アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

今も続く枯葉剤被害と日本の加害責任

2024年09月18日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会
   

「ベトナム戦争で米軍が散布した枯れ葉剤による猛毒ダイオキシンの健康被害は、直接浴びたり、汚染された農作物や魚などを食べたりしたベトナムの市民や兵士たちだけでなく、その子孫にも重篤な障害や健康被害などを及ぼし続けている」(2日付朝日新聞デジタル)

 米政府は被害を受けた帰還米兵には補償をし、枯葉剤の製造企業も和解金を支払っています。しかし、ベトナムの人たちの被害には見向きもしていません。

 そんな不正をただそうと、フランス在住のベトナム人女性トラン・トー・ニャーさん(82)が製造企業を相手取って訴訟を起こしました(2014年)。枯葉剤問題を追及し続けているドキュメンタリー映画監督の坂田雅子さん(76)はこれを支援し続けています(写真中の左がニャーさん、右が坂田さん=2日付朝日新聞デジタル)

 その控訴審判決が8月22日にあり、1審判決(21年)同様、損害賠償請求は棄却されました。坂田さんは朝日新聞のインタビューでこう話しています。

「ニャーさんは一審の判決後、「私たちは勝った。過去の忘れ去られた問題を今に引き出した」と言っていました。広く問題提起したいという意味合いが、この訴訟にあったのだと思います。最高裁までいくと言っていますが、82歳として最後の力を振り絞り、うやむやにさせないよう続けていくのだと思います」(2日付朝日新聞デジタル)

 さらに坂田さんはこう指摘します。

枯れ葉剤の問題は日本にとっても遠い話ではありません。枯れ葉剤と同じ成分を含む除草剤は日本でも使われていましたが、使用が禁止された後、処理しきれず、林野庁が全国の山林に埋めています。こうした問題をうやむやにしたままだと、また同じようなことが起きるかもしれません」(同)

 枯葉剤問題は日本・日本人にとってけっして他人事ではありません。それは坂田さんが指摘する意味とともに、ベトナム戦争(1964~75)で米軍が散布した枯葉剤(写真左)は日本でも製造されていたという重大問題があるからです。

 今年5月に出版された原田和明さんの『ベトナム戦争 枯葉剤の謎―日米同盟が残した環境汚染の真実』(飛鳥出版)は、多くの気付きを与えてくれます。(以下同書から私の要約)

 ▶1967年4月、米軍は枯葉作戦の強化によって枯葉剤が不足し、国内生産能力の4倍の枯葉剤を国外に発注。同年10月、三井東圧化学(1997年に三井化学に社名変更)が枯葉剤(245TCP)の生産を開始した。

 ▶朝日新聞(1968年7月12日付夕刊)がそれを「枯葉剤国産化疑惑」としてスクープ。三井東圧化学は批判を避けるため、オーストラリアなどを経由する手法(ロンダリング)を使っていた。

 ▶枯葉剤製造の米企業・モンサント社と三菱化成の合弁会社・三菱モンサントも枯葉剤(PCB)の製造を開始した(1969年9月)。

 ▶モンサント社に後れをとった米ダウ・ケミカル社は枯葉剤の破壊効果を高めるため、ナパーム弾(焼夷弾)との併用を米軍に提案。使われたナパーム弾は日本製だった(国会で追及されたが政府は企業名は答えなかった)。

 ▶佐藤栄作首相(当時)にとって、枯葉剤もナパーム弾も防衛産業育成の一環だった。

 ベトナム戦争では、日本とくに沖縄が米軍の出撃・兵站基地になったことは知られています。しかしそれだけでなく、枯葉剤攻撃にも日本が加担していたことはあまり知られていないのではないでしょうか。

 坂田さんが指摘する枯葉剤と同じ成分の除草剤の廃棄(国内18道県58カ所)の危険性とともに、ニャーさんらベトナムの被害者への補償に、日本・日本人が無関心でいることは許されません。

 日本は、「終戦以来79年…今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられた」(天皇徳仁、8月15日の戦没者追悼式典あいさつ)という言葉に代表されるように、自国が戦場にならなかったことを「平和」として謳歌してきました。しかし、朝鮮戦争、ベトナム戦争の2つをとっても、日本はアメリカに従属して直接参戦していました。その加害の歴史を「平和」の美名で消し去ることはできません。


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