アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

靖国神社と自衛隊の急接近は何を意味するか

2024年03月19日 | 天皇制と日米安保・自衛隊
  

 「靖国神社宮司に元海将」―16日付京都新聞(共同)に小さなベタ記事が載りました。

「靖国神社は15日、山口建史宮司が今月限りで退任し、後任に元海将の大塚海夫氏(63)が4月1日付で就任すると発表した、自衛官出身の宮司は2人目」

 朝日新聞によると、「将官を務めた元自衛隊幹部の靖国神社トップへの就任は、初めてとなる。…旧日本軍の戦没者らがまつられる靖国神社は第2次大戦当時、陸海軍の管轄下にあり、鈴木孝雄・陸軍大将が宮司を務めた。
 敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の神道指令で国や旧軍から切り離され、民間の宗教法人に転換。宮司には元皇族、神社関係者らが就いてきた」(15日付朝日新聞デジタル)

 敗戦後初となる自衛隊元将官の靖国神社宮司就任は、明らかに戦前・戦中回帰と言えるでしょう。

 靖国神社への自衛隊の接近が目立ちます。

 ことし1月9日、陸上自衛隊の小林弘樹陸上幕僚副長ら数十人が集団参拝したことが明らかになりました(1月13日のブログ参照)。

 憲法20条の政教分離原則から、防衛省は事務次官通達(1974年)で宗教施設への参拝を禁止しています。陸自幹部らの集団参拝が憲法はもちろん事務次官通達にも違反していることは明らかです。

 しかし木原稔防衛相は1月30日の記者会見で、「通達は50年前のもの。内容は不断に検討し、必要に応じて改正を行うべきだ」(1月30日付朝日新聞デジタル)として、次官通達の方を変えるべきだとの考えを示しました。

 その3週間後の2月20日、海上自衛隊の酒井良海上幕僚長は記者会見で、昨年5月17日に海自幹部候補生学校の卒業生ら「多くの人間」が「歴史学習として…休憩時間に…希望者が制服姿で」靖国神社を集団参拝していたことを明らかにしました。

 酒井幕僚長は「私的参拝」と強弁しましたが、靖国神社の社報(昨年7月号)は参拝する写真とともに「(初級幹部らが)航海に先立ち正式参拝した」と記しています(2月20日付朝日新聞デジタル)。

 こうした自衛隊の靖国神社への接近について、塚田穂高・上越教育大准教授(宗教社会学)は、「自衛隊には戦前と連続性を持った「旧軍意識」があるのではないか。…靖国神社は、戦前と戦後、旧軍と自衛隊を精神的につなげるシンボリックな存在と言えるのではないか」(2月22日付朝日新聞デジタル)と指摘します。

 重要なのは、靖国神社はたんなる「シンボル」ではないことです。

 靖国神社の本質は、「創建の目的が天皇に忠誠をつくして死んだ人々の慰霊と顕彰にある」(吉田裕・一橋大教授、『岩波 天皇・皇室辞典』2005年)ことです。そのためA級戦犯を含め多くの軍人や「明治維新殉難者」らが合祀されています。
 しかし、自衛隊の殉職者は合祀されていません。

 吉田裕氏は19年前の前掲書で、「自衛隊の海外活動が本格化する中で、「戦死者」が出た場合には、靖国神社や護国神社(靖国神社の地方分社-私)への合祀を求める動きが台頭してくる可能性がある」と警鐘を鳴らしました。
 それがいま、現実のものになろうとしているのではないでしょうか。

 海自幹部候補らが集団参拝したのは、岸田文雄政権が「軍拡(安保)3文書」を閣議決定(2022年12月16日)して5カ月後のことです。
 安倍晋三政権による集団的自衛権容認の「戦争法(安保法制)」(2015年9月)と「軍拡3文書」によって、日本が日米安保条約によって戦争国家となることがますます現実的になっていることと、自衛隊の靖国神社への接近はけっして無関係ではありません。

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「甲子園」で「君が代」を歌わせてはいけない

2024年03月18日 | 天皇制と日本社会
   

 18日の選抜高校野球開会を前に、「(開会式での)君が代の独唱者が決まる」という記事がありました(1日付朝日新聞デジタル)。全日本学生音楽コンクールの声楽部門(高校の部)で1位だった高校3年生だそうです。

 高校野球の開会式をまともに見たことがないので、そこで「君が代」が歌われる、しかも高校生が歌うことになっているとは知りませんでした。

 これは見過ごすことができません。「甲子園」で高校生に「君が代」を歌わせてることは絶対反対です。

 第1に、「君が代」はいうまでもなく「(近代では)天皇を寿ぐ歌、また天皇の治世を祝う歌」(『岩波 天皇・皇室辞典』)です。

 「国旗・国歌法」施行(1999年8月)後に出された「小学校学習指導要領解説」(文部省、1999年9月改訂)でも、「「君が代」は…天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国の末永い繁栄と平和を祈願した歌である」と明記されています。

 「甲子園」で「君が代」を歌う(歌わせる)ことは、(象徴)天皇制と国家主義の賛美に他なりません。

 第2に、教育現場での「君が代」強制に拍車をかけます。

 「国旗・国歌法」制定当時の官房長官・野中広務氏は「君が代」は強制されるものではないと答弁しています(99年7月)。にもかかわらず、歴代自民党政権は学校の入学・卒業式などで事実上これを強制し、不起立の教職員を不当処分しています。

 「甲子園」での「君が代」は、こうした誤りを助長します。

 第3に、「甲子園」が戦争の犠牲になった歴史の教訓に逆行します。

 「甲子園」の高校野球大会は1942~45の4年間、戦争によって中止されました。ところが天皇制政府は、通常の大会を中止させておきながら、戦意高揚を図るため、42年8月に東条英機首相(当時)らが開会式に出た軍国主義一色の野球大会を開催しました。いわゆる「幻の甲子園」です(写真中、2018年8月7日のブログ参照)。

 「甲子園」はこうした歴史に学ぶ必要があります。にもかかわらず、侵略戦争・植民地支配強行の道具となった「君が代」を歌う(歌わせる)ことはその歴史の教訓に真っ向から反します。

 「甲子園」で「君が代」とともに止めさせる必要があるのは、毎年8月15日正午にプレーを中断して行われる「黙とう」です(写真右)。

 「終戦記念日」として行われるものですが、8月15日の正午は、天皇裕仁が「終戦詔書」を読み上げたいわゆる「玉音放送」が流れた時刻です。日本がポツダム宣言を受諾して降伏したのは前日の8月14日です。黙とうするならこの日にするべきです。8月15日正午の「黙とう」は天皇制に基づくものです(22年8月31日のブログ参照)。

 「甲子園」の「君が代」は「学徒出陣」の悪夢を想起させます。日米安保条約の深化によって戦争国家化が急速にすすんでいるいま、それはけっして軽視できません。

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日曜日記293・「カムイのうた」に本物の映画を見た

2024年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム
  映画「カムイのうた」(監督脚本・菅原浩志、主演・吉田美月喜)を見た。
文字を持たないアイヌの口承民謡ユーカラを日本語に翻訳して『アイヌ神謡集』を著し、19歳で早世した知里幸恵(ちり・ゆきえ)の生涯を史実に基づいて描いた映画だ。

 壮大な北海道の光景をバックに、優れた文章として定評のある『アイヌ神謡集』序文の朗読から始まる。全編、北海道の大自然の映像に圧倒された。

 冒頭から北里テル(知里幸恵)が学校で和人(わじん=日本人)から受ける苛烈な差別が描かれる。映画「橋のない川」(原作・住井すゑ、監督・今井正)が想起された。

 テルたちがただアイヌなるがゆえに被る差別の数々は、見ていても苦しい。苦しいけれど、これが紛れもない現実だった、いや今も現実だ。杉田水脈の相次ぐヘイトスピーチはその一端だ。

 希望を失いかけていたテルの人生を変えたのは、テルの伯母(島田歌穂-好演)が歌うユーカラを聴き取りにきたアイヌ語研究者の兼田(加藤雅也、モデルは金田一京助)だった。兼田の学者としての熱意と誠実、アイヌへのリスペクトがこの映画の大きな救いだ。

 全編、アイヌに対する差別の実態と怒り、差別と闘って未来を切り開こうとするアイヌの人々の崇高さ、誇りが貫かれている。民族の言語、文化の大切さも丁寧に描かれている。19歳での他界はいかにも残念だが、ただ悲しいだけでなく、どこか安堵に似た思いが残るのは、テル(幸恵)の短くも凝縮された人生の豊かさのせいだろうか。

 帝国大教授(文化人類学)によるアイヌの遺骨の盗掘・収集と、それに対する兼田(金田一)の怒りもきっちり描かれている。これはまさに現在進行形のアイヌ(そして琉球)民族差別の重大問題だ。

 これこそ映画だと思った。監督はじめ制作スタッフの意図・熱意と演じる俳優の思いがストレートに届き、心揺さぶられ、日本人として知らねばならない歴史と現実を突きつけられる。

 もう1つ感銘を受けたことがある。壮大な北海道の風景、吹雪の中での苛酷な使役のシーンはすべて実写だということだ。CGなどではない。その自然の風景を撮るだけで1年かけたという。

 菅原監督はこう述べている。

「最新のテクノロジーを駆使して、快適な環境で撮影する事も可能な時代だが、私は昔アイヌが強いられた労働環境を、実際に再現する必要性を強く感じていた。同じ体験を共有する意義を感じていたのである。一年間、髪と髭を伸ばし、撮影に臨んでくれた俳優陣、極寒の撮影に耐えてくれたスタッフに感謝申し上げる」(パンフレットより)

 「ゴジラ-1・0」がアカデミー賞の視覚効果賞を受賞したことが大きく取り上げられている。しかし、「アイヌのうた」のこうした撮影・映像こそ本物の映画だと私は思う。

 多くの日本人が見るべき映画だ。とりわけ「ゴールデンカムイ」を見た人には薦めたい。本当の「アイヌ」を知るために。


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安倍晋三元首相はなぜ「裏金中止」を指示したのか

2024年03月16日 | 日本の政治・社会・経済と民主主義
   

 自民党の裏金問題で、「2022年に安倍派の会長だった安倍晋三元首相の指示で中止を決めたものの、安倍氏の死去後に復活した」(15日付共同配信など)として、あたかも安倍氏が裏金に反対していた清廉な人物だったかのような言説が国会やメディアで流布しています。とんでもない話です。

 安倍氏はなぜ裏金(パーティー券収益還流)中止を指示したのか。

 それは「桜を見る会」をめぐる政治資金規正法違反による逮捕・起訴を逃れるための自己保身にほかならなかったと言えるでしょう。それを示す記事を抜粋します。

<「前にも言ったけど、ちゃんとやめることにしたんだろうね」。22年4月、つぶやくような低い声が響いた。発言の主は安倍晋三元首相。当時事務総長だった西村康稔前経済産業相らに向けられた言葉に、派閥幹部は即座に還流の中止を決定した。

 安倍氏は22年2月、(還流を)やめるよう幹部に指示した。2度目の政権を終え、復権を目指した時期に足をすくわれた「悪夢」が念頭にあったとみられる。

 「桜を見る会」前日に後援会が開いた夕食会の費用の不足を穴埋めしたとして、市民団体が政治資金規正法違反容疑で刑事告発。20年12月、元公設第1秘書が略式起訴される事態に発展した。

 安倍氏本人も捜査対象となり、不起訴とした東京地検特捜部の判断を検察審査会が一部「不当」と議決。さらに100以上の国会答弁を修正し、陳謝に追い込まれた。21年12月の捜査終了まで問題はくすぶり続け、返り咲きの足かせとなった。

 22年7月、安倍氏が銃撃され急逝。直後に事務総長となった高木毅氏らが協議し、(還流の)復活が決まった。>(1月20日付京都新聞=共同、写真右)

 時系列を整理するとこうなります。

 20年1月 「桜」の政治資金規正法違反で、元公設第1秘書が略式起訴。
      検察審査会が「安倍氏不起訴」は一部「不当」と議決。
 21年12月 安倍氏の捜査終了。
 22年  2月 安倍氏が「(還流)中止」を指示。
 22年  7月 安倍氏の死去で復活。

 安倍氏は清和会(安倍派)の国会議員としてさんざん裏金を作り使い続けてきました。それが22年2月に突然「中止」を指示した。だから派閥幹部は驚いた。それが「桜」がらみだったことは明らかでしょう。

 記事には書かれていませんが、検察との間で「捜査終了・不起訴」と「還流中止」が取引(司法取引)された可能性も否定できません。だから、安倍氏は「中止」の実行に神経をとがらせたのではないでしょうか。  

 安倍氏の「中止」指示にもかかわらず裏金が復活した理由・経過が疑問視されていますが、それは安倍氏の「中止」指示が、あくまでも安倍氏の自己保身(安倍マター)だったから、安倍氏が死去した以上その配慮が不要になった。だから元に戻すこと(裏金復活)は当然だというのが暗黙の了解だったのではないでしょうか。
 だから安倍派幹部らはそろって真相に口をつぐんでいるのではないでしょうか。

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子どもの生存権としての学校給食無償化―国際学校給食の日

2024年03月15日 | 人権・民主主義
  

 イスラエルによるガザ攻撃で死亡した子どもは昨年10月から今年2月までの4カ月間で1万2300人以上。2019~22年に世界各地の紛争で死亡した子ども(1万2193人)よりも多い。国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)のラザリニ事務局長が12日そう発表しました(写真右)。

 言葉を失う現実です。イスラエルの蛮行を一刻も早くやめさせなければなりません。
 そのイスラエルを軍事支援し続けているのがアメリカであり、そのアメリカに追随しているのが日本であることを改めて銘記する必要があります。

 子どもたちの生存が脅かされているのはガザだけではありません。

 3月14日は国際学校給食の日でした。「給食のもたらす恩恵や、子どもの食を取り巻く環境への関心を高めるための日」(WFP国連食料支援機関)です。

 WFPが注力している事業の1つが世界の子どもたちへの給食提供です。2022年には59カ国、約2000万の子どもたちに届けました。しかし、それでも低所得国で毎日給食が食べられる子どもはわずか18%です。

 WFPは「学校給食支援で何が変わるか?」として4点挙げています。

空腹な子どもたちが、必ず1食食べられる―世界では給食が唯一の食事の子どもたちも
通学することで、将来の希望が見いだせる―学んで貧困の連鎖から抜け出す
給食支援によって、地域に活気が生まれる―地産地消型の学校給食
女の子も男の子と同じように学校へ通える―親に女の子たちの通学を促す動機付けに
(以上、WFPのリーフレットより。写真左も)

 弁護士の尾藤廣喜氏によれば、韓国は1993年にそれまで恩恵的だった「生活保護法」を国家の義務・市民の権利としての「国民基礎生活保障法」に変えました。そのレールを敷いたのは「子どもの医療費の無償化と給食費の無償化」でした(2023年11月14日付京都新聞)。

 「学校給食無償化」は日本においても切実な課題です。

 1954年に学校給食法が制定されましたが、そこでは食材費は保護者の負担と規定されています。それを根拠に、憲法26条で「義務教育の無償化」がうたわれているにもかかわらず、給食費が徴収され「隠れ教育費」となっています。保護者の年間給食費負担(2021年度)は、公立小で約4万9千円、公立中で約5万6千円にのぼっています(23年11月15日付京都新聞)。

 千葉工業大の福嶋尚子准教授(教育行政学)はこう指摘します。

「給食費の無償化は子育て支援策の一環として行われる例が多いです。でも本来は憲法の理念、子どもの生存権として保障されるべきもので、無料で利用できるトイレや保健室のベッドのように考えてほしい。安心して昼食を取って学べる環境は子どもの権利です」(同上京都新聞)

 世界の子どもたちに無償の学校給食を届けることは、思いやりや支援ではなく、「子どもの権利条約」に則った子どもの権利です。
 戦火と貧困が絶えない世の中、子どもの生存権を守るのはおとなの責任です。

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