晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
マイペースで備忘録はまだまだ続きます。

「帰ってきたヒトラー」(15・独) 80点

2016-12-30 12:54:34 |  (欧州・アジア他) 2010~15


 ・ ネット社会に蘇ったヒトラーの恐ろしさを描いたブラック・コメディ。


   

 ’45年死んだはずのヒトラーがタイム・スリップして現代のベルリンで蘇った。コスプレ男か?物まね芸人か?と勘違いされながら、クビになったTVディレクターに発見され出演した番組がキッカケで、一躍人気者になっていく。

 ヒトラーを題材にした名作は「チャップリンの独裁者」(40)、「ヒトラー~最後の12日間~」(04)など幾つかあるが、難民移民問題を抱えた欧州にとってタイムリーなこのブラック・コメディは長く記憶に残るかもしれない。

 原作はティムール・ベルメシュのベストセラーで一人称で綴られたユーモア溢れるベストセラー。監督のデヴィット・ヴェンドはTV・インターネットなどメディアを通して一般社会がどう捉えていくかを描いている。

 一見荒唐無稽な設定は、作り方如何ではどうにもならない愚作になりかねないところ。本作は原作のもつ飄々としたユーモアを大事に残しながら、一般人へのインタビューをセミ・ドキュメンタリーのタッチで映像化していること。

 「いま困っているモノは何か?」「この国の将来をどうしたのか?」というヒトラーのインタビュー撮影シーンは実に380時間に及び、その中から本人合意の上で編集されたのは真っ向から否定する常識派ももちろんあったが、なかには人間として親しみを感じて移民難民・若者の貧困・高齢者の失業・最低の出生率などドイツが抱える諸問題に不満をブチマケル者も。

 実在の政治家やネオナチス党本部まで登場する危ないシーンも無難に編集され笑いに包まれるが、終始真面目に言動するヒトラーが「我々こそが人民だ!」と連呼し「ドイツ国民が私を選んだのだ」と叫ぶ、<大衆が選んだ独裁者>であることを今更ながら気付かされる。

 チャップリンを演じたのは無名の実力舞台俳優のオリバー・マスッチ。素顔はヒトラーに似ていないが特殊メイクでなり切って、彼の一面でもあるソフトで包容力を持った父親のような人物像を演じて魅せた。

 混沌とした社会に英雄待望論が潜んでいる現在は大国と言われる国々や日本も例外とは言えず、本作が過去の愚かな出来事として余裕をもって笑って観られる方向へと向かって行って欲しい。

 
   

「これが私の人生設計」(14・伊)65点

2016-12-27 12:11:56 |  (欧州・アジア他) 2010~15


 ・ 働く女性への応援をユーモラスに描いたハートフル・コメディ。


  

 久々に観たイタリア映画は15年イタリア映画祭で「生きていてすみません!」という題名で評判を呼んだ、実在建築家をヒントにした社会風刺の効いたコメディ。

 幼い頃神童と呼ばれた建築家セレーナは、英国で成功するが故郷が恋しくなってイタリアへ帰国。しかし女性の就労状況が極めて厳しい母国では就職が困難で、仕方なくカフェでアルバイトをしながら機会を伺う。

 偶然ローマ郊外の公営住宅でリフォーム・プランを募集することを知り、ブルーノ・セレーナという名で応募する・・・。

 ヒロイン、セレーナ役は歌手でコメディアンヌのパオラ・コルッテレージは、イタリアでは国民的女優というが筆者は初見。少しドジなところもあるが、とてもチャーミングでポジティブな役柄に相応しい。

 夫でもあり、一緒に脚本を手掛けた監督リッカルド・ミラーニとのコンビは息もピッタリ!

 カフェのオーナーで、セレーナが一目惚れしたフランチェスコを演じたのはラウル・ボヴァ。ハイスピード映像でまるでモデルのような登場シーンには思わず苦笑。

 異常なくらいな優しさは、てっきりセレーナに気があるのかと思ったがゲイだった。

 この独身キャリア女子とバツイチ子持ちイケメン・ゲイのカップルが織りなすドラマは、イタリア社会が抱える男女やマイノリティへの格差など、諸々の社会問題をユーモラスに描きながら弱者への思いやりを欠かさない。

 日本でも問題になっているマタハラ・パワハラのブラック企業を思いっ切り笑いで風刺する本作は、働く女性に元気を与える痛快作品でもある。
 

「リトル・ボーイ 小さな僕と戦争」(14・米) 75点

2016-12-22 14:13:51 | (米国) 2010~15

 ・ メキシコの新鋭A・モンテヴェルデ監督によるハートフル・ファンタジー。


   

 メキシコの新鋭アレハンドレ・モンテヴェルデ監督がポーティーロとともに書き上げた本作。広島に投下された原爆が<リトル・ボーイ>という別称があったことをヒントに、太平洋戦争時・カリフォルニアの漁村を舞台に父と息子の愛を少年の視点から描いたファンタジー。

 8歳の少年ペッパー(ジェイコブ・バズビー)は小柄なため、リトルボーイとからかわれる。最大の遊び相手で相棒と呼ぶ大好きな父ジェイムズ(マイケル・ラパポート)が徴兵され、すっかりしょげてしまう。

 町の司祭オリバー(トム・ウィルキンソン)に相談すると、6つの善行全てを達成すれば願いが叶うリストを渡される。司祭は手書きでもう一つ書き加えた7つ目は<ハシモトに親切を>だった。

 町に唯一住んでいるのがアメリカに忠誠を誓い収容所から出所して独り住まいの日系人ハシモト(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)だった。

 ハシモトはジャップ・ニップと蔑まれる憎むべき敵国人で、兄とともに家に投石し火をつけた相手。それでも大好きな父を呼び戻すため仲良くしようと近づこうとする。
 

 出身地メキシコで大ヒットした本作は、「ライフ・イズ・ビューティフル」(97)と並ぶ<戦争と父と息子の絆を描いた傑作ハートフル・コメディ>と絶賛された。

 しかしアメリカでは「原爆投下が終戦を早め、日米双方の多大な犠牲拡大を防いだ」という見方も半数以上いて、敵味方を超えた戦争の悲惨さを公平に描いた本作は受け入れ難い人も多い。

 <からし種一粒ほどの信仰>の力によって和解・寛容の大切さを訴えた宗教映画として上映されたため、広まらなかった。
 
 憧れの奇術師ベン(ベン・イーグル)から念力があるといわれ、太平洋に念力を送ったため原爆が投下され、戦争が終わり大好きな父が帰ってくることを喜んだペッパー。

 しかし沈着冷静な母エス(エミリー・ワトソン)から「恨みに思う夫がひどい扱いを受けないか?」と心配、ペッパーに「ひとつの大きな町が消えたのよ!」と諭される。

 ケイリー=ヒロユキ・タガワによる類型的な日本人描写を覆すハシモトのキャラクターも、日本人にとってはホットさせてくれる。

 日本に兄弟が住んでいて数か月滞在していたことがあるA・モンテヴェルデ。昨年誘拐事件で父と兄を失うという悲劇にめげず、次回作を期待したい。
 

「ブルックリン」(15・愛蘭 英 カナダ  米 ) 80点

2016-12-18 11:33:40 |  (欧州・アジア他) 2010~15


  ・ 少女から大人への成長物語を瑞々しく描いた佳作。


   

 50年代アイルランンドからNY・ブルックリンへ単身渡ってきたエイリシュ(シアーシャ・ローナン)。一人の少女が身元引受人ブラッド神父や寮長キーオ夫人に見守られながら昼はデパート店員・夜は簿記の勉強という新しい生活に溶け込み、イタリア移民トニー(エモリー・コーエン)という恋人とも巡り合う。

 そんな矢先に故郷から便りが届く・・・。

 内気だった少女が大都会で揉まれ自立した女性へと成長していく様子をアイルランドとブルックリンの風土・文化を交えながらきめ細かく描いたオーソドックスなストーリー。

 コルム・トビーンの原作を「17歳の肖像」のニック・ホーンビーが脚色、ジョン・クローリーが監督してオスカー作品・脚色賞にノミネートされている。

 都会で暮らす地方出身者・特に女性には共感するところが多いエピソードがあって、とても身近なテーマとして観た人もいるのでは?

 筆者はブルックリンとアイルランドの対比が興味深かった。

 エイリシュの育ったアイルランドのエニスコーシーは風光明媚でコミュニティもしっかりしているが閉鎖的で未来が読めてしまいそうな退屈さと噂話が蔓延する窮屈さが同居している。

 新天地ブルックリンは多国籍移民のるつぼで可能性は秘めているが不安定な競争社会。

 アイルランドへ帰国して故郷と新天地を体験したエイリシュは、一人残された母の暗に進める御曹司ジム(ドーナル・グリーソン)との縁談に揺れ動く。

 S・ローナンはNY生まれのアイルランド育ちで両親の境遇をそのままに演じ、オスカーは逃したが「つぐない」(06)で注目された天才少女が見事に大女優への道を歩んでいることを証明してくれた。

 緻密な脚本と丁寧な映像描写、きめ細かな衣装、脇を固めた出演者たちが生き生きとしているなどまるで小津映画を観たような満足感があった。

 

「海よりもまだ深く」(16・日) 70点

2016-12-10 13:04:13 | 2016~(平成28~)

  ・ 思い通りとは程遠い男の日常をリアルに描いた良作。


    

 15年前文学賞を受賞したが作家として芽が出ないまま興信所で<小説のネタ探し>の名目で働く良多(阿部寛)。ギャンブルに明け暮れ生活費も儘ならず姉・千奈津(小林聡美)や後輩・町田(池松壮亮)から借金したり、時には客から不正に金を得たりするダメ男ぶり。

 別れた妻・響子(真木よう子)には未練たっぷりで、新しい恋人ができ心穏やかでなく、月に一度の息子・慎吾(吉澤太陽)との面会日を心待ちにしている。

 そんなある日、良多の母淑子(樹木希林)が暮らしている団地に偶然集まった元家族が、台風のために帰れなくなり一晩を過ごすことになった・・・。

 「歩いても歩いても」(08)の是枝祐和監督、阿部寛・樹木希林の母と息子役は舞台は違ってもまるで続編のよう。

 日常を切り取ることには定評がある是枝作品は殆ど観ている筆者だが、今回は9歳から28歳まで住んでいた東京郊外の清瀬・旭丘団地を舞台に父親と息子の関係を軸に親子・夫婦・家族の愛について淡々とした流れの中で語られていく。

 「歩いても・・・」が<ブルーライト・ヨコハマ>なのに対し、今回はテレサ・テンの<別れの予感>のフレーズが題名となっている。

 母・淑子がラジオから流れるテレサの歌を聴きながら「海より深く人を好きになったことなんてないから生きていける」という。また「なんで男は今を愛せないのかねえ」など樹木希林でなければ浮いたようなセリフがさり気なく心に残る。<演技としてみせない演技>はまさに独壇場だ。

 阿部寛のダメ男ぶりは大多数の男に思い当たるシーンのオンパレード。<みんながなりたがっている大人になれるわけじゃない>ことを地で行っている。作家なのに会話で「あれ」が頻繁にでるのは人生が巧くいっていない表れか?

 台風のあとの清々しさとともに映画は終わるが、それぞれの人生は思い通りにならなくても人やモノへの執着を捨てれば少しは楽に生きられることを教えてくれる。

 コンスタントに作品を作り続けている是枝監督には、多少マンネリ感も。次回作は切り口の違う作品を期待したい。

 

 
 
 

「リップヴァンウィンクルの花嫁」(16・日)75点

2016-12-06 11:19:18 | 2016~(平成28~)

  ・ 現在社会の閉塞感に漂うヒロインの寓話


   

 SNSで知り合った鶴岡鉄也と婚約した派遣教師の皆川七海(黒木華)は、式に出席するメンバーが不足して<何でも屋>の安室(綾野剛)に代理出席者を依頼して乗り切り、無事ゴールインする。

 しかし新婚早々、夫の浮気相手の恋人が現れ纏わり付かれ、義母(原日出子)からは逆に浮気を疑われ家を追い出されてしまう。

 SNSで出会った人間関係を基軸に、七海が体験した現代のおとぎ話は何処へ行くのだろうか?

 なんとも不思議な題名は19世紀米国小説家ワシントン・アーウィングの短編集に出てくる主人公名で<米国版・浦島太郎>のような話しだという。

 マルチ・クリエイター岩井俊二の監督・脚本で、なかなかの力作だ。筆者とはあまり縁がなく20年以上前「Love Letter」の予告編を何度も観た以外は、NHK3.11のチャリティーソング「花は咲く」の作詞以外接点はなく、映画は本作が初見。

 調べてみると監督はCMも手掛けており、女優を美しく撮るプロで中山美穂、松たか子、蒼井優など作品から思い出す女優も数多い。故・篠田昇撮影監督とのコンビによるものだったが、今回は彼の助手だった神戸千木が担当している。

 本作は黒木華をイメージして書き起こした部分が多分に覗える。彼女のPVを見るような美しい映像とともに、現在社会が抱える閉塞感や不条理を鋭く突いた辛辣なストーリーが同居する作品だった。

 黒木は「小さいおうち」(14)でベルリン銀熊(最優秀女優)賞を獲っているが、七海のような何処となく受け身で流されそうになりながら順応していく愛おしさのある役がイメージにピッタリ合う。

 相手役の安室を演じた綾野剛は、掴みどころのない怪しげな役柄を見事に演じている。金が全ての行動原理でありながら、終盤で意外な人間性を魅せもう一人の主役。
 
 さらにシンガーソングライターのCoccoが売れない女優・真白で社会の格差・カネの力・自立・恋愛の多様性などを訴える重要な役割を担っていた。

 真白の実母に扮したのがシンガーソングライターの草分け的存在のりりイ。この11月に惜しくも亡くなったが、まだまだ活躍して欲しい人だった。

 本作で岩井俊二の多才な面を知ることができたが、次回も黒木・綾野コンビで違った世界を見せて欲しい。

    

「華麗なるギャツビー」(74・米)65点

2016-12-02 10:36:00 | 外国映画 1960~79

 ・ 米国20年代の空気感を切り取ったラブ・ストーリー。


   

 20年代の米国<ローリング・トゥエンティ>を象徴するF・スコット・フィッツジュラルドの小説「グレート・ギャツビー」を3度目の映画化。

 「明日に向かって撃て!」(58)でブレイクした遅咲きの2枚目スターロバート・レッドフォードと「ローズマリーの赤ちゃん」(68)でスター入りし、私生活でもセレブのミア・ファローが共演。

 脚本は「ゴッド・ファーザー」公開中、パリで執筆中のフランシス・F・コッポラで、監督はジャック・クレイトン。

 ひとりの女性を愛することで、あらゆる手段で巨万の富を得た男の哀しく切ないラブストーリー。試写会が女性ファンで溢れ、通路に座って観た40数年前を思い出す。 

 パンにハエがタカっているシーンから始まる本作は、中西部からNYの証券会社に就職した若者ニック(サム・ウォーターストン)の回想で始まる。

 ニックはシカゴの富豪トム・ブキャナン(ブルース・ダーン)とはエール大の級友でその夫人デイジー(M・ファロー)とは従兄妹の間柄。夫婦はロングアイランドの高級住宅街イースト・エッグに住んでいる。

 ニックはウェスト・エッグに月額80ドルの借家住まいだが、隣人の大邸宅では毎夜バカ騒ぎのパーティが開かれている。この家の主がギャツビー(R・レッドフォード)という謎の男だった。

 豪華な衣装で当時大流行したチャールストンに明け暮れシャンパンを浴びるような男女は29年大恐慌を迎える前の<アメリカの世紀>の空気感が画面から滲み出てくる。

 画面に漸く姿を現したギャツビーは昔の恋人デイジーが現れるのを待って豪華なパーティを毎晩開いていたのだ。

 ニックの取り持ちで8年ぶりに再会した二人。「金持ちの女は貧乏人の男とは結婚できないのよ」と言ったデイジーに<過去は取り戻せると信じた>ギャツビー。

 真夏のロードアイランドに不条理な結末が待っていた。

 R・レッドフォードのギャツビーは麻のピンクのスーツがお似合いのハンサム男で狂気じみた成り上がりの男には感じさせない。当初キャスティングされていたジャック・ニコルソンや4度目の映画化で演じたL・デカプリオのほうがイメージ通り。

 対するデイジー役のM・ファローは上流社会の身勝手な女を見事に演じていてレッドフォード・ファンを敵に廻すほどの好演。

 脇役ではトムの情婦で自動車整備を営むジョージの妻マートルに扮したカレン・ブラックの怪演振りが目を引いた。

 このジョージ夫妻を絡ませることでこの作品の高みを一層引き立たせることになる。

 夫婦の悲しい定めをメガネの広告看板が冷たい視線で眺め、何事もなかったようなトム夫妻にも襲ってくる大恐慌時代を予言しているようだ。