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今月22日、神戸市内の3階建て集合住宅で火事があり、4人が死亡した。全員77歳~86歳の男性だった。30人の入居者のほとんどは「高齢男性」で、ホームレスの支援団体が斡旋した人が多かったという(写真)。
20日の厚労省の発表では、2022年の自殺者は2万1584人で2年ぶりに増加。担当者は「40~60代の男性のほか、失業者や年金生活者らで増加が目立つ」と分析している。
それでなくても、加齢による体力・知力の衰え、病気の不安、一人暮らしの孤独に憂鬱な気分になることが多い日々。日本社会は「高齢者」が生きにくい。
そんな中、元気が出る記事があった。
24日付琉球新報(「ニッポン更新中⑩」)によれば、「日本老年学会」(というのがあるんだ)は、「高齢者の定義を(65歳から)75歳以上とすべきだ」と提言している。
「生涯学」プロジェクト(というのもあるんだ)の柴田悠・京都大学准教授(社会学)の調査によれば、「もめ事を平和的に収める能力は、中年期以降に成長すると言えそう」だという。
同プロジェクトの代表、月浦崇・京都大教授(神経科学)はこう指摘する。
「現代は効率重視になり、運動能力などの低下に目が行きがちだが、年齢を重ねた能力の特徴を科学的に示し、評価軸が変わることを期待する」
「老いを受け入れたときに見える多様な力を生かせる社会はありうる」
たしかに、「年齢を重ねた能力の特徴」はあるはずだ。それが「もめ事を平和的に収める能力」だとしたら、素晴らしい。世界情勢の面でも、その能力が今ほど必要なときはないし、これからますます求められるだろう。
「老いを受け入れたときに見える多様な力」。なるほど。残念ながら私はまだその「力」が自覚できていないが、きっとあるはずだ。それを社会に生かしていこう。
それは社会の側の問題でもある。「高齢者」の「多様な力」を生かす社会でなければならない。それはけっして「高齢者」に「やさしい」慈悲深い社会ではない。「高齢者」への偏見・差別のない、「高齢者」をリスペクトした、その「多様な力」を正当に評価して生かす社会だ。
それは、すべての人の人権が尊重される、平和な社会につながるはずだ。
そんな社会をつくる「当事者」が「高齢者」だ。その「当事者」の1人として、社会にかかわり続けていこう。