあった言葉が、
人から離れてしまった、
とも言えると。
危うい時代である。
・・・・・
これは余談だが、
昨今歴史が玩具にされているのは、
国家という存在を消したいからか。
それが目的の自虐史観への誘導か。
現に日本がそうだが、
それは日本だけではない、
先進諸国はなべてそうである。
違うのは、
日本のそれはほぼ嘘で出来ており、
他は大方事実だということである。
余談はさておき、
この先は目に見えない時代である。
光や電子などを扱う量子の時代。
最早まったくもって見えない。
そこはもっぱら言葉の世界。
だから知っておこう。
言葉は現実をなぞるだけ、
現実は越えられない。
触るのが関の山。
うん!

コメントを投稿