アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記49・「ごめんなさい、が分岐点」・「謝罪があれば妻は」・異例の謝罪会見

2019年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

☆「ごめんなさい、が分岐点だった」

  5月4日のラジオ深夜便。児童虐待防止機構(一般財団法人)の島田妙子理事長が自らの人生を振り返って語っていた。
 島田さんは子どもの時、義母から、そしてやがて実父も加わって、筆舌に尽くしがたい虐待を受けてきた。実父は暴力のあと、悲しそうな申し訳なさそうの顔をして島田さんを見たが、その表情とは裏腹に、また暴力を振るった。
 やがて親になり、自分が受けた暴言を同じように子どもにぶつけ、手をあげようとした時、島田さんは子どもに言った。「ごめんなさい」。涙で子どもを抱きしめた。
 「虐待の連鎖は必ずあるものではありません」と、島田さんは断言する。「『ごめんなさい』と言えたのが分岐点でした」

 ☆「謝罪があれば妻は…」 

 「けーし風」(新沖縄フォーラム刊行会議発行の季刊誌)の最新号(4月号)に特集で「ハラスメント」の座談会が載っている。
 この中で、「那覇市の中学の女性教頭が、校長から『無能』などと繰り返し罵倒、叱責され、うつ病を発症し、その後、認知症を発症した」問題が紹介されている。
 病気の女性に代わって夫が那覇市教育委員会を相手に損害賠償の訴訟を起こしている。夫はこう語ったという。
 「謝罪が迅速にあれば妻は50代で人生を狂わさずにすんだのではないか」

☆異例の謝罪会見

 8日付山陽新聞の1面常設コラムにこんな記事があった。
 「先月半ば、横浜市で異例の記者会見が開かれた。身元がわからないようマスクとサングラス姿で現れたのは関東地域に住む60代後半の男性。インターネットのブログにあおられ、差別に加担していたと謝罪した」
 男性は退職してネットを見るようになり、「朝鮮人は日本をおとしめている」などのヘイトブログを信じ込み、朝鮮学校無償化差別の弁護士に懲戒請求を求めるヘイト訴訟に加わった。
 しかし、裁判が始まり、「男性は弁護士側の主張など、さまざまな情報を知るうちに『ブログに書かれたことは、ただの差別だった』と気づいた」「懲戒請求を取り下げて会見までしたのは、同じ経験をした人に『目をさましてほしい』と呼び掛けるためという」 

 人は過ちを犯す。人生に蹉跌はつきものだ。人はどうすれば過ちを償い、そこから再生することができるのだろうか。そこに「謝罪」の深い意味がある。それは「国家」においても同じではないか。
 だが、「謝罪」の言葉にどのような思い・思考・自己検証を込めるのか…。「真実の謝罪」とは? それが問われる。


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