The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

まじめにがんばって成果を出している人を評価しない、社会は駄目だ。

2009-06-23 18:01:30 | Weblog
そういえば安倍首相が再チャレンジって構想を持ってると聞いて驚いた。
無念な首相辞任だったんだろう。現代社会でもいろんな軋轢に負けずにがんばっていたとしても理不尽な理由で解雇される。解雇できない場合には、真綿で首を絞めるようなイジメを会社がするのではなく、周囲が自分が生き残るために実行するんだそうだ。

政治は社会の縮図って感じる。少なくても派手に暴れて好きにやって、尻拭いをさせたれた歴代の自民党党首の苦労は、まさに英国のサッチャー騒ぎの後始末を粛々やっていたブレア首相と重なる。しかし大きな違いは、尻拭いをしているのも関わらず、自党からのサポートはなく孤独としか見えなかった。そんな中で就任した現首相は、よほどの馬鹿かお祭り好きかとまで言われたもんだ。ところが、蓋を開ければ、次々の政策を実施してきた。そろそろ効果測定を経済、財務と発表してはどうなんだろうか? 特に中小企業対策、雇用対策の進捗報告をすればいい。経済回復は日本国民がここ十年以上の悲願とまで言い切ってもいいぐらいに望んだことだ。はっきりいって、教育改革なんてのは成果を出すには数十年かかる。

ひとつには実施した政策を効果測定をして、それを定期的に発表しないってのは政府が悪い。国民が知りたいのは政策を実施した結果がどうであったかでしかない。
今回の防衛問題にしても憲法9条を唱えていたから、手薄になったという結果だ。
また、韓国や中国との外交成果もきちんと発表できる点だけでいいから、進捗を報告して欲しいもんだ。特に食の安全については、今後も中国から輸入するのだから、興味もある。中国にしても米国への輸出が回復しないとの見通しが出てくるぐらいであれば、次に金を産む日本をないがしろにはできないだろう?
だったらこの機に食の安全ってのを日本は売り込むべきだ。むしろコンサルタント料やロヤリティーを貰ってアジア諸国に日本食品を売り込んでもらえばいいんだ。
まあ、食材も中国、台湾製の米と日本米というブランド格差があってもいい。
確かに中国、台湾の米はおいしいし、価格も安い。米通に言わせると粒は小さいんだそうだ。あと茶。これも世界中が緑茶ブームってこともあって中国、台湾の茶も売れている。しかし、玉露になればやはり日本のあの甘さと香りにはかなわない。
反面、烏龍茶という無敵の茶も彼らにはあるから、まあ、いいんじゃないか?
ほかにも100円ショップで売っているような安い食器とか鍋とか結構使える。
そこで価格をやや上げて、品質アップって手も考えられる。あと、車関係のアクセサリーとかだろうか?

相手国が保護に走るってのは、それだけ経済に危機感があるからだ。だから日本は保護に走らない。労働者にしても外国人労働者排除運動すら起きない。これは自慢していいってことじゃないのか? これが日本の底力なんだよ。決して外国人排他をする国ではない。これと日本国の国民対応ときちんと区別して話さないから、問題がややこしくなる。靖国神社は日本が持つ良心なんじゃないかと思う。
もし、靖国神社に日本人の軍人や名士だけが祭られているなら、中国や韓国が言うことも理解できる。ところがあそこには日本国の日本人だけではなく日本国のために共に戦った韓国人や外国人も祭られている。それと外国から呼ばれる戦犯もだ。
神社とは、宗教でいう神とは違う祭り方をしている場所だ。むしろ、戦没慰霊施設でもあるんだが、神社のままでいいんだ。多くの犠牲者のおかげで今日の日本国が存在し、日本人が平和に生活できているって点を忘れないためには神社でいい。
先日、大宰府の祭りがあった。あそこで祭られている人は菅原道真公という人間でその人に肖りたいってことで受験前には大半の受験生がお参りに行く。
何を言いたいかと言えば、神社に祭られる人の成果にあやかりたくて行く、感謝を持ってお参りするって習慣が日本人の心なんだってことだ。

他人の足をひっぱり、自己利益のみ追求するのは人間の欲望そのものだ。
それとは別に感謝する心や成果を出した人をまねて向上しようという気持ちもある。そういったバランス感覚こそ重要なんだと思う。
このバランスがどちらかのみに偏れば、世の中がガタガタをきしみ出し、崩れる。

いい加減卑下した日本国の価値ではなく、もっと自分たちを信じて生きたい。
褒めるってことを嫌うのではなく、感謝とか褒めるとかいいことはみんなで共有して素直に喜べるようになっていきたい。ネガティブではなく、ポジティブにがんばって成果は少しだとしても褒めてもいいだろう。厳しくするだけが人を育てる訳じゃない。特にこういった状況であれば、かすかな希望になればそれが大きな動機につながる。みんなで手をつなぐだけが平和や喜びではない。競争してもその利益をみんなで共有できること、それが一番まともなことだ。

比較してどちらがいいって発想はいい加減やめないと、大切な何かをまた失う。
差別や勝負で負けても何度でもチャンレンジするだけの気力をなくさないことこそ、人生を楽しく生きていくコツだという。
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