8日の毎日新聞の1面意見広告が目に飛び込んできました(ほかに東京新聞、沖縄タイムス、琉球新報にも)。
「辺野古に基地はいらない。-『いのちの海』を『基地の海』にしないでください。」
「普天間即時閉鎖、辺野古やめろ、海兵隊いらない」沖縄・意見広告運動(第5期、山内徳信じ、武健一代表世話人)が、全国からの賛同金で行ったものです。
「戦争や軍事力にたよらない平和を!いまこそ米海兵隊は撤退を!」「人間の誇りと尊厳をかけた、平和な暮らし、命の美ら海を守る沖縄の民意に、政府は辺野古新基地建設を中止すべきです」と、主張は明快です。
しかし全体を読んで、この意見広告のさらに素晴らしい見識に気付きました。
「安倍政権は日米安保条約の下・・・『戦争のできる国』への準備を進めています」
「東アジアの平和のため『日米安保条約』はいりません。」
「今こそ、その根幹にある『日米安保条約』を見直すべき時ではないでしょうか」
「集団的自衛権-9条壊憲を絶対に許さず、日米安保条約をやめて、日米平和友好条約の締結を求めます」
「日米安保条約は、対米追従と構造的な沖縄差別の上に成立しています。これは、憲法前文と9条の平和主義に反します」
「安保条約は1年前に通告すれば終了できます」
「沖縄の基地負担と対米追従を生み出す日米安保条約を日米平和友好条約に変えることを求めます」
実に7回も、「日米安保条約」に触れ、その本質を指摘し、廃止して友好条約に変えることを主張しているのです。
指摘通り、辺野古問題も、集団的自衛権行使も、9条改悪も、その根源はすべて、「対米追従と構造的な沖縄差別の上に成立」している日米安保条約です。
その廃止なくして、辺野古・沖縄問題の根本的解決はあり得ません。
その点を明快に指摘した意見広告の見識は、今日、特筆すべきです。
なぜなら、「辺野古」「オスプレイ」阻止の運動の中で、安保条約問題が棚上げされる傾向があるからです。
その典型が「オール沖縄」です。
今沖縄では「オール沖縄」のスローガンの下、11月の知事選挙で、「保革を超えて」元自民党幹事長の翁長雄志那覇市長を擁立しようという動きが強まっています。
しかし、その「オール沖縄」の一致点には、「オスプレイ反対」「辺野古(普天間基地の県内移設)反対」はあっても、「日米安保反対」はありません。だから翁長氏を擁立できるのです。
「日米安保」を棚上げし、それを容認する知事の下で、いま沖縄が直面している諸課題が、ほんとうに前進するでしょうか。
「辺野古反対」は、集団的自衛権行使反対、9条改悪反対、日米安保条約廃止と一体・不可分でなくてはなりません。
<気になる報道>
「桂宮」Who?
桂宮宜仁氏が8日死去しました。それをニュースとして報道するのは当然です。
問題は「市民の声」です。NHKは街頭で市民の声を拾っています。「驚きました」「残念です」
しかし、いったい何人の人が、「桂宮宜仁」という人を知っていたのでしょうか。おそらく大多数の人は存在自体を知らなかったのではないでしょうか。
先日の高円宮典子さんの婚約のニュースも同じです。にこやかに「祝意」を述べていた「街頭市民」のうち、何人がその人物の存在を知っていたでしょうか。
コメントした市民を批判しているのではありません。問題は報道の側です。
おそらく多数の市民を取材した中で、報道の意図に沿うものだけを拾いだし、まるでそれが市民の総意であるかのように編集するメディアが問題なのです(放送メディアだけでなく、新聞も同じ)
もちろんこうした手法は今回だけではありません。しかし、この2つの場合、特別の意味を持ちます。
それは皇族の冠婚葬祭のたびに、さも皇族・皇室が国民に親しまれているかのように描く報道が、天皇制を定着させ日常化させる上で大きな役割を果たしているからです。
こうして作られた「愛される皇室・皇族」によって維持される天皇制。それがどういう役割を果たし、日本をどういう国にしているのか。主権者である私たちはしっかり考えなければならないのではないでしょうか。