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NHK・Eテレ「こころの時代」は12月25日、「問われる宗教と“カルト”」シリーズの第3部として、「宗教と家庭・性・子ども」を放送しました。
島薗進氏(東京大名誉教授)の司会による5人の宗教者・学者の討論で、特に注目されたのは次の2点です。
第1に、宗教(キリスト教、イスラム教、仏教などすべて)に男性優位(男尊女卑)の傾向が強いとされていることについて。
特にその傾向が強いとみられているイスラム教の研究者である八木久美子氏(東京外国語大教授、写真中)は次のように述べました。
「イスラムの経典自体は決して男尊女卑ではない。(イスラム教のジェンダーは)経典を解釈してきたのが男性だったからだ」(私のメモによる大要)
また、聖書でエバ(イヴ)がアダムのあばら骨から作られたとされているキリスト教については、原敬子氏(上智大准教授、写真右)がこう述べました。
「イエスは積極的に女性と会話をした、むしろフェミニストだった。(男尊女卑は)男性中心で構成された教会のためだ」(同)
両氏の発言に共通しているのは、宗教のジェンダーは経典や教祖本来のものではなく、その後の経過の中で、男性中心の「指導者」・幹部たちによる解釈・行為によってつくられたものだということです。
第2に、なぜ宗教は「家族・家庭」にこだわるのかという問題について。
八木氏は、「近代化の過程で、(イスラム世界は)政治・経済が西欧化された。その中で、(結婚・家族・家庭の分野は)残された“最後の砦”だった。そうした歴史的経緯が生み出したものだ」(大要)と述べました。
それを受けて、櫻井義秀氏(北海道大教授)はこう述べました。
「近代化の中で「家族・家庭」が“最後の砦”となったのは、日本の場合もまったく同じだ。政治の任務は社会保障など(現実的生活問題)だが、保守政治は「夫婦別姓反対」など本来政治課題ではないことを擬似的な争点にして保守政治を演じている」(同)
両氏の指摘は、「象徴天皇制」にも通底するのではないでしょうか。日米軍事同盟(安保条約)でアメリカに政治・経済両面で完全に従属している自民党にとって、家父長的「家族制度」、その「象徴」である天皇制は“最後の砦”なのかもしれません。
2点ともさらに追究したい興味深い問題です。
島薗氏は、「自分は宗教者ではないが、宗教あっての世の中だ。(本来の)宗教には頑張ってほしい」と述べました。まったく同感です。
ところで、この第3部の前には第1部、第2部(10月9日、16日)がありました。それも司会の島薗氏を含め6人の宗教者・学者による討論でしたが、6人全員男性でした。
第3部は男女3人ずつでした。テーマからか、それとも1,2部の反省(視聴者からの批判?)からか、女性を登場させました。それでも半分です。しかも、島薗氏が司会をして釈撤宗氏(僧侶)が「まとめ」をするという男性中心の運営は変わりませんでした。
「問われる」のはNHKのジェンダーです。