アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

病床日記9★「9・11」20年と「日米軍事同盟隠し」

2021年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月21日(入院14日目、術後8日目)>

食事は三分粥と刻み食から、五分粥とやわらかい固形食に変わった。とても美味しい。
患者の症状に応じて幾通りものメニューを、栄養価を計算し、しかも美味しく作る苦労、そして技術はたいへんなもの。感謝にたえない。

★「9・11」20年と「日米軍事同盟隠し」

 「9・11」20年でメディアは、このかんのアメリカの政治・軍事を回顧した。それはそれで必要だが、肝心な問題がすっぽり抜け落ちている。
 「9・11」20年を機に日本人・メディアが検証しなければならない最大の問題は、日米軍事同盟(安保条約体制)がこのかんいかに深化したか、である。

 ブッシュ政権(当時)のアフガン攻撃に追随し、小泉純一郎政権は中東に自衛隊を派遣した。これを機に、米軍と自衛隊(日本軍)の従属的一体化がいっそう強まった。それは戦争法(安保法)による集団的自衛権行使という明確な憲法違反へつながっていった。

 その流れは今、沖縄諸島のミサイル基地化へ、さらに、日、米、韓からインド、オーストラリア、イギリスを含む軍事同盟の広域化へと、かつてなく危険な段階に入っている。

 日本人がいま検証しなければならないのは、日米軍事同盟によるこうした日本自身の政治・軍事の経過と実態である。

 ところが、私が見た限り、こうした視点からの検証・論評は皆無だ。

 これは、「日米軍事同盟隠し」にほかならない。そしてこれこそ、国家権力に順応する日本メディアの根本的で致命的な欠陥である。

 「日米軍事同盟隠し」はもちろん、「9・11」検証だけではない。

 巨額な軍事費(防衛費)の聖域化(削減議論の皆無)、自衛隊という憲法違反の軍隊の社会化、沖縄の軍事基地への「本土」の無関心などは、すべて「日米軍事同盟隠し」に根源がある。

 かつては、「菊(天皇制)タブー」、「鶴(創価学会)タブー」などとともに「星(星条旗)タブー」といって、日米軍事同盟をタブー視するメディアが批判されることもあったが、いまではそうした声すら聞かれない。

 それだけ「日米軍事同盟隠し」が常態化・日常化しているということだ。

 それはすなわち、日本がいっそう危険な軍事体制国家になってきているということであり、それと並行して、日本人の思考停止、国家権力への従順化が進行しているということに他ならない。
 これが日本人にとっての最大の問題だと思う。


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病床日記8★日本の「専門家」はなぜ金太郎飴なのか

2021年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月20日(入院12日目、術後7日目)>

今日の昼食から、やわらかい固形物のおかずが2品付いた。美味しかった。
退院まではおそらくこのまま順調に回復するだろう。
次の関門は、もうすぐ検査結果が出る「ステージ」の判明と、今後の治療方針だ。
早ければ今週末には退院できるという。

日本の「専門家」はなぜ金太郎飴なのか

 19日夜のNスぺで、尾身茂会長ら政府「分科会」のメンバー4人と、各分野の市民約10人がコロナ対策をめぐって討論した。

 「夜の街」に密着取材しているラーター、子ども食堂を運営している女性、ライブハウス経営者、飲食店オーナーなど、現場の声は切実で、共感できた。フランスから帰国した女性の話も貴重だった。

 尾身氏らは「市民のみなさんと直接話せて有意義だった」と語った。
 何をいまさら。これくらいのことさえ今までやってこなかったのか。政府の「分科会」がいかに現場から遊離した存在であるかを逆に露呈した。NHKのアリバイ作り企画という側面もある。

 とはいえ、現場の市民の声・批判がNHKで放送された意味は小さくない。

 だが、コロナ禍における「専門家」の役割、市民と「専門家」の交流というとき、昨年からずっと気になっていることがある。
 それは、メディアに登場する「専門家」が、金太郎飴、すなわちほぼ同じ顔ぶれになっていることだ。

 コロナ(感染症)の「専門家」といえば、「分科会」や厚労省の「専門家会議」のメンバーということになっている。その固定化はだんだん強まっている。

 日本に感染症・医学の「専門家」はこれだけしかいないのか。

 そんなことはない。児玉龍彦氏や、山中伸弥氏らはどうしているのだろう(ほかにも何人か顔が浮かぶが、入院中で手元に資料がない)。
 私はネットをほとんど見ないから、ネット社会では様々な人々が発言しているのかもしれない。
 だが、テレビや新聞など従来のメディアの力はいまだ大きい。
 多様な専門家の多様な意見・提言が、メディアで広く共有される必要がある。

 また、「ウイズ・コロナ」の社会のあり方を模索するには、憲法・法学、人権論、社会学、哲学など、人文・社会分野の幅広い専門家の知見が欠かせない。
 しかし、「コロナの専門家」といえば、尾身氏ら医療官僚や医師にほぼ限られている。これも日本の混迷を深くしている要因の一つだ。

 「コロナ禍」の教訓の1つは、各分野の専門家が多様な見解を自由に発表し、市民と共有し、学問的知見と現場の声・実感を結び付けて進路を切り開いていくことの重要さ。

 「専門家」の金太郎飴化は、学問的知見の国家独占・情報操作、学者・知識人の国家支配と裏腹の関係である。


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病床日記7・セカンドオピニオンの難しさ★日本記者クラブは恥を知れ

2021年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月19日(入院11日目、術後6日目>

 起き上がる時の痛さはまだあるが、傷口の痛みもだいぶやわらいだ。
 食事は、重湯とみそ汁とジュースで変わらない。

セカンドオピニオンの難しさ

 がんの宣告を受けたら、手術の前に必ずセカンドオピニオンを受けよう。
 そう以前から考えていた。
 しかし、それは現実的に不可能だった。

 腹痛で救急車を呼び、搬送可能な病院に運ばれ、緊急入院。
 検査の結果、大腸がん(進行性)。「1日も早い手術が望ましい」と。
 この過程で、セカンドオピニオンが入り込む余地はなかった。
 そもそも転院できる身体状況ではない。コロナ禍もある。

 救急車でたまたま運ばれた病院で、たまたま当直だった先生に診てもらい、手術の執刀もしていただくことになった。
 「もう、これは運命と受け入れるしかない」
途中からそう観念した。

 がん検診を受けていなかったこと、したがって早期発見できなかったこと。
 やはりそれが、最大の問題だったのだろう。

自民党総裁選討論会を主催した日本記者クラブは恥を知れ!

 18日、日本記者クラブが自民党総裁選4候補の「討論会」なるものを主催した。
 それをNHKは生中継した。
 他の民放各社も当日のニュースで流した。
 新聞は例外なく翌日の朝刊でこれを大きく報じた。

 自民党総裁選のたびに繰り返されている光景だが、やはり黙っているわけにはいかない。

 君たちには、自分がいかにジャーナリズムの道から逸脱し、国家権力に屈服・順応した恥ずべきことを行っているかという自覚や羞恥心は、微塵もないのか。

 今回は、衆院選挙の直前だけに、その罪はかつてなく重い。

 メディアが「自民党総裁選報道」に狂奔することがなぜジャーナリズムの道に反しているか。3つ理由がある。

  1. 自民党総裁選は自民党内の役員選挙、すなわち自民党の党内問題であり、一般市民・有権者には関係ない。その証拠に、一般市民にはこの「選挙」の投票権はない。にもかかわらずそれがまるで公の重大事であるかのように連日に追いかけるのは、市民の立場に立ったニュース報道の原則を逸脱している。

  2. 4人はいずれも自民党の幹部であり、安倍・菅政権を支えてきた連帯責任者だ。かれらの「政策」「公約」なるものに基本的な相違があろうはずがない。自民党総裁選は党内の派閥抗争にすぎないのだ。にもかかわらず、まるで新たな政策展開があるように描くのは、ミスリード・虚偽報道に近く、自民党政権の失政の隠ぺいに加担するものである。

  3. 連日の報道で自民党幹部らに党の基本政策を言いたいだけしゃべらせ、それを大きく報じ、「改革」イメージを植え付けることは、自民党にとってこの上ないPRである(しかも無料の)。それは「不偏不党」どころか、自民党(政権政党)の広報機関化と言っても過言ではない。とりわけ本来の政治決戦である衆院選を前にして、その罪はきわめて重大である。

 以上の3点について、日本記者クラブはじめメディア関係者は反論できますか?
 できないなら、醜悪な「自民党総裁選報道」は即刻やめねばならない。


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病床日記6・隣のKさんの独り言★コロナとジェンダー

2021年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月18日(入院10日目、術後5日目>

  昨夜、体内の廃液を出す管が取り除かれた。これで繋がれているパイプは左腕の点滴1本になった。
 きょうの昼から病院食になった。重湯とみそ汁だけだが、10日ぶりに食物を体内に入れた。重湯がこんなに美味しいとは。

隣のKさんの独り言

 緊急入院から手術の翌日までの7日間は、ICUのベッドだった(今は4人部屋)。薄いカーテンで仕切られているだけだから、隣の声は筒抜けだ。

 お隣さんは96歳の女性のKさんだった。
 耳も言葉もはっきりされていて、お話に自然なユーモアがある。看護師さんたちからも「おばあちゃん」と呼ばれて親しまれている。

 明るいKさんだが、独りになるとよくつぶやかれた。
「おかあさん、帰りたいよ」
「だれか、つれて帰って」
 「おかあさん」とは、亡くなられたお母さんのことのようだ。

 96歳は、母と同い年だ。認知症と老衰が進行して、言葉を発することができなくなり、私が誰かも認識できなくなって久しい母に比べ、Kさんのお元気さは驚異的だ。ほんとうに素晴らしい(とはいっても入院されているのだから、どこかお悪いのだろうが)。

 しかし、その独り言に、老年期の孤独と、いくつになっても変わらない母への思いが伝わり、胸が熱くなった。
 Kさん、どうかいつまでもお元気で。

(病院で知り得たことを表出するのはもちろん厳禁ですが、許されるのではないかと思う範囲で書きました)

★コロナとジェンダー

 17日夜の「NC9」(NHK)で、コロナ禍で家庭内感染が拡大し、家事を担う母親が入院したくてもできず、重症化するケースが増えていることを取り上げ、「このような事実が明らかになってきています」という趣旨のコメントをした。

 なにを今ごろとぼけたことを言っているのか。
 そんなことは1年以上も前から分かっていることだ。

 にもかかわらず菅政権は「自宅療養の拡大」方針をぶちあげた。
 それが感染拡大の火に油を注いだことは間違いない。
 菅政権の数々ある失政の中の重要な1つだ。
 そしてNHKはそれを無批判に拡散した。

 コロナ禍があぶり出し、突き付けている日本の構造的問題は数多い。
 その1つが、ジェンダー差別だ。

 雇用・職場、家庭、社会の性差別が、コロナ禍でいかに増幅され、女性たち被差別者を圧迫・圧殺してきているか。
 それを現在進行形で検証し、当面の対策と抜本的改革の両面から変革していかねばならない。


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病床日記5・美味しい栄養剤★「235人の精神病院患者死亡」の衝撃

2021年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

<9月17日(入院9日目、術後4日目)>


 体にまとわりついていた何本もの管が次第に取れ、いまは左腕の点滴と、患部からの体液(廃液?)を取る2本になった。
 歩行もきのうよりスムーズになったと思う。日々、改善を実感する。

美味しい栄養剤

 飲食はまだできない。唯一飲めるのは、「エレンタール」という栄養剤を水に溶かしたものだ。
 必要な栄養素をすべて含みながら、体内に残滓(カス)がたまらないという優れた栄養飲料だ。パインアップル、青りんごなど7種類くらいの味がつけて飲みやすくしてある。

 しかし、看護師さんたちの話では、「まずい」といって残す人が少なくないという。

 ところが、これが私には美味しい。コップ1杯をすぐ飲み干す。
 それに驚かれ、感心される(あきれられる?)
 のどが渇き、空腹(丸9日何も食べていない)のせいもあるだろうが、日ごろの粗食が身を助けているのではないかと思う。 

 日常の粗食・質素は経済的事情からだが、まったく嫌ではない。必要な栄養は摂りながらも、質素な日常生活を送ることは、入院や災害時の助けになるような気がする。

コロナで「精神病院患者235人が死亡」の衝撃

 17日午前のNHKニュース。日本精神病院協会(正確でないかもしれない)の調査では、先月下旬までに、精神病院の患者でコロナに感染した人は3602人に上り、このうち、235人が死亡したという。その多くは、転院が必要であったのもかかわらず、断られたという。

 これはきわめて重大なニュースだ。

 日本の精神病院の実態は深刻だ。先日の「ETV特集」(7月31日)でその一端が紹介された(8月2日のブログ「「精神科病院×新型コロナ」の驚くべき実態」参照https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/d/20210802)。 

 日本の精神病院の驚くべき実態の背景には、国際的に恥ずべき日本政府の「精神科特例」という制度的・構造的問題がある。

 さらに、市民が精神病院(患者)を忌避する日本人の差別構造がある。ハンセン病患者の歴史と通底する。

 それが「コロナ禍」で表面化しているのだ。
「235人の死者」は氷山の一角である。

 この日本の構造的問題、差別構造を凝視し、一日も早く手を打つ必要がある。

 コロナ禍で精神病院患者が差別的死を遂げねばならない一事だけでも、政府・自民党の「コロナ対策」は無策・失格と断言できる。

 メディアも市民も、この現実を直視し、自分の問題として考えねばならない。

 にもかかわらず、NHKはじめ日本のメディアは、愚劣な「自民党総裁選報道」にますます狂奔している。
 日本はどこまで堕ちていくのだろうか。

 


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