ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

極右というレッテル

2015-12-22 09:45:30 | 日記・エッセイ・コラム
フランスで選挙があった。
地方選挙であったと思う。
そこに国民戦線という政党が出ていた。
予備選挙では多くの地区で第一党となったが、
本選挙ではすべて第一党から落ちた。
とは言っても、それなりの支持があったろう。
・・・・・
日本でもそうだが、
右翼というのは人権軽視や好戦的なものだと思われている。
それは偏見である。
言ってることを素直に聞けばわかる。
歴史・伝統・文化を尊重し、
その中で育まれた生き方・在り様を大切にしているだけだ。
国民戦線の主張はよくは知らない。
でも言ってることは、そういうことだろう。
右翼という言葉だけでもレッテル貼りなのだが、
それぐらいなら立ち位置を示すだけで穏当ではある。
それを極右と言うのである。
人権蹂躙の極悪集団のごとき言い様である。
まったく酷いレッテル貼りだ。
・・・・・
同じような生き方、価値観を持った者が集まるのは自然だ。
それが町や村を作る。
そして国を作る。
そんな国があちこちにできる。
それが世界である。
世界は皆同じでなければならないとは胡乱なことである。
人に個性があるように、町や村もそれぞれである。
それぞれの歴史・伝統・文化がある。
それぞれの生き様がある。
その生き様を脅かす者が現れれば、排除しようとするのは当然だ。
人に免疫機能があるように、外部からの異物は排除しようとする。
徐々に同化するなら、それは良いのだが。
急激に起これば軋轢を生む。
それは一般的に病気と言う。
・・・・・
何もかも同じでなければならない、
そうでなければ平等ではない、
と言うのは現実を無視した屁理屈である。
現実は雑多である。
現実の世界は棲み分けである。
棲み分けという言葉こそ鍵なのだ。
棲み分けによる共生、
その中での緩やかな連帯、
それを平和と言う。





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