世の終わりには何が起こるのですか、
とイエスの弟子たちが問うた。
ときにイエスは応えた。
エルサレム郊外のオリブ山にいるときに。
以下…
人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、
自分が救世主だと言って多くの人を惑わす。
また、戦争と戦争のうわさを聞くであろう。
注意していなさい、あわててはいけない。
それは起こらなければならないが、
まだ終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
またあちこちに、飢饉が起こり、また地震がある。
さらに…、
と。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
しかしてそれらのあとに、
人の子(イエス)のしるしが天に現れる。
と、
・・・・・
端折った部分もあるが、
これは新約聖書・マタイの福音書の一節である。
実に今のことでありましょう。
呆れるぐらいに合致している。
確かに直接イエス(神)を名乗る者はいない。
それはさすがにバレバレで相手にはされない。
だがイエスはときに人であり預言者であった。
以前にも言ったが、
預言者とは神の言葉を預かる者である。
それは現代に於いては科学者であると。
現実を解きあかして言葉にするのです。
まさに現代の預言者である。
それが見ての通り、
政治に利用されるばかりで、
てかお雇い役者なのだろう。
揃いもそろって虚言ばかり。
本物の科学者は隠れている。
まことに胡乱な時代である。
戦争はもとより絶えたことがない。
現下はウクライナに焦点があるが、
他にも火種は幾らでもある。
いつ戦争になってもおかしくないような。
今や日本も安閑としていられない。
それに食料不足が叫ばれて久しい。
だから世界では価格が上昇している。
日本でも既にその兆候が表れてきた。
それに災害多発国日本では地震が絶えない。
さすがにそれはそれなりに対応しているが。
それが今回はトルコである。
これはもう酷い状況である。
私ごときにはどうすることもできない。
できるのは僅かな援助だけ。
翻って日本のことだが、
多くの国民はそうではなかろうが、
一部には不法が蔓延り、
親殺し子殺しが絶えず、
ルフィーとかも現れる。
何とも物騒な世の中である。
いろいろと余計なことを言ったが、
それが余りにも、
イエスの言葉に合致していて、
実に驚くばかり。
・・・・・
これは天の差配なのか、
或いは人の企みなのか。
あまりに合致していて、
驚くと同時に、
不謹慎だが大いに興味が湧いてくる。
でも実際は二者択一ではないだろう。
天の差配と人の企みが混じってると。
ときに占いを想う。
運命は確かにあると。
どの星に生まれるか、
どの時に生まれるか、
誰の子に生まれるか、
これは運命としか言えない。
如何ともしがたい。
これを定めという。
でも生物とくに動物は動くもの。
その上人間は言葉を持ったのだ。
そも生物に揺らぎは付き物、
その中でも特に動物は、
その中でも更に人間は。
運命と謂えども、
その根本は変えられないが、
揺らぎは変えられるのです。
自分の行動で変えられるのです。
そこに占いの真骨頂がある。
当たるも八卦・当たらぬも八卦と言うが、
占いが無くなることはない。
人間には必要なもの。
それは迷いを振り払うもの、
それは心魂を奮い立たせるもの。
そしてそれは祈りに繋がる。
日本ではこの今も人知れず、
亀甲占いをやっているとか。
話が一寸逸れたが、
それは横に置いて、
本題「世の終わり」について。
このイエスの警句を心に刻み、
その祈りをもって惑わされず。
うん!
とイエスの弟子たちが問うた。
ときにイエスは応えた。
エルサレム郊外のオリブ山にいるときに。
以下…
人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、
自分が救世主だと言って多くの人を惑わす。
また、戦争と戦争のうわさを聞くであろう。
注意していなさい、あわててはいけない。
それは起こらなければならないが、
まだ終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
またあちこちに、飢饉が起こり、また地震がある。
さらに…、
と。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
しかしてそれらのあとに、
人の子(イエス)のしるしが天に現れる。
と、
・・・・・
端折った部分もあるが、
これは新約聖書・マタイの福音書の一節である。
実に今のことでありましょう。
呆れるぐらいに合致している。
確かに直接イエス(神)を名乗る者はいない。
それはさすがにバレバレで相手にはされない。
だがイエスはときに人であり預言者であった。
以前にも言ったが、
預言者とは神の言葉を預かる者である。
それは現代に於いては科学者であると。
現実を解きあかして言葉にするのです。
まさに現代の預言者である。
それが見ての通り、
政治に利用されるばかりで、
てかお雇い役者なのだろう。
揃いもそろって虚言ばかり。
本物の科学者は隠れている。
まことに胡乱な時代である。
戦争はもとより絶えたことがない。
現下はウクライナに焦点があるが、
他にも火種は幾らでもある。
いつ戦争になってもおかしくないような。
今や日本も安閑としていられない。
それに食料不足が叫ばれて久しい。
だから世界では価格が上昇している。
日本でも既にその兆候が表れてきた。
それに災害多発国日本では地震が絶えない。
さすがにそれはそれなりに対応しているが。
それが今回はトルコである。
これはもう酷い状況である。
私ごときにはどうすることもできない。
できるのは僅かな援助だけ。
翻って日本のことだが、
多くの国民はそうではなかろうが、
一部には不法が蔓延り、
親殺し子殺しが絶えず、
ルフィーとかも現れる。
何とも物騒な世の中である。
いろいろと余計なことを言ったが、
それが余りにも、
イエスの言葉に合致していて、
実に驚くばかり。
・・・・・
これは天の差配なのか、
或いは人の企みなのか。
あまりに合致していて、
驚くと同時に、
不謹慎だが大いに興味が湧いてくる。
でも実際は二者択一ではないだろう。
天の差配と人の企みが混じってると。
ときに占いを想う。
運命は確かにあると。
どの星に生まれるか、
どの時に生まれるか、
誰の子に生まれるか、
これは運命としか言えない。
如何ともしがたい。
これを定めという。
でも生物とくに動物は動くもの。
その上人間は言葉を持ったのだ。
そも生物に揺らぎは付き物、
その中でも特に動物は、
その中でも更に人間は。
運命と謂えども、
その根本は変えられないが、
揺らぎは変えられるのです。
自分の行動で変えられるのです。
そこに占いの真骨頂がある。
当たるも八卦・当たらぬも八卦と言うが、
占いが無くなることはない。
人間には必要なもの。
それは迷いを振り払うもの、
それは心魂を奮い立たせるもの。
そしてそれは祈りに繋がる。
日本ではこの今も人知れず、
亀甲占いをやっているとか。
話が一寸逸れたが、
それは横に置いて、
本題「世の終わり」について。
このイエスの警句を心に刻み、
その祈りをもって惑わされず。
うん!
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