「「平和の反対語は?」と尋ねられたら、何という言葉を思いうかべますか?」
こういう書き出しで、塩瀬隆之氏(システム工学)が「反対語から考えを深める」と題した論考を寄稿している(月刊「図書」8月号岩波書店)
塩瀬氏は現在開催中の「いわさきちひろ ぼつご50ねん こどものみなさまへ みんな なかまよ」(6月8日~9月1日、安曇野ちひろ美術館)の企画監修を担当している(写真はいわさきちひろの絵が表紙になっている『窓ぎわのトットちゃん』)
冒頭の質問に、おそらく多くの人が「戦争」と答えるだろう。私もそうだ。しかし、塩瀬氏はこう指摘する。
<「平和」の反対語を考えるときに、よく知らない「戦争」という言葉だけで、果たして平和にちゃんと向き合うことができてきたのか。「戦争はよくない」「戦争はなくすべきだ」。どんなに美辞麗句を並べても、やはりわたしたちは戦争を直接は知らないし、止める方法も起こさないやり方も、理解しているとは言い難い。まずはもっと身近な言葉から、自分たちの知っている言葉を尽くして「平和」の反対語を考えるべきではないでしょうか。…
まだ考え始めたところで、適切なことがは見つかっていません。それでも「違いを認めようとしないこと」や「知らないことを遠ざけてただ恐れること」など…。日常生活のなかで、自分が経験してきた言葉で説明できれば、少しずつ手元で考えられることも増えてくるはずです。>
ここに「反対語から考えを深める」意味がある。
<反対語の反対を考えることで、「知らないままにせず、もう一歩近づく勇気をもつ」「情報を鵜呑みにせず、自ら声をかけて確かめてみる」といったアイデアが浮かんできます。これならどこかの誰かに解決を任せきりにせず、自分たちにも主体的にできることが残されています。この延長線上に平和のタネがあるのであれば、わたしたちにもまだできることがたくさんあるはずです。
そのような視点で改めて、いわさきちひろさんの絵本を読み直してみると、平和という言葉が直接に使われていないだけで、絵本のなかに示唆に富むたくさんの視点が見つかります。>
分かったつもりでいる言葉の反対語を考えてみる。それを自分の知っている言葉、自分の日常生活や経験してきた言葉で説明してみる。そしてその反対語の反対を考える。それが情報を鵜呑みにせず、解決をひとまかせにせず、自分ができることを見つける手掛かりになる。
もちろん「平和」だけではないだろう。たとえば「平等」の反対語は?(「差別」という言葉で分かったつもりにならないで)、たとえば「幸福」の反対語は?(「不幸」という一語で片付けないで)。
反対語から考えを深める。これからの思考の手掛かりを教えてもらった。