ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

発明

2019-08-05 13:05:09 | 日記・エッセイ・コラム
もう口にタコができてしまったが、
そしてこれからも何度でも言うが、
人間は言葉の生物だということを。
人間から言葉を無くしたら、ただの哺乳類(猿)である。
その方が幸せだったかも知れない。
でも持ってしまったのだ、言葉を。
・・・・・
発明とは言葉を利用して新たな価値を創ることである。
既にあるものなら、それは発見という。
今までに無いものを創るということだ。
ちなみに言葉は人間の発明品ではない。
言葉から生み出されるものが、それだ。
ここに究極の疑問がある。
では、その言葉はどうして手に入れたのか。
それがどうにも分からない。
それはそうだろう。
言葉を使って言葉を発明するとは、即ち矛盾である。
無から有は生みだせない。
生みだせるとしたら、それはどんな力なのか。
さっぱり分からない。
だからである。
聖書はそのことを象徴的に語っている。
楽園からの追放という物語で。
・・・・・
この世界はすべて動いている。
生物は勿論だが、星々や大気それに海原も。
河原の石でさえ。
止まってるように見えて、その内部では動いている。
即ちすべてが動いているのだ。
そして時に質が変わることも。
それを総じて変化というなら、
変化こそ存在の現実なのです。
知っての通り変化にも何かしら法則があるようだ。
てんでバラバラに動いてるのではなさそうだ。
ということは、
同じであろうとする力と変わろうとする力の綱引きが、
変化の方向を決めるのだ。
しかして、世界は常に変化している。
しかして、変化こそ存在そのものだ。
ちなみに存在には今しかない。
在るという今しかない。
10億年まえの宇宙も10億年さきの宇宙も、
つまりは同じ宇宙ですべては今の宇宙である。
以前言ったことだが、言葉を持たない生物には今しかないと。
過去と未来を包含した野太い今しかないと。
つまり連綿とした今があるだけだ。
・・・・・
そも人間の言う今とは?
過去と未来の間にある今とは?
言ってる尻から未来は今になり過去になる。
その間の超一瞬でしかない。
余りに儚すぎる。
それに1秒たりとも戻れないのだ。
即ち1秒前も10憶年前も結局は同じ過去なのだ。
これ如何!
また10億光年さきの星々を眺めているとして、
その星々が今まさに在るかどうかは不明である。
10億年後にしか分からないのだ。
それなら、すべてを今と考えるほうが合理的だ。
過去も未来も含んだ今だと。
これでやっと虫たちと対等になれる。
そも「時」とは人間が発明した最も特異な代物である。
それは存在(変化)の有様を計る「ものさし」なのだ。
我ら人間はそれを重宝して使ってる。
科学もこの「ものさし」がなければ成り立たない。
それほどに決定的な物差しなのだ。
物差しには種々あれど、
「時」とは唯一無二の「ものさし」である、
とか何とか言っている。
まあ当方一流の言葉遊びです。
・・・・・
ちなみに、
この世界がまったく変化しないなら、
今がまんま永遠なら、
物差しは不要である。
即ち、時は無いのだ。
これも言葉遊びです。

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