アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

白鵬に“皇民化”圧力かけた日本相撲協会

2021年11月18日 | 国家と文化・芸術・スポーツ

     

 現在行われている大相撲九州場所の土俵下に、引退した白鵬(間垣親方)の姿があります。白鵬が日本相撲協会の年寄(親方)になるにあたって、相撲協会からきわめて異例・異常なことが行われていたことが分かりました。それは白鵬だけの問題ではなく、大相撲、ひいては「日本文化」がもつ根深い問題と無関係ではありません。

 永年白鵬を取材してきた相撲リポーターの横野レイコさんがその経過を語っています(14日の朝日新聞デジタル)。ポイントは次の2点です。

① 白鵬の引退会見(10月1日、写真左)の前日、日本相撲協会は白鵬の年寄、間垣襲名の条件として、「相撲道から逸脱した言動をしない」などとする「異例の誓約書」にサインさせた。

② 白鵬は年寄名跡がなくても、本人一代に限って現役時代のしこ名で親方になれる「一代年寄」になる十分な資格があるが、協会の有識者会議は今春、「一代年寄」の存在自体を否定する提言書をまとめた。あまりに唐突・強引で、白鵬の引退を視野に入れたものだと感じた人も多かったと思う。

 相撲協会が白鵬を「一代年寄」にしたくなかったことと、白鵬がモンゴル出身であることは果たして無関係でしょうか。これまでの「一代年寄」は大鵬、北の湖、貴乃花の3人ですが、いずれも日本出身です。

 「誓約書」の内容を詳しく見るとこうなっています。「大相撲の伝統文化や相撲道の精神、協会の規則、ルールやマナー、相撲界の習わし、しきたりを守り、そこから逸脱した言動を行わないこと」(9月30日の時事ドットコム)

 この「相撲道の精神」とは一体どのようなものでしょうか。

 日本相撲協会はその「使命」をこう規定しています。「太古より五穀豊穣を祈り執り行われた神事(祭事)を起源とし、我が国固有の国技である相撲道の伝統と秩序を維持し継承発展させる」(公式サイト)

 かつて、白鵬と同じモンゴル出身の横綱・日馬富士が引退に追い込まれた時(2017年11月)も、八角理事長(当時)は「日本の国技を背負う力士であるという認識を新たに」せよ、という「講話」を全力士に行いました。

 そもそも相撲協会は、年寄(親方)になるためには日本国籍の取得を絶対条件としていますが(白鵬は2019年9月に帰化)、これ自体、大相撲が「国技」として「日本国家」と深く結びついていることを示しています。

 「我が国固有の国技」。このキーワードで、大相撲は神事すなわち神道と結びついています。大相撲自体が神事と言って過言ではありません。例えばそれは、土俵(神が宿る結界とされている)を清める儀式や、土俵に女性を上げないことに表れています。その土俵の屋根は、天照大神を祀る伊勢神宮を真似た神明造です。

 神道との結びつきは必然的に天皇制との深い関係にいきつきます。その関係は、天皇裕仁によってかつてなく強固になりました。
 例えば、優勝力士には「天皇賜杯」が渡されますが、この慣習が始まったのは1926年で、当時の裕仁皇太子が協会に下賜した金で製作されたのが始まりです。

 さらに、天皇裕仁の下で強行された侵略戦争の中で、「武道としての相撲」「相撲道」の普及が「国策」として行われました(新田一郎著『相撲の歴史』山川出版1994年)。

 相撲協会が白鵬に突き付けた「誓約書」の「大相撲の伝統文化」とは神道の伝統文化であり、「相撲道の精神」とは「国技」として天皇制と深く結びついた「精神」にほかなりません。

 その「誓約書」へのサインを事実上強要したことは、モンゴル出身の白鵬に“皇民化”への圧力をかけたものと言えるのではないでしょうか。

 

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 強まる沖縄の米軍・自衛隊一... | トップ | コロナ陽性の米兵はなぜ隔離... »