83年前の12月8日、太平洋戦争の火ぶたが切って落とされました。先の戦争を記憶・伝承する上で忘れてはならない日です。
しかし、「12・8」がどういう日なのか知っている日本人、とりわけ若い世代の人はどれほどいるでしょうか。「8・15」にくらべ、その認知度は圧倒的に小さいでしょう。教科書で重視されず、メディアも「8月ジャーナリズム」とくらべてきわめて軽視しているからです。
なぜ「12・8」は「記憶する日」として軽視されているのでしょうか。
明仁上皇、美智子上皇后は天皇・皇后時代から、「記憶する日」として4つの日決め、皇居内で追悼しているといいます。「8・15」「8・6」「8・9」そして「6・23」(「沖縄慰霊の日」)です。「12・8」は入っていません。現天皇徳仁もこれに倣っているといわれています。
これはきわめて象徴的です。
「12・8」と他の4つの日とは性格がはっきり異なっています。「12・8」は日本がインドシナ(シンゴラ、コタバル)へ、続いてハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃をかけ、太平洋戦争を仕掛けた日です。日本の「戦争加害の日」です。対して他の4つは、性質は異なりますが、いずれも日本が大きな打撃を受け敗北した、いわば「戦争被害の日」です。
日本が太平洋戦争の開戦を宣告したのは、「12・8」の午前11時(真珠湾攻撃から7時間半後)に発布された天皇裕仁の「宣戦詔勅」です。裕仁はこの「詔勅」を、「帝国の光栄を保全せむことを期す」という言葉で結びました。
「12・8」は日本の「戦争加害の日」、具体的には「天皇裕仁の太平洋戦争加害の日」なのです。
明仁上皇や徳仁天皇がこの日を棚上げし、「天皇の聖断」などと喧伝される「8・15」などを「記憶する日」としているのは、さもあらん、というところですが、問題は学校教育とマスメディアによって、それに「国民」が巻き込まれていることです。
これがいかに理不尽なことか、韓国と比較すれば明瞭です。
韓国で「戦争」といえば朝鮮戦争ですが、「記憶する日」とされているのは「休戦協定」が締結された「(1953)7・17」ではなく、戦争が始まった「(1950)6・25(韓国語読みでユギオ)」です。その意味を翻訳家の斎藤真理子氏はこう指摘しています。
<韓国で、開戦の日付によって戦争が記憶され、語られていることは重要だ。日本では「八・一五」を終戦記念日として記憶し、毎年式典を開いて平和を祈っている。しかし、日本が真珠湾攻撃を行って太平洋戦争が始まった十二月八日には重きを置かない。つまり、戦争の出口だけを記憶し、入り口、つまり自分たちが戦争を始めた日のことは意識しない。
逆に韓国では、戦争の入り口である六・二五を絶対視し、休戦協定が成立した七月十七日には関心を寄せない。(中略)
「六・二五(ユギオ)」という呼び名の定着は、韓国社会が絶えず戦争の始まりに着目し、開戦の責任はどこにあるのかを強調してきたことを想起させる。この呼称一つに、戦争とともに生きてきたこの国の人々の思いが凝縮しているともいえよう。>(斎藤真理子著『韓国文学の中心にあるもの』イースト・プレス2022年)
今回の尹錫悦大統領の「非常戒厳」に対し多くの市民が即座に抗議行動に立ち上がりました(写真右)。平和・民主主義の危機に対する韓国市民のこの敏感さは、「6・25」によってたえず「開戦の責任」を意識する市民社会の土壌がつくられていることと無関係ではないのでしょう。
この点こそ日本市民に最も欠けている(失わされている)ことであり、韓国市民から学ぶべきものではないでしょうか。