tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

中山道「上尾宿から北本駅」まで歩く・・・

2020-02-05 17:38:40 | 中山道六十九次散歩

25日(水)

昨日とは打って変わって、強い風が吹き抜けております。

昨日だったら、寒かっただろうな・・・そんなことを考えております。

昨日の疲れがドッと出ているようですので、上尾宿から北本駅まで歩いた備忘録です。

上尾宿

前回の解散したところが上尾駅でしたので同じ駅に集合です。

上尾宿は、日本橋から数えて5番目の宿場で、江戸から37キロです。

江戸からも近く、飯盛り女もたくさんいたそうで、近在からの遊び人も多く集まり賑わいのある宿だったそうです。

遍照寺山門

浄土宗の大きなお寺さんです。

このお寺の広場をお借りして、準備体操やガイドをしてくれる講師の先生の紹介などをして本格的に歩き始めました。

まずは、遍照寺参拝です。

 

本堂

徳川三大将軍家光より二十石の御朱印を拝領した由緒あるお寺です。

江戸時代より、「上寺」と呼ばれ崇拝され親しまれていたそうで、ご本尊は、大聖不動明王です。

考女お玉の墓

越後の極貧の家に生まれ、11歳で上尾宿の大村楼の遊女となったそうです。

心優しく美しかったそうで、加賀公の小姓に見初められ江戸で暮らしたのですが、悪い病に侵されて、上尾に返されたといいます。

25歳という若さで亡くなってしまいますが、大村楼の主人が日頃の行いに心を打たれておりましたので、立派な墓を建てたそうです。

普通、遊女が死んだ時は無縁仏となりますが、立派なお墓を点ててもらったと評判になったそうです。

上町庚申塔

延享2年の建立。今から275年も前に建てられたことになります。

平成の道標

文字通り平成に作られた道標で、屋根に鍾馗像が乗っている。

上尾宿は、ここが、西口で宿の終わりを示しております。

道標

中山道では珍しい道標を見ながら歩いてゆきます。

 

木戸址

ここから桶川宿です。

中山道6番目の宿場ですが、宿場町としては、大名の参勤交代が始まってから成立したといわれております。

桶川宿が発展するのは、農産物の集積運搬などを取り扱う事で人が集まり、中でも紅花の生産が盛んになるにつれ、ますます発展したそうです。

明け六つ、暮れ六つに開閉されたそうです。

武村旅館

明治時代の旅館だそうで、昔のままの間取りが残り、今でも旅館として営業しているそうです。

浄念寺

浄土宗の寺院で室町後期の創建だそうです。

江戸時代には、「下の寺」として親しまれ、鐘は桶川宿の「時の鐘」と言われていたそうです。

不動明王

不動堂野安置された不動明王です。

中は薄暗くお不動様が見えませんので、カメラの力を借りて拝見いたしました。

(注)フラッシュは使っておりません。

まんじゅう屋さん

お寺さんから大通りに出るとお饅頭屋さんがありましたので寄って見ましたが、あっという間に売り切れになってしまいました。

桶川宿

旧中山道です。

お店がひしめき合っております。

私たちは黙々と歩きました。

 

島村土蔵館の大屋根

島村家は、本陣近くに店を構えた穀物問屋「木島屋」の総本家でした。

天保の大飢饉にあえぐ人たちに仕事を与え、その報酬により多くの人々が飢えから救われたといわれる「お助け蔵」が今は一般公開されております。

当時としては珍しい三階建てになっておりました。

 立派な瓦屋根を積み上げ、財力を見せつけるような建物です。

矢部家

街道に面した蔵造の店舗で、穀物を扱う問屋を営んでいたそうです。

鬼瓦の上に鉄製の棟飾りが出ており、「鳥おどし」と言われておりますが、周辺でも珍しい意匠といえます。

ガイドさんに案内されなければ見上げないでしょう。

本陣跡

埼玉県に残る唯一の本陣跡です。

桶川宿に本陣が置かれたのは、寛永年間と伝えられております。本陣職は、代々甚右衛門を名乗った府川家が務め幕末まで続いたそうです。

 

府川本陣跡

埼玉県の指定文化財になっておりますが、一般には公開されておりません。

江戸時代に誰それが泊まったという看板が出ているだけです。

代表的なのは、やはり「明治天皇行幸在所」の石碑が一番の注目度といえます。

 

稲荷神社

中山道からちょっと入ったところにありますが、桶川郷の総鎮守だそうで、今でも大変な信仰を集めているそうです。

力石

拝殿に向かって右側にある力石。

どう見ても持ち上がるとは思えませんが江戸時代にいたそうです。

江戸の力自慢の三ノ宮卯之助という人物で、嘉永5年の2月に持ち上げたという記録があるそうです。

大雲寺

曹洞宗のお寺さんです。

本陣当主府川家のお墓があり、桶川宿の上方にあったため「上の寺」と呼ばれていたそうです。

一里塚跡

江戸から10里十番目の一里塚です。

よく名所旧跡を訪ねると「跡」という文字を見ますが、こちらの一里塚は本当に跡という字がぴったりでした。

電柱にピタッと張られた文字が何とも侘しい・・

木戸跡

桶川宿の上(京都方面)の木戸です。

ここで宿場は終わりで、時間になると閉められます。

道しるべ

この道しるべは、東松山市にある箭弓稲荷神社への道を示すものだそうです。

以前は、桶川宿から北に分かれる松山道の入り口の建てられたもので、そこから移築され飾り物のように置かれております。

誰が移したかはわからないそいですが、本来の所に移し替えたら、この道しるべも光を取り戻して輝くと思います。

北本市

北本市に入りました。

江戸初期には宿場として賑わっていたそうですが、後に宿場は、鴻巣に移されたといわれております。

多門寺

真言宗のお寺さんです。

大きなムクロジがある寺として有名です。

ムクロジ所を漢字で書くと「無患樹」で、読んで字のごとしで、「患いを無くす木」で殺菌力が強く、昔は石鹸の代わりに使われたそうです。

マンホール

北本市のマンホールです。

桜の名所があるそうですが、知りませんでした。

北本駅

今回の中山道散歩は、ここ北本駅がゴールでした。

歩いた距離は14キロ、歩いた歩数は23.240歩でした。

詳しく案内をしてくれる先生でしたので、私の備忘録も長くなってしまいました。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中山道北本から北鴻巣まで・・・ | トップ | 点前座のバランスは・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。