アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

いま、「徴兵忌避」を考える

2022年12月29日 | 国家と戦争
   

 台湾の蔡英文総統は27日、徴兵期間を4カ月から1年に延ばす意向を表明しました。対中国戦略からかねてアメリカが要求していたと言われています。

 このニュースで、「富裕層の徴兵逃れ横行 ウクライナ 金銭支払い診断書偽造」(10日付中国新聞=共同)の記事を思い出しました。要旨はこうです。

< 富裕層向けに兵役免除の証明書入手をあっせんする「脱徴兵ビジネス」に関与する20代男性が実態を明かした。男性は「武器を手にしたくない人に選択肢を提供している」と正当化するが、抜け穴拡大を恐れる当局は取り締まりに力を入れる。

 男性は医大生。仲介の依頼があれば、仲間の医師がいる徴兵事務所で検査を受けてもらい、心臓病などを装った診断書を軍に提出する。1週間ほどで兵役免除の証明書を入手できる。

 費用は68万~136万円程度。中間層には手が届きにくい金額で、不公平感が生まれ厭戦ムードの芽となることも懸念される。

 総動員令では、18歳未満の子どもが3人以上いれば徴兵を免除されるため、3人分の偽造した出生証明を国境の検問所に提出し、摘発された男性もいる。

 徴兵逃れはロシアや旧ソ連諸国で社会問題化し、ウクライナでも2月の侵攻後に顕在化した。>

 貧富の格差が「徴兵」に反映する実態はもちろん問題ですが、ここでは「徴兵逃れ(徴兵忌避)」自体について考えたいと思います。
 記事は「徴兵逃れ」は不当だという前提に立っています。「厭戦ムード」が「懸念される」とまで書いています。

 「徴兵忌避」はたして不当なことでしょうか。

 日本では明治天皇制政府が1873年に「徴兵制」を導入しました。これに対し、性病を装うなどさまざまな手段による「徴兵忌避」が横行しました(「徴兵忌避」と「良心的兵役拒否」は違いますが、その問題は別の機会に検討したいと思います)。

 ところが、15年戦争(1931~45年)の時代になると、「徴兵忌避」の様相が大きく変わります。「兵役拒否」について研究する佐々木陽子氏(国立看護大非常勤講師)はこう指摘します。

「国家のために自己の生命を犠牲にすることが自明視される時代では、忌避は「非国民」「エゴイズム」と烙印を押された。それは、戦死者を「英霊」とみなすことと表裏の関係にあったといえるだろう。自己の生命に執着して「死にたくない」「生きていたい」との叫びをあげることは、人間の原初的感情の発露でありながら、国家のために死ぬ覚悟が強要される戦時下では、封じ込めなければならない「私情」と化す。自己の生命に執着する心性こそ、じつは全体主義国家が削ぎ落したい心性にほかならなかったといえるだろう。戦争が悲惨化すればするほど、文字どおり国家のために死ねる国民、そしてその悲惨化に耐える精神力が要求される。(略)
 徴兵忌避をおこなった「エゴ」まるだしの行為者は、戦時国家の最も恐れる国民象、すなわち国家が始めた戦争から抜けることを行動で宣言した人間であり、この意味で、忌避もまた抵抗の一形態として位置付けられるだろう」(佐々木陽子編著『兵役拒否』青弓社2004年)

 もちろん、15年戦争における日本「国民」とウクライナ戦争におけるウクライナ「国民」の立場性はまったく違います。真逆といえるかもしれません。
 しかし、「死にたくない」あるいは「殺したくない」という「人間の原初的感情」によって、「徴兵」から逃れたいという欲求、そしてそれが「国家」によって抑圧され、「徴兵忌避」が「非国民」とみなされるという点では共通しているのではないでしょうか。

 軍事侵攻に対する「徹底抗戦」なら「人間の原初的感情」の抑圧も許されるのか、甘受しなければならないのか―慎重に検討すべき問題だと思います。
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