中国・深圳で18日午前、日本人学校に通う児童(10)が男に刺され、その後死亡しました。その動機を含めこの事件の詳しい内容はまだ(20日夜現在)分かっていません。
にもかかわらず日本のメディアは、「日本人学校“愛国”の標的に」の見出しをつけ、「事件が起きた18日は満州事変の発端となった柳条湖事件から93年を記念する行事が中国各地で開催され、反日感情が高まっていた」(20日付京都新聞=共同配信)と書き、事件の動機が政治的なものであるかのような印象を与えています。
「識者」コメントの中にも、「柳条湖事件から18日で93年…容疑者は、この節目の日を選んで反日感情を示す行動に出た可能性がある」(静岡県立大客員研究員・諏訪一幸氏、19日付朝日新聞デジタル)とするものもあります。
しかし今は、「容疑者像や動機について情報がない以上、この痛ましい事件について軽々にコメントすることは差し控えねばなりません。原因を究明し、再発防止策を講じることは極めて重要ですが、個別の事件をもって中国社会全体、日中関係全体を語ることは禁物です」(小嶋華津子・慶応大学教授、20日付朝日新聞デジタル)という指摘こそ傾聴すべきでしょう。
事件に政治的動機があるのかどうかはこれからの問題として、そもそも「柳条湖事件」とは何だったのか、どういう意味をもつ「事件」だったのかを、どれほどの日本人が知っているでしょうか。
それが分かっていなければ、「柳条湖事件から93年」と言われても、ただ、中国人は100年近く前のことで反日感情を強めるのか、という反中国感情を掻き立てるだけではないでしょうか。
「1931年9月18日、自らの手で柳条湖付近の満州鉄道線路を爆撃した関東軍は、これを中国側の犯行であると称して、満州(中国東北地方)全土の軍事占領に乗り出した。関東軍の狙いは、日本帝国主義にその鋒先を向けていた中国の反帝民族運動を制圧し、満州を対ソ戦のための軍事基地として確保し、さらにはこの戦争をきっかけとして、日本国内の政治体制をファシズム体制の方向に切り換えていくことにあった」(吉田裕氏『天皇の昭和史』新日本新書1984年共著)(写真右は爆撃直後の現場)
「柳条湖事件」はたんなる一地域の単発的な「事件」ではありませんでした。それは帝国日本の15年にわたる中国・東アジア侵略戦争、そして国内ファシズム体制確立の突破口となった謀略事件だったのです。
中国が「9・18」を「国辱の日」としているのはそのためです。
そして日本は、今に至るもその侵略戦争に対する真摯な反省をおこなっていません(閣僚・国会議員の「靖国参拝」はその一例)。歴代自民党政権は侵略戦争の歴史の隠ぺい・改ざんを図ってきました(教科書検定など)。
いかなる理由・背景があろうと、暴力が許されないことは言うまでもありません。
同時に、国と国の関係は両国間の今日に至る歴史を抜きには考えられません。
とりわけ中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国とどういう関係を築いていくかを模索するうえで、日本が犯した侵略戦争、植民地支配の歴史認識は不可欠です。国家権力が隠そうとするその歴史を知ること学ぶことは日本市民の責任です。