tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

禅語 「薫風自南来」

2011-05-07 16:34:20 | 禅語今昔
爽やかな5月に入り、風炉のお稽古が始まりました。
お稽古場には「薫風自南来」のお軸が掛けられており、皐月の爽やかな風を感じてのお稽古となりました。

禅語「薫風自南来」ですが、この時期にはよく床に掛けられます。「薫風、南より来る」と読みますが、大方の人は「薫風自南来」を棒読みしますが、どちらでも意味は同じですからそのままでよろしいという事になっております。



このお軸は5月の定番といわれるほど、昔から茶人の間で好んで掛けられております。意味は、前記したように爽やかな5月の風を感じていただければよいことですが、やはり禅語です。もっともっと深い意味が横たわっております。

唐の文宗皇帝が、「人皆苦炎熱 我愛夏日永」(人は皆炎熱に苦しもうと、我は夏日の長きを愛す)と吟じたそうです。すると、近習の文人が「薫風自南来 殿閣生微涼」(薫風、南より来る 殿閣微涼を生ず)と二句をつけ一躍有名になったそうです。

しかし、200年も経ってから現れた、大詩人蘇東坡により、この詩は風雅ではあるが、皇帝の詩として庶民への思いやりに欠けていると評され、自ら四句を付け加えたため、この詩は益々有名になったそうです。

こんな難しい語句ですが、私達は「薫風自南来」を拝見したら涼やかな5月の風を素直に感じられればと思います・・・・。
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禅語 柳緑花紅

2011-04-23 10:26:12 | 禅語今昔
炉の季節最後を飾るお軸は「柳緑花紅」だと思います。

4月に入るとお茶会でよくお見かけいたします。穏やかな風に揺れる芽吹きの柳と日本人の大好きな桜を連想させる「柳緑花紅」はこの時期のお茶席にピタリと収まります。



この禅語は、眼の前に見えるあるがままの姿を素直に述べているに過ぎない語句でありますが、昔から茶人の好みに合いよく茶掛として揮毫されております。

本来の意味は、人間はもとより獣魚草木に到るまで、一切の存在は宇宙の大生命であり、仏教のいう一味平等である。しかし、その働きは千差万別であり、万物がみなそれぞれの個性を発揮しながら存在し、相依り、相扶けて美しい調和の世界を地上に現わしている。そんな意味だそうです。

でも、この爽やかな時期にこの軸に出合ったら、美しいままを受け止めて、柳の緑と花の紅を素直に味わっていただければ十分だと思います。
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禅語「百花春到為誰開」

2011-04-11 18:19:27 | 禅語今昔
春はあらゆる生命が躍動する季節です。そして、無限ともいえる喜びと可能性を私達に感じさせてくれます。

「百花春に到って誰がために開くか」と、この禅語は語りかけております。

花は誰のために咲くのでしょう。もちろん、花には邪心などありません。あるのは、季節を感じ、その時節を感じ、ただ一心に咲こうという使命だけで精一杯咲いているだけです。



今、あの震災以来、テレビを見ては涙。新聞を読んでは涙。という方も大勢いると思います。それは、その人の感性ですから、人に言われて修正できるものではありません。でも、この感性豊かな方は、きっと花を見ても綺麗な景色を見ても感激できる心を持った人だと思います。

一輪の花に感動できる感性を養って行きたい。そして、人のために涙を流せる人間になりたいと常に思っております。



観音様の後には樹齢140年といわれる枝垂桜です。訪れた人は、観音様を通じ誰もが綺麗に咲いた桜に手を合わせ心でそれぞれの想いを念じているのです。
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禅語「春水満四澤」

2011-04-01 15:14:33 | 禅語今昔
早春の水温むころによく掛けられる禅語のひとつです。



拝見すればどなたでも直ぐに想像できるほどの語句でもあります。
目を閉じれば、春の陽をいっぱいに浴びた山々の雪がゆっくりと解け始め幾筋もの澤に集まりさらさらと流れ出していく光景が浮かびます。
出典は、陶淵明の「四時の詩」(しじのし)の「春水満四澤」から、雪解け水を集めてあふれている澤の姿を強調したものと言われております。

3月11日の大震災以来、日本は元より世界の各国から膨大な援助の手が差し伸べられております。
このお軸を拝見して直ぐに、温かな陽射しは皆さんの善意です。その善意によって溶け出した雪(善意の心)が少しづつ澤に集まり、やがて心のこもった大輪となって被災された人々に何らかの形となって届いて行くのです。こんな事を考えてしまいました。
一人でも多くの方が春のお日様のように温かな心を持って、「今、自分に何ができるか」を考えて見る機会でもあります。


お花は「黒文字 藪椿」です。
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禅語「地搪春草生」

2011-03-25 15:24:30 | 禅語今昔
大災害の復興もままならない昨今ですが、お茶のお稽古も再開になり、お茶室には「地搪春草生」のお軸が掛けられておりました。


花は瀬戸のつる首に黒文字と春曙光椿。


宋の詩人謝霊運の句で、春になって池や沼の周りには草が萌え出る情景で、春の巡ってきた喜びと生命力あふれる気概を現しているそうです。
やはり一見すると早春の息吹を感じさせますが、これを私達人間に置き換えて考えて見ますと、「徳や知識教養のある人の周りには人が集まり、その人たちは、自分の意思とは関係なく知らず知らずのうちに知識や教養を身につけ育って行く」こんなふうに考えてしまいす。


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小さなお茶室からの旅立ち

2011-03-22 15:45:14 | 禅語今昔
今日は、小さなお茶室で卒業生を送るささやかなお茶会を開きました。炉が切ってあるというだけの小さなお茶室ですが、卒業生にとっては思い出のいっぱい詰まった自分達だけのお茶室です。

今日は御料理屋さんから仕出しを取っての豪華版です。楽しかった事、これからの事、それぞれが期待と不安の交錯する中、今日だけは美味しいお料理にしたつづみ、下級生の皆さんありがとうと感謝を込めて・・・・。



長板で床を作り、天竜寺管長平田精耕老大師の色紙「朱竹  為君葉々起清風」お花は、「黒文字に大紅・白玉椿」の紅白です。
朱竹は、中国延平山だけに生息するといわれ、この朱色の竹には、「寿徳 福徳 財徳の三徳が宿る」という故事から、おめでたい時によく掛けられます。

賛の「為君葉々起清風」は、修行を終えた僧が旅立つ時に送りに出た老僧が、「わしには貴方達に送る物が何もありません。しかし、ここに生えている竹すら貴方達の門出を祝ってそよそよと揺れている。」こんな気持ちを表したものだそうです。

卒業生を送り出すのにはピッタリの言葉でした。皆さんには大きく羽ばたいて欲しいと心より願うばかりです。
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禅語「円相 」

2011-03-07 17:21:53 | 禅語今昔
今日は雨模様、何処やら雪も降ったような寒い一日でした。
茶道には欠くことができない道具にお軸があります。遥か昔、茶道が確立されようとしていたころは、唐の高僧の揮毫した軸を掛けて楽しんでおりました。
今では、床の間のお軸により、茶趣を思い季節を感じるというように禅語の使い方が変わってきております。禅語にはそれぞれ深い意味だありますが、それはちょっと横に置いておいて、今を感じていただくというのが大方のお茶会でのお軸の役割になっております。





写真のお軸は、「円相   如太虚 無余無欠」です。この禅語で何を感じてくれたでしょうか?
大きな宇宙を思う人も居るでしょう。円相をお月様に見たり、お腹の空いている人はまんじゅうに見えるかも知れない。好きな人の顔を想いだす人も・・・・。見たことを自分の中に取り込み素直に感じることが大切です。

雨音を聴きながらこんな事を思う一日でした。
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