Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立小劇場『五月文楽公演 第二部』 1等中央センター

2009年05月24日 | 文楽
国立小劇場『五月文楽公演 第二部『ひらかな盛衰記』』1等中央センター

文楽、観る度に思うけどやっぱり面白い。さて今回は『ひらかな盛衰記』の梶原源太をめぐる段の上演です。歌舞伎では梶原館の段~源太勘当の段までしか現在上演されていません。なので勘当のあとのお話を初めて知りました。あと、『逆艪』の段に出てくるお筆が出てきて、おお~繋がっている~と感動(笑)。歌舞伎だと『源太勘当』と『逆艪』だけしか上演されないので、どう繋がっているか皆目判らなかったんですよね。いずれ全段を通して見たいものです。歌舞伎じゃもう上演しないでしょうし、物語本位の文楽で観たいですね。でも一日がかりになるから全段はなかなか無理かしら。

『ひらかな盛衰記』
「梶原館の段」
「先陣問答の段」
「源太勘当の段」
「辻法印の段」
「神崎揚屋の段」
「奥座敷の段」

前半の「梶原館の段」「先陣問答の段」 「源太勘当の段」は歌舞伎で上演される段。歌舞伎化された場合かなり変化することもあるのですがこの段に関しては文楽と歌舞伎、ほとんど同じ形でした。違うなと思ったのは弟、梶原平次景高のキャラ。文楽ではただの乱暴者という感じだけど、歌舞伎では母に弱い甘えん坊キャラに方向になっていて憎めない感じになっている。あと母延寿は歌舞伎ではもう少し強い感じがあるかな。母のキャラは演じる役者によっても変わるので一概には言えないですが、文楽のほうがより源太が可哀相というのを表に出している感じがしました。

前半の段は 「源太勘当の段」を語った千歳太夫がメリハリがあってよかった。この方は一本調子のイメージがあったのだけど最近よくなってきていると思う。もう少し情感を持たせることができたらな。

後半が「辻法印の段」「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」。こちらの段は千鳥が梅ヶ枝という傾城になって源太を支えてるというお話になっていました。「辻法印の段」はいわゆるチャリ場。ここの場の源太、どうしようもないアホぼんになってたなあ…お百姓さんを騙したらあかんよ(^^;)。しれ~っとしているとこがまあ、憎たらしいこと(笑)。法印のニセ弁慶が笑えました。

「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」は梅ヶ枝の男を想う気持ち、そして母延寿の情けが描かれていきます。「神崎揚屋の段」の梅ヶ枝の「たった300両で愛しい男を死なせるもんか。傾城に成下げっても、操を守っているこの私を捨てて戦場に行く男って何~?。ああ、お金が欲しい~(超意訳。下記青字が本文)」と嘆く身も蓋もない狂乱が凄かった(笑)。

「必ず気遣ひなさるゝな。エヽわたしが心充のあるといふたはみんな嘘。お前の命が助けたいばっかりぢゃわいな。何の好もない奥の客が三百両の金くれうぞ。今宵中に調へねば、鎧も戻らず、源太様の望みも叶はず。金ならたった三百両で、可愛い男を殺すか。アヽ金がほしいなァ」二八十六で、文付けられて、二九の十八で、ついその心。四五の二十なら、一期に一度。わしゃ帯とかぬ。「エヽなんぢゃの。人の心も知らず、面白さうに唄ひくっさる。あの唄を聞くにつけても、源太様に馴染め館を立ち退き、君傾城になりさがっても一度客に帯とかず、一日なりと夫婦にならうと思ひ思はれた女房を振捨て、この度の軍に誉れを取り、勘当が赦されたいと思し召す、男の心はどんな物ぢゃ。何かにつけて女程思ひ切りのない物はない。男故なら勤めするも厭はねど、またどの様な悲しいめを見やうも知れぬ。それも金故。何をいふても三百両の金がほしい」

よくよく考えたら梅ヶ枝って源太のために傾城になったはずなのに、結局、身は売らず、生活のために大事な鎧を質草にしちゃってるんだよね…千鳥ちゃんも源太同様に生活能力がないかも?でも「お金が無い、お金が欲しい~」って半狂乱になる梅ヶ枝には、そうよねえ、いつの時代もやっぱりお金は大事よね、と同情した私でした(笑)

で、やはり出てくるのは親。親心って、哀しいですよねえ。

後半の段はやはり「神崎揚屋の段」の嶋太夫さんが良かったです。特に梅ヶ枝狂乱の場の迫力が素晴らしかった。「奥座敷の段」の咲甫大夫は綺麗な声ですね。女を語る部分が多かったせいか、歌舞伎の女形さんの声の出し方というか台詞廻しによく似てるなあなんて思ったりしました。

人形は源太のカシラはもちろん二枚目の「源太」です。ほんと綺麗な顔をしているカシラですよねえ。今回初めて源太は「げんた」じゃなく「げんだ」だということを知りました。歌舞伎では「げんた」って言っているよね?源太は風流男、色男の代名詞で二枚目中の二枚目。

しかし今回、源太を操る和生さんはそこまでの二枚目にはなっていなかったかなあ。源太には女がこの男のためならば、というオーラが必要よね。母も恋人もこぞって助けようとしてるんだから。色気と母性本能くすぐる系の雰囲気がないと。でも残念ながらそこまでの吸引力が薄かった。もっと二枚目然としていてほしいなあ。文楽の二枚目はヘタレが相場だけど、でも単なるヘタレに見えちゃいけないと思うのよね。

勘十郎さんの千鳥・傾城梅ヶ枝は品がよく、それでいて華やか。形がどこを取っても相変わらず綺麗です。細かい仕草も丁寧だし、心情がきちんと見える。特に狂乱の場がとてもよかったです。形が崩れるぎりぎりのところでみせて迫力がある。狂乱の途中でカシラを変えていた。傾城のふっくら艶のあるカシラから娘のカシラに変化させる。傾城梅ヶ枝から千鳥という女に完全に戻ったということなのでしょうか。

玉也さんの延寿が控えめながら情け深い芯のある老母でなかなか良かった。

清十郎さんのお筆は凛とした強さを見せていました。