アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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天皇と自衛隊の危険な接近―国体とブルーインパルス

2023年10月10日 | 天皇制と日米安保・自衛隊
   

 徳仁天皇と雅子皇后は7日、鹿児島で開会した国民体育大会(国体)の開会式に出席しました。国体は来年、名称が国民スポーツ大会(国スポ)に変わり、国体の名前では最後の開催です。

 開会式で天皇・皇后は、空を見上げて感動した表情を見せました(写真左、朝日新聞デジタルより)。彼らの視線の先にあったのは、ブルーインパルスです(写真中、同)。

 ブルーインパルスは、「航空自衛隊の存在を多くの人々に知ってもらうために…アクロバット飛行を披露する専門のチーム」(防衛省・自衛隊HP)、すなわち自衛隊の広告塔です。

 ブルーインパルスが国体の開会式で飛ぶのは、2014年の第69回長崎大会以来(同HPの年表より)。徳仁天皇がブルーインパルスを直接見るのはおそらく初めてではないでしょうか。天皇・皇后は強い印象を受けたようです。

 なぜ9年ぶりに国体で飛ぶことになったのか? 説明はありませんが(報じられていない)、いくつかの意味が考えられます。

 1つは国体の名称としては最後の大会だということです。

 国体と天皇(制)の関係は浅くありません。戦前・戦中そして日本国憲法制定までの天皇制国家体制を「国体」と称していたことは言葉の偶然としても(まったく無関係とは思いませんが)、国体は天皇が恒例として出席し自らの存在を誇示する主要な場の1つです。

 第1回国体は1946年、京都市を中心に近畿一円で行われました。徳仁天皇の祖父・裕仁が初めて開会式に出席したのは翌47年の第2回大会(石川県)です。

 戦後、マッカーサーは天皇制を日本統治に利用するため、天皇に全国を回らせ「象徴天皇」の印象付けを図りました。「巡幸」の開始です(46年から)。国体出席もその一環です。49年の第4回大会(東京都)から皇后(香淳)も出席しました(写真右)。

 一方、旧日本軍の流れをくむ軍隊である自衛隊は、発足(1954年)から今日まで天皇への敬慕を隠していません。

 たとえば、安倍晋三政権は2018年3月、「日本の海兵隊」といわれる「水陸機動団」を編成しましたが、その「旗印」は「三種の神器」の1つの「草薙の剣」です。

 また、徳仁天皇の父・明仁は、東日本大震災の直後、史上初の「ビデオメッセージ」を全国に流しましたが(それ自体大問題)、その中で「消防、警察」の前に「自衛隊」の名前を挙げ、その労をねぎらいました。

 その順番を敏感に聴き取った陸上自衛隊東北方面総監(当時)の君塚栄治は、「あっと思い」「今まで以上に自衛隊が頼りにされている」と「感動した」と述べています(2014年4月28日付朝日新聞)。ちなみに君塚は、「沖縄慰霊の日(6・23)」の未明に自衛隊幹部が制服で摩文仁の丘の「黎明の塔」(牛島満、長勇を祀る)を参拝する行事を復活させた人物です。

 鹿児島国体での9年ぶりのブルーインパルス飛行は、客観的に見れば自衛隊による天皇徳仁への接近です。それが、岸田政権が「軍拡(安保)3文書」を閣議決定(22年12月16日)し、日本の戦争国家化が急速に進行している中で行われたことを、けっして軽視することはできません。

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