アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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保阪正康氏「徳仁天皇即位5年」論はどこが問題か

2024年06月13日 | 天皇制とメディア
   

 「即位5年、令和の時代と一体化求めて」の見出しで、ノンフィクション作家・保阪正康氏の論稿が4日付京都新聞(共同配信)に掲載されました。きわめて問題の多い論稿です(写真中は「即位後朝見の儀」=2019年5月1日、写真右の右側が保阪氏)。

 保阪氏の論の要点は以下の通りです(記事から抜粋。よって用語はそのまま)。

<天皇陛下が即位されてから5年が過ぎた。令和という時代も国民の間に定着したと言っていいであろう。定着とは天皇、皇后両陛下と国民の間に紐帯ができるという意味になる。

 天皇陛下の温厚で懐の深い所作は、明らかにこの時代の人々の心情に影響を与えている。

 天皇、皇后ご夫妻は沈着冷静に国民の範たろうと努力する姿を示している。それが国民に受け入れられているのではないかと思われるのだ。

 近現代日本の天皇は、明治、大正、昭和、平成、そして令和と続いてきたわけだが…5代の天皇は時代や憲法の要請によって理想的な天皇であるべく努力を続けてきたと思う。…いずれの天皇も課せられた役割に従い、歴史と対峙した。その心理的苦衷について私たちは理解する必要がある。

 幸い国民の間では、時代の要請と天皇個人の乖離がないのが当たり前になっているから、…(皇位継承の議論も)天皇陛下ご自身の意向を確かめることを考えても良いのではないか。>(4日付京都新聞=共同)

 この主張の特徴・問題点は以下の点です。

 第1に、「令和」という元号(天皇制の根源の1つ)による時代区分が「国民」に定着していると、何の根拠も示さずに断言することで、元号制度と天皇制を擁護・賛美している。

 第2に、「令和」の徳仁天皇に限らず、明治以降の5代の天皇全員を美化し、「心理的苦衷を理解する必要がある」とし、睦仁(明治天皇)や、とりわけ裕仁(昭和天皇)の侵略戦争・植民地支配の責任を隠蔽し・擁護している。

 第3に、「時代の要請と天皇個人の乖離がない」すなわち「令和」の天皇が「時代の要請」に合致しているとしているが、その「論拠」として挙げているのは能登半島被災地への「2度の訪問」だけ。懸命に天皇(制)を持ち上げようとしているが牽強付会も甚だしい。
 「時代の要請」というなら、男女差別の解消、外国人差別の一掃など、あらゆる差別・人権侵害をなくすることこそ「時代」が求めていることだが、天皇制はそれに逆行する日本社会の差別の根源である。

 第4に、「皇位継承論議」に「天皇の意向」を反映させるべきだという結論(これがこの論稿の目的とも考えられる)は、天皇の政治関与を禁じた憲法(第4条)に明白に違反する。自民党の改憲案が目指す「天皇元首化」にもつながる暴論である。

 保阪氏は2022年12月に発売された「文藝春秋」(新年特大号)で、明仁天皇・美智子皇后(当時)に3年間で6回皇居に招かれたことを誇示し、そこでの懇談の模様を投稿して「平成天皇」の美化にも一役買いました(22年12月13日のブログ参照)。

 保阪氏の天皇(制)擁護は目に余りますが、1939年生まれの同氏が再三強引に美化しなければならないほど、天皇制は「時代の要請」に反していると言えるでしょう。

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