もう口にタコができてしまったが、
そしてこれからも何度でも言うが、
人間は言葉の生物だということを。
人間から言葉を無くしたら、ただの哺乳類(猿)である。
その方が幸せだったかも知れない。
でも持ってしまったのだ、言葉を。
・・・・・
発明とは言葉を利用して新たな価値を創ることである。
既にあるものなら、それは発見という。
今までに無いものを創るということだ。
ちなみに言葉は人間の発明品ではない。
言葉から生み出されるものが、それだ。
ここに究極の疑問がある。
では、その言葉はどうして手に入れたのか。
それがどうにも分からない。
それはそうだろう。
言葉を使って言葉を発明するとは、即ち矛盾である。
無から有は生みだせない。
生みだせるとしたら、それはどんな力なのか。
さっぱり分からない。
だからである。
聖書はそのことを象徴的に語っている。
楽園からの追放という物語で。
・・・・・
この世界はすべて動いている。
生物は勿論だが、星々や大気それに海原も。
河原の石でさえ。
止まってるように見えて、その内部では動いている。
即ちすべてが動いているのだ。
そして時に質が変わることも。
それを総じて変化というなら、
変化こそ存在の現実なのです。
知っての通り変化にも何かしら法則があるようだ。
てんでバラバラに動いてるのではなさそうだ。
ということは、
同じであろうとする力と変わろうとする力の綱引きが、
変化の方向を決めるのだ。
しかして、世界は常に変化している。
しかして、変化こそ存在そのものだ。
ちなみに存在には今しかない。
在るという今しかない。
10億年まえの宇宙も10億年さきの宇宙も、
つまりは同じ宇宙ですべては今の宇宙である。
以前言ったことだが、言葉を持たない生物には今しかないと。
過去と未来を包含した野太い今しかないと。
つまり連綿とした今があるだけだ。
・・・・・
そも人間の言う今とは?
過去と未来の間にある今とは?
言ってる尻から未来は今になり過去になる。
その間の超一瞬でしかない。
余りに儚すぎる。
それに1秒たりとも戻れないのだ。
即ち1秒前も10憶年前も結局は同じ過去なのだ。
これ如何!
また10億光年さきの星々を眺めているとして、
その星々が今まさに在るかどうかは不明である。
10億年後にしか分からないのだ。
それなら、すべてを今と考えるほうが合理的だ。
過去も未来も含んだ今だと。
これでやっと虫たちと対等になれる。
そも「時」とは人間が発明した最も特異な代物である。
それは存在(変化)の有様を計る「ものさし」なのだ。
我ら人間はそれを重宝して使ってる。
科学もこの「ものさし」がなければ成り立たない。
それほどに決定的な物差しなのだ。
物差しには種々あれど、
「時」とは唯一無二の「ものさし」である、
とか何とか言っている。
まあ当方一流の言葉遊びです。
・・・・・
ちなみに、
この世界がまったく変化しないなら、
今がまんま永遠なら、
物差しは不要である。
即ち、時は無いのだ。
これも言葉遊びです。
そしてこれからも何度でも言うが、
人間は言葉の生物だということを。
人間から言葉を無くしたら、ただの哺乳類(猿)である。
その方が幸せだったかも知れない。
でも持ってしまったのだ、言葉を。
・・・・・
発明とは言葉を利用して新たな価値を創ることである。
既にあるものなら、それは発見という。
今までに無いものを創るということだ。
ちなみに言葉は人間の発明品ではない。
言葉から生み出されるものが、それだ。
ここに究極の疑問がある。
では、その言葉はどうして手に入れたのか。
それがどうにも分からない。
それはそうだろう。
言葉を使って言葉を発明するとは、即ち矛盾である。
無から有は生みだせない。
生みだせるとしたら、それはどんな力なのか。
さっぱり分からない。
だからである。
聖書はそのことを象徴的に語っている。
楽園からの追放という物語で。
・・・・・
この世界はすべて動いている。
生物は勿論だが、星々や大気それに海原も。
河原の石でさえ。
止まってるように見えて、その内部では動いている。
即ちすべてが動いているのだ。
そして時に質が変わることも。
それを総じて変化というなら、
変化こそ存在の現実なのです。
知っての通り変化にも何かしら法則があるようだ。
てんでバラバラに動いてるのではなさそうだ。
ということは、
同じであろうとする力と変わろうとする力の綱引きが、
変化の方向を決めるのだ。
しかして、世界は常に変化している。
しかして、変化こそ存在そのものだ。
ちなみに存在には今しかない。
在るという今しかない。
10億年まえの宇宙も10億年さきの宇宙も、
つまりは同じ宇宙ですべては今の宇宙である。
以前言ったことだが、言葉を持たない生物には今しかないと。
過去と未来を包含した野太い今しかないと。
つまり連綿とした今があるだけだ。
・・・・・
そも人間の言う今とは?
過去と未来の間にある今とは?
言ってる尻から未来は今になり過去になる。
その間の超一瞬でしかない。
余りに儚すぎる。
それに1秒たりとも戻れないのだ。
即ち1秒前も10憶年前も結局は同じ過去なのだ。
これ如何!
また10億光年さきの星々を眺めているとして、
その星々が今まさに在るかどうかは不明である。
10億年後にしか分からないのだ。
それなら、すべてを今と考えるほうが合理的だ。
過去も未来も含んだ今だと。
これでやっと虫たちと対等になれる。
そも「時」とは人間が発明した最も特異な代物である。
それは存在(変化)の有様を計る「ものさし」なのだ。
我ら人間はそれを重宝して使ってる。
科学もこの「ものさし」がなければ成り立たない。
それほどに決定的な物差しなのだ。
物差しには種々あれど、
「時」とは唯一無二の「ものさし」である、
とか何とか言っている。
まあ当方一流の言葉遊びです。
・・・・・
ちなみに、
この世界がまったく変化しないなら、
今がまんま永遠なら、
物差しは不要である。
即ち、時は無いのだ。
これも言葉遊びです。
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