ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

世の終わり

2023-02-20 08:38:03 | 日記・エッセイ・コラム
世の終わりには何が起こるのですか、
とイエスの弟子たちが問うた。
ときにイエスは応えた。
エルサレム郊外のオリブ山にいるときに。
以下…
人に惑わされないように気をつけなさい。
多くの者がわたしの名を名のって現れ、
自分が救世主だと言って多くの人を惑わす。
また、戦争と戦争のうわさを聞くであろう。
注意していなさい、あわててはいけない。
それは起こらなければならないが、
まだ終わりではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
またあちこちに、飢饉が起こり、また地震がある。
さらに…、
と。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
しかしてそれらのあとに、
人の子(イエス)のしるしが天に現れる。
と、
・・・・・
端折った部分もあるが、
これは新約聖書・マタイの福音書の一節である。
実に今のことでありましょう。
呆れるぐらいに合致している。
確かに直接イエス(神)を名乗る者はいない。
それはさすがにバレバレで相手にはされない。
だがイエスはときに人であり預言者であった。
以前にも言ったが、
預言者とは神の言葉を預かる者である。
それは現代に於いては科学者であると。
現実を解きあかして言葉にするのです。
まさに現代の預言者である。
それが見ての通り、
政治に利用されるばかりで、
てかお雇い役者なのだろう。
揃いもそろって虚言ばかり。
本物の科学者は隠れている。
まことに胡乱な時代である。
戦争はもとより絶えたことがない。
現下はウクライナに焦点があるが、
他にも火種は幾らでもある。
いつ戦争になってもおかしくないような。
今や日本も安閑としていられない。
それに食料不足が叫ばれて久しい。
だから世界では価格が上昇している。
日本でも既にその兆候が表れてきた。
それに災害多発国日本では地震が絶えない。
さすがにそれはそれなりに対応しているが。
それが今回はトルコである。
これはもう酷い状況である。
私ごときにはどうすることもできない。
できるのは僅かな援助だけ。
翻って日本のことだが、
多くの国民はそうではなかろうが、
一部には不法が蔓延り、
親殺し子殺しが絶えず、
ルフィーとかも現れる。
何とも物騒な世の中である。
いろいろと余計なことを言ったが、
それが余りにも、
イエスの言葉に合致していて、
実に驚くばかり。
・・・・・
これは天の差配なのか、
或いは人の企みなのか。
あまりに合致していて、
驚くと同時に、
不謹慎だが大いに興味が湧いてくる。
でも実際は二者択一ではないだろう。
天の差配と人の企みが混じってると。
ときに占いを想う。
運命は確かにあると。
どの星に生まれるか、
どの時に生まれるか、
誰の子に生まれるか、
これは運命としか言えない。
如何ともしがたい。
これを定めという。
でも生物とくに動物は動くもの。
その上人間は言葉を持ったのだ。
そも生物に揺らぎは付き物、
その中でも特に動物は、
その中でも更に人間は。
運命と謂えども、
その根本は変えられないが、
揺らぎは変えられるのです。
自分の行動で変えられるのです。
そこに占いの真骨頂がある。
当たるも八卦・当たらぬも八卦と言うが、
占いが無くなることはない。
人間には必要なもの。
それは迷いを振り払うもの、
それは心魂を奮い立たせるもの。
そしてそれは祈りに繋がる。
日本ではこの今も人知れず、
亀甲占いをやっているとか。
話が一寸逸れたが、
それは横に置いて、
本題「世の終わり」について。
このイエスの警句を心に刻み、
その祈りをもって惑わされず。
うん!

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