森喜朗東京オリ・パラ組織委会長(元首相)の女性差別発言(3日)と、「撤回・謝罪」といいながら無反省と根っからの差別体質を改めて露呈した記者会見(4日)。その内容は周知なので触れません。ここで考えたいのは、それを報じた日本のメディアの問題です(新聞報道に焦点をあて、産経、読売、日経は論評の対象から除外します)。
メディアの報道で見過ごすことができないのは、その鈍感さと論評の的外れです。
森差別発言があったのは3日。それを各紙は4日付の紙面でどう扱ったでしょうか(朝日、毎日、赤旗は関西版)。
〇朝日新聞 第2社会面4段
〇毎日新聞 なし
〇東京新聞 1面3段、運動面に解説
〇中国新聞 2面2段
〇琉球新報 スポーツ面4段
〇沖縄タイムス スポーツ面4段
〇しんぶん赤旗 なし
森発言は第1報から1面トップ、少なくとも社会面トップで扱うべき重大問題であり、各紙の報道は明らかに過小評価です。それは、この問題に対する各紙・各社の鈍感さの表れにほかなりません。
5日付で各紙が大きく扱うようになったのは、SNSなどによる市民の声に背中を押されたからではないでしょうか。世論の反発に慌てた森氏が急きょ「釈明会見」を行ったこととどれほどの違いがあるでしょうか。
このメディアの鈍感さはどこからくるのでしょうか。それは、「新聞・通信社、テレビ局では、女性が全従業員の2割前後を占めるが、役員など会社経営の中枢に女性の存在はほとんど見られない」(WiMN(メディアで働く女性ネットワーク)編著『マスコミ・セクハラ白書』2020年文藝春秋)というメディア自身の女性差別体質と果たして無関係でしょうか。
森差別発言を論評した5日付各紙の社説の論旨は以下の通りです(<>は見出し)。
<女性差別発言 森会長の辞任を求める>「五輪の開催に決定的なマイナスイメージを植えつける暴言・妄言だ。すみやかな辞任を求める」(朝日新聞)
<森会長の女性蔑視発言 五輪責任者として失格だ>「五輪精神を傷つける自らの発言が開催への障害となっていることを自覚すべきだ」(毎日新聞)
<森氏女性蔑視 五輪の顔として適任か>「大会の「顔」である森氏の発言でさらに開催への支持が落ち込み、国内外の批判が高まることも予想される」(東京新聞)
<森氏の女性蔑視発言 組織委会長を辞任せよ>「森氏に大会運営の責任者の資格はない。ただちに会長を辞任すべきだ」(琉球新報)
<森氏の女性蔑視発言 「五輪の顔」任せられぬ>「東京五輪のリーダーは任せられない」(沖縄タイムス)
一目瞭然、各紙の論評には共通点があります。それは、森発言が五輪組織委の「トップ」として不適切で、このままでは東京五輪の障害になるから「辞任せよ」、というものです。これは二重の意味で的外れです。
第1に、森氏の発言が「五輪憲章」に反し直ちに組織委会長を辞めねばならないのはいうまでもありませんが、森が辞めれば解決する問題ではありません。
森差別発言を笑って見過ごしたJOC(日本オリンピック委員会)評議員メンバーも同罪です。さらに、森に辞めろと言わない菅義偉首相、小池百合子都知事も同罪です。差別を目にし問われながら見過ごす、容認する者の責任は厳しく問われなければなりません。
東京五輪はこうした連中によって、さらにこんな森を組織委会長に据えた安倍晋三によって誘致され準備されてきたのです。この一事だけで、東京五輪に開催の資格はありません。コロナ禍を言うまでもなく、東京五輪は直ちに中止すべきです。中止しなければなりません。
にもかかわらずいまだに東京五輪を後押しするようなメディアの論評はまったくの的外れ・逆行です。
第2に、森発言が問題なのは、「五輪憲章」に反しているからだけではありません。
「沖縄人権法研究会」発起人の阿部藹(あい)さんは、森発言が、女性差別撤廃条約の第1条(性に基づく区別、排除又は制限)に反する差別発言であり、「条約締約国には公人の差別発言を放置してはいけないという尊重義務がある」としたうえで、こう指摘しています。
「政府として森会長の発言を放置することは許されない。国際社会から女性差別を放置する国とみなされないためにも、政府として責任をもって対処する必要がある」(5日付琉球新報)
問題は森の辞任だけではありません。女性差別撤廃条約に真っ向から反する森差別発言に対し、どういう姿勢をとり、どう責任を明確にするのか。
問われているのは、日本政府であり、日本メディアであり、日本の市民です。