アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

なぜ「天皇制廃止」を議論しないのか

2019年10月31日 | 天皇・天皇制

     

 22日の徳仁天皇「即位の礼」について、新聞各紙は社説や「識者」インタビュー、連載などで論評しました。そこには重要な共通点があります。

 朝日新聞は社説(23日付)で、「正殿の儀」の天皇の「おことば」を「憲法にのっとり、国民統合の象徴としての務めを果たすと誓うもので…適切といえよう」と評価しながら、「前例踏襲」の「政府の事の進め方には大きな疑問がある」としました。

 毎日新聞の社説(23日付)も、「おことば」を「上皇さまのように『国民に寄り添いながら』象徴の役割を行動で果たそうとの思いがにじむ」と賛美する一方、儀式について「前例踏襲を決めたことには問題が残った」としました。

 毎日新聞は23日付で、「天皇制のこれから」と題して3人の「専門家」のインタビューを載せました。
 河西秀哉名古屋大准教授は、明仁天皇(当時)が「公的行為」を拡大してきたことについて、「大成功した。類まれな能力と見識を持った天皇だった」と絶賛する一方、「皇位継承問題の解決のためにも、女性・女系天皇についての議論は一刻も早く前に進めるべきだ」と求めました。

 原武史放送大教授は、雅子皇后をとりあげ、「平成時代の象徴天皇制のスタイルが変化しつつある」とし、「新しい天皇は今後、私的な外出を増やし、一般国民やこれから増える外国人と自由に対話できれば良いと思う」と述べました。

 菅孝行氏(評論家・劇作家)は、「天皇制を巡る近年の変化で特徴的なのは…批判的な言論がほぼ消えたことだ」「以前は天皇制に批判的だっただろう『識者』も、この数年、天皇個人どころか天皇制への支持まで公言しだしている」と指摘。一方、「上皇(明仁―引用者)本人は、心底、民主主義や平和主義を体現しようとしたのだろう」と述べ、「象徴天皇制は、曲がり角にきている」と述べました。

 朝日新聞は27日から3回にわたって「令和の天皇 象徴の行方」と題した連載を掲載。1回目で「皇位継承問題」、2回目で「雅子皇后」、3回目で「公的行為問題」を取り上げました。

 これらの論評に共通しているのは、明仁上皇を賛美するとともに、天皇制が存続しいっそう国民に浸透するにはどうすればいいか、という立場に立って発言・提言していることです(菅氏を除き)。

 なぜ天皇制の必要性・存続そのものを根底から問い直さないのでしょうか。

 「即位の礼」が政教分離・国民主権の憲法原則に抵触することを指摘しながら、天皇制の存続を主張するのは矛盾です。なぜなら、政教一致は天皇制の本質だからです。
 例えば、「高御座」「三種の神器」のない「即位礼正殿の儀」を天皇(天皇制勢力)が受け入れるでしょうか。天皇と天照大神、「三種の神器」は切っても切れない関係です。

 そもそも天皇制は人間を生まれながらに差別する身分制度であり、普遍的人権とは根本的に相いれません。
 国の制度としての天皇制は廃止すべきです。憲法の天皇条項(第1条~8条、第88条)は削除すべきです。

 いま必要なのはその根本的議論を始めることです。それを避けているのは、メディア、政党、「識者」、市民が「天皇タブー(菊タブー)」の虜になっているからです。タブーを排して、天皇制の必要性・存廃について議論を始めようではありませんか。

 


「天皇即位礼」と自衛隊

2019年10月29日 | 天皇制と日米安保

     

 22日の徳仁天皇「即位の礼」で見過ごすことができないもう1つの重大な問題は、天皇と自衛隊の親密な関係が強調されたことです。

 「天孫降臨」を具現化した「高御座」から徳仁天皇が「即位」の「宣明」を行い、それを受けて安倍晋三首相が「寿詞」を読み上げたのに続き、「天皇陛下万歳」を三唱。その時、大砲が鳴り渡りました。その数21。陸上自衛隊による「礼砲」です(写真左)。

 陸上自衛隊はその動画をユーチューブに投稿し、こうコメントしています。
 「陸上自衛隊は、即位の礼において、天皇陛下に対する祝意を表す礼砲を実施しました。総理大臣の万歳三唱に合わせて21発の礼砲が周囲に響き渡り、無事に任務を完遂することができました」

  自衛隊は「礼砲」によって、「即位礼正殿の儀」に参加し、その「任務を完遂」したのです。神道儀式による天皇の「即位宣明」、首相の「寿詞」と「天皇陛下万歳」、そして「皇軍」の末裔である自衛隊の「礼砲」――まさに天皇・政府・軍隊の三位一体によって戦前の天皇制帝国日本が再現された光景です。

  「天皇即位礼」にに対する自衛隊の「祝意」表明は、陸自の「礼砲」だけではありませんでした。海上自衛隊はこの日、朝から夕方まで艦船に「日の丸」を中心とした「万国旗」を掲揚しました。「満艦飾」です(写真中)。夜は電飾による「電燈艦飾」になったといいます。
 海自呉総監部の広報係長は、「天皇陛下ご即位に対する敬意を表しております」とコメントしています(22日の中国地方ローカルニュース)。

  自衛隊と天皇の関係は発足当時から特別なものがあります。帝国日本の侵略戦争・植民地支配の“旗印”となった「旭日旗」を、陸自、海自とも隊旗、艦旗として掲げ続けているのはその象徴です。

 昨年、韓国が自衛隊に済州島で行われる国際観艦式での「旭日旗」自粛を求めた時、河野克俊統合幕僚長(当時)は記者会見で、「海上自衛官にとって自衛艦旗(旭日旗)は誇りだ。降ろしていくことは絶対にない」と言い切りました(2018年10月6日付朝日新聞)。自衛隊にとって「旭日旗」は「誇り」なのです。自衛隊トップがそう公言する根底には、天皇への忠誠心、天皇制軍隊への思慕があるのではないでしょうか。

 自衛隊の天皇への特別の思いを示すものはまだあります。
 昨年3月、安倍政権は自衛隊に「日本の海兵隊」といわれる「水陸機動団」を創設しました。その団旗の意匠はなんと、「三種の神器」の1つ「草薙の剣」です(写真右)。22日の「即位礼当日賢所大前の儀」では天照大神を祀る賢所へ入る徳仁天皇を先導し、「正殿の儀」では「高御座」で天皇の横に安置された、あの「草薙の剣」です(皇居にあるのはレプリカ。本物は熱田神宮に安置)。

  天皇は自衛隊にとって特別の存在なのです。「旭日旗」や「三種の神器」を旗印にすることが彼らの「誇り」です。「礼砲」はまさに自衛隊の心からの「祝意」の表明だったのでしょう。
 「安保法制」によって日米軍事一体化、自衛隊海外派兵が公然と行われるようになったのと軌を一にして、天皇と自衛隊の特別の関係が誇示されるようになってきました。そのことの重大な意味、危険性に目を向けなければなりません。


「即位礼」もうひとつの憲法違反

2019年10月28日 | 天皇・天皇制

     

 「即位礼正殿の儀」(22日)が政教分離、国民主権の憲法原則に抵触する宗教儀式であることは、比較的広く指摘されています。しかし、同じ日に「即位礼」の一環として行われた儀式がきわめて重大な憲法違反の場となったことはあまり知られていません。

  その儀式とは、「正殿の儀」に先立って午前9時から行われた「即位礼正殿の儀当日賢所大前(かしこどころおおまえ)の儀」です。天皇が、「三種の神器」とともに皇祖神・天照大神が祀られている「賢所」に入り、天照に「正殿の儀」を行うことを「奉告」(報告)する儀式で(写真左)、天皇が古来文字で書かれた「御告文(おつげぶみ)」なるものを読み上げます。

 「賢所」に続いて、天皇は「皇霊殿」(皇室の祖先)、「神殿」(国内の神々)でも「奉告」を行います。また、天皇に続いて、皇后、秋篠宮(皇嗣)ら皇族も同様に三殿に入ります。「御告文」に何が書かれており、どんな動作が行われるのかなど、内容はすべて秘密にされています。

 これは明らかな宗教(神道)行事(秘儀)です。さすがの政府もそれは認めざるを得ず、「正殿の儀」と違って「国事行為」とすることができず、「皇室の行事」として行われます。
 ところがこの「皇室の行事」が「国事行為」と混然一体化し、重大な憲法違反を生じています。

 第1に、この宗教儀式に安倍首相ら「三権の長」や地方自治体の代表が参加していることです。

 安倍氏らは徳仁天皇が天照大神に「奉告」する間、「賢所」の近くの軒下で、直立不動でそれを見守っていました(写真中、右)。これは「賢所大前の儀」への事実上の参列・参加と言って過言ではありません。もちろん彼らは「私人」ではなく、公人・公務として参列・参加しているのです。
 憲法第20条は「国及びその機関は…いかなる宗教活動もしてはならない」と明記しています。首相ら「三権の長」、地方自治体代表の「賢所大前の儀」への参列・参加は明白な憲法違反です。

 第2に、憲法は宗教活動への「公金その他の公の財産」の支出を禁じています(第89条)。全国の地方自治体代表が参列・参加するための旅費はもちろん公金(市民の税金)から支出されています。公金を使った「賢所大前の儀」への参列・参加が憲法に反していることは明らかです(「正殿の儀」に参列するツイデという言い訳は通用しません)。

  第3に、では安倍首相らが参列しなければ問題はないかといえば、そうではありません。「皇室の行事」(宮中祭祀)の費用は、皇室財政の中の宮廷費から支出されます。これは国の予算です。つまり、「宮廷費」という名前で宗教活動に公金が支出されているのです。憲法の原則に反することは明らかです。
 しかし、皇室財政は国の予算で賄うことは憲法で規定されています(第88条)。したがって「宮廷費」からの支出は憲法違反にはなりません。つまり、憲法は皇室に限り宗教活動への公金支出を公認しているのです。これは憲法・「象徴天皇制」の根本的矛盾、問題点です。

  以上のように、「賢所大前の儀」は重大な憲法違反の場となりましたが、それはもう終わった話だと片づけることはできません。なぜなら同じこと、すなわち明確な宗教儀式であるために「国事行為」にはできす「皇室の行事」とされながら、実質的には「国事行為」のように扱われ、メディアが報道する儀式がもうすぐ行われようとしているからです。

 それが、皇室神道行事の中でも最も重視されている(したがって最も宗教性の強い)儀式である「大嘗祭」(11月14、15日)です。その違憲性をけっして黙過・容認することはできません。


日曜日記72・「即位礼」と沖縄・「皇室世論調査」が示すもの

2019年10月27日 | 沖縄と天皇制

 ☆「即位礼」と沖縄

  「即位礼正殿の儀」(22日)に王貞治や澤穂希、松本白鴎らが招待され、嬉々として参列したことは別に珍しくもないが、沖縄の相良倫子さん(15)が参列したことには心が痛んだ。
 相良さんは昨年の「沖縄慰霊の日」(6月23日)で「平和の詩」を読み上げた(当時中学3年)ことが“評価”されて招待された。儀式後、相良さんが「平和を祈り、願う気持ちは陛下も私も同じ」(23日付琉球新報)とコメントしたようすはテレビでも流された。 

 沖縄の青年が「陛下」(天皇への忠臣の表明)という言葉を使ってこうしたコメントをし、それを沖縄の県紙が好意的に大きく報じる。なんともやるせない。そう仕向けた「本土」の国家権力に怒りが湧いてくる。

 相良さんだけではない。NHKはこの日、朝の放送開始から深夜まで「即位礼」一色だったが、その中で何度か沖縄の国立戦没者慰霊碑と中継し、遺族代表に天皇賛美のコメントをさせた。

 明仁天皇の「在位30年記念式典」(2月24日)もそうだった。沖縄出身の三浦大知を起用し、天皇賛美の歌を歌わせた。天皇・皇室の重要な儀式があるたびに「沖縄」を引き込む。

 「沖縄」に負い目があるからだ。沖縄を捨て石にして地上戦の地獄をつくり、戦後は「天皇メッセージ」で沖縄をアメリカに売り渡したのは、天皇裕仁だ。その責任に一貫してほうかむりする一方、逆に「沖縄」を取り込もうとする。これは今日版皇民化政策にほかならない。

 琉球新報、沖縄タイムスを含め沖縄の人々がそれに疑問を持たず、むしろ歓迎しているようにみえるのはきわめて不幸なことだ。いや、そういう状況をつくりだしている「本土」の「日本人」こそ、罪が深い。

 ☆最新「皇室世論調査」が示すもの

  「即位の礼」の前日、NHKは皇室に関する世論調査結果を流した。それによれば、「皇室への親しみ」…「感じている」71%、「感じていない」27%。「皇室と国民の距離」…「近くなった」69%、「変わらない」24%、「遠くなった」3%。
  これをNHKは「7割が皇室に親しみ」との見出しで皇室が国民から親しみを持たれていると報じた。そうだろうか。

 2つの質問項目に対する回答傾向はぴったり一致している。27%の「国民」は皇室に「親しみ」を感じていない、距離も近くなったとは思っていない、ということだ。
 この数字はきわめて大きい。なにしろ、NHKはじめすべてのメディアが天皇・皇后、秋篠宮家をはじめとする皇室の動きを逐一賛美する報道を流し続けている中で、しかも「即位礼」を目前にして行われたNHKの世論調査だ。ほとんどが「親しみを感じている」と答えてもおかしくない。
 にもかかわらず約3割が「ノー」と答えた。国家・メディアがどんなに笛を吹いても、踊らない「国民」がこれだけいるということだ。

 憲法第1条は、天皇の「象徴の地位」は「主権の存する日本国民の総意に基づく」としている。「象徴天皇制」の土台だ。しかし、約3割の「国民」はそうは思っていないということだ。「親しみ」を感じられない「象徴」などありえない。少なくとも「象徴の地位」が「国民の総意」でないことは否定できない事実だ。「3割」はけっして無視できる数字ではない。「象徴天皇制」は根本から問い直されなければならない。

 


徳仁天皇「即位宣明」の3つの重大問題

2019年10月26日 | 天皇・天皇制

     

 22日の「即位礼正殿の儀」で徳仁天皇が行った「即位宣明(お言葉)」に対し、「国民に寄り添う」「平和への決意」などと報道は賛美一色です。ハンギョレ新聞ですら、「『平和』と『憲法』を取り上げて論じたことは意味が大き(い)」(23日付社説)と評価しています。こうした賛美・評価ははたして妥当でしょうか。
 「宣明」には少なくとも3つの重大な問題があります。

 ①   「正殿の儀」による「即位宣明」自体が憲法違反

 「宣明」は、「ここに『即位礼正殿の儀』を行い、即位を内外に宣明いたします」と述べました。「正殿の儀」によって正式に即位しそれを宣言する。それが「宣明」の意味であり、「正殿の儀」自体の目的もそこにあります。

  しかし、広く指摘されているように、「三種の神器」を置いた「高御座」は天照大神の座で、「天孫降臨」の神道に基づく明確な宗教儀式です。それを国事行為として国費を投じて行うことは政教分離に反する明白な憲法違反です。

 さらに、天皇が高い位置から即位を「宣明」し、それを受けて首相が壇下から「お祝い(寿詞)」を述べ、「天皇陛下万歳」を三唱するのは、「国民を主権者と明示した日本国憲法と真っ向から反する、主客転倒した儀式」(渡辺治一橋大名誉教授)にほかなりません。

 憲法違反の儀式における憲法違反の「宣明」を賛美・評価することなどできないことは明白です。

 ②   憲法違反を犯しながら「憲法にのっとり」という欺瞞

 「宣明」が「憲法にのっとり」と言ったことを評価したり、「憲法を順守」と比較して論評する向きがありますが、「順守」であろうと「のっとり」であろうと、徳仁天皇が護憲を口にしたことは確かで、そのこと自体が問題です。

 前述のように徳仁天皇が行った「宣明」自体が憲法を逸脱しています。自ら憲法違反を犯しながら、「憲法にのっとり」と護憲を口にする。これほどの欺瞞はありません。
 それは、第1に「正殿の儀」の違憲性を覆い隠し、第2に天皇自らの違憲行為を隠ぺいする、二重の違憲隠ぺいと言わねばなりません。

 ③   明仁前天皇の継承は、憲法逸脱、戦争責任・植民地支配責任隠ぺいの継承

 「宣明」は、「上皇陛下が30年以上にわたるご在位の間…お示しになってきたことに改めて深く思いを致し…」として、明仁前天皇の活動を引きつぐことを明言しました。これが「宣明」全体の基調です。新聞各紙あるいは多くの「識者」もその点を肯定・評価しています。これはきわめて問題です。

 明仁前天皇が在任中に行ったことは何だったでしょうか。「被災地訪問」「戦地慰霊」「福祉施設訪問」などパフォーマンスは活発でしたが、その言動の本質は2つあったといえます。

 1つは、憲法(第6条、7条)に規定されている「天皇の国事行為」を逸脱し、いわゆる「公的活動(天皇としての活動)」なるものを勝手に作り出し、拡大していったことです。その典型・帰結は、憲法違反の「生前退位」でした。
 こうした「公的活動」、天皇自身の意思による公的言動が、第6条、第7条および第2条(皇位継承)、第5条(摂政)、第4条(国政への関与禁止)などに反していることは明らかです。

 もう1つは、父・裕仁天皇の侵略戦争・植民地支配責任を一貫して隠ぺいし、逆に裕仁を擁護してきたことです。
 明仁天皇が沖縄に11回行ったことが美談のように語られていますが、11回も行きながら、裕仁が沖縄を「捨て石」にし、戦後は「国体護持」のために沖縄をアメリカに売り渡した責任について言及・謝罪したことは1度もありません。
 それどころか、明仁天皇は折に触れ(誕生日会見などで)、裕仁を「尊敬している」と擁護し持ち上げてきました。

 明仁路線を賛美し引き継ぐことは、こうした憲法違反の公的・政治的言動、戦争責任・植民地支配責任隠ぺいを引き継ぐことにほかなりません。

 明仁天皇在任中、安倍晋三首相との対比で、天皇を「平和・民主の人」と美化する論調が、いわゆる「民主勢力」の中にも少なくありませんでした。それは重大な誤りです。同じ誤りを徳仁天皇に対しても繰り返すことは許されません。