歴史が国家によってつくられるように、言葉も国家の支配に都合がいいように使われる。侵略国家は侵略を正当化する言葉を使い広める。たとえば―。
「蝦夷地開拓」=アイヌ民族武力支配
「琉球処分」=琉球民族武力支配
「大東亜共栄圏」=東アジア侵略地域
「八紘一宇」=天皇総帝論
これらは歴史と共にその本質が明らかになり、いまや死語となっているものもある。しかし、いまだに誤用が横行しているものも少なくない。たとえば―。
「従軍慰安婦」「慰安婦」=戦時性奴隷
「集団自決」=集団強制死
「徴用工」=強制連行
世論の動向を見極めようとしているかのように、メディアが併記しているものもある。
「反撃能力」=敵(基)地攻撃能力
敗戦後、一貫してその実態を偽り日本とアジアの市民を騙し続け、いまだに是正されないどころか、無意識化して定着している、いわば国家権力による言葉誤用政策の双璧がある。「日米安保」と「自衛隊」だ。
「日米安保体制」とは、日米軍事同盟体制であり、「安保条約」は軍事同盟条約、「安保法制」は戦争法制、「安保3文書」は軍拡3文書。「日米同盟」は日米軍事同盟と正確に言うべきだ。
「自衛隊」とは日本軍にほかならない。
その本質は、発足当時の1950年代にくらべ、悲しいことに、いまはより鮮明になっている。にもかかわらず、相変わらず、まるでアメリカが日本の安全を保障してくれているかのように「日米安保」という言葉が使われ、まるで日本「国民」を守る組織であるかのように「自衛隊」と呼び続けている。
国家権力による意図的な言葉の流布が、侵略戦争・植民地支配を強行する大きな“武器”になったのは歴史の教訓だ。
言葉を正確に使うことがいまほど重要なときはない。そんな歴史の分岐点に立っている。