「米の毒ガス処理文書確認 化学物質、近海投棄か」。こんな見出しの記事が5日の中国新聞に載りました。
福山から瀬戸内海沿いのJR呉線で呉に向かう途中にある竹原市忠海(ただのうみ)。その沖合3㌔の大久野島(おおくのじま)には戦時中、日本陸軍の毒ガス製造工場がありました(写真左は資料館パンフから)。
いまではうさぎがいる国民休暇村として観光地になっていますが、うさぎは毒ガス感知のために飼育されていた名残です。
製造された毒ガスは、敗戦翌年の1946年から英連邦占領軍によって太平洋などに廃棄されたと言われてきました。ところがその1年前、米軍による処分も行われていたことが、広島大学の石田雅春助教の調査で判明したのです。
45年暮れにはイペリット(びらん性毒剤)爆弾4810発が豊後水道に投棄されたと米軍文書に記されているといいます。
国際法違反の毒ガス。その製造、遺棄の事実はまだ不明な点が多く、またその実態はあまり知られていません。
戦争の非人道的性を明らかにする上でも、毒ガス製造の実態の記録、いっそうの解明が求められています。
それに関連して、ずっと気になっていたことがあります。「大久野島歴史展示ピンチ 忠海中20年前製作 校舎改築、場所足らず」という記事(4月29日付中国新聞)です。
地元忠海中学の生徒たちは、「ふるさと学習」などで学んだ毒ガス工場の実態、地域の歴史を伝えたいと、1992年、校内の一角に「資料室大久野島」を設け、生徒会が運営してきました。
そこには自分たちで作った島の全景模型や防護服姿の人形、収集した毒ガス製造容器などが展示されていました。
ところがこれが校舎改築に伴って、廃止されるというのです。
なくなる前に一度見ておこうと、忠海中や教育委員会に問い合わせましたが、すでに資料室は撤去。「展示物は段ボールの中」で、見ることはできませんでした。
改築後はぜひ再開を、と期待しましたが、「スペースがなく、その予定はない」とのこと。
忠海中の改築は、同地区内の2つの小学校と小中一貫校になるためです。それで「スペースがなくなった」わけです。
小中一貫校については、学習・教育面から問題点が指摘されていますが、こうしたところにもその影響は及んでいました。
戦争の記憶も記録も薄れようとしている中、生徒たちが自主的に展示・保存を行い、22年間引き継いできた。素晴らしい「資料室大久野島」をなんとか残したいものです。
<気になるニュース>
石牟礼道子さんが「後藤新平賞」?
中国新聞文化面(5日付)の短信に、「後藤新平賞に石牟礼さん」の記事。
「後藤新平の会」(粕谷一希代表幹事-先日逝去)が「第8回後藤新平賞」に作家の石牟礼道子さんを決定。「『苦海浄土』などの作品を通じて近代そのものを深く、広くとらえた」ことが授賞理由だといいます。
石牟礼さんは水俣だけでなく、沖縄にも熱い視線を注ぎ続けている素晴らしい方です。それだけに、このニュースには違和感があります。
なぜなら、後藤新平は、台湾総督府民政長官のほか(ちなみに第1回後藤新平賞は台湾の李登輝氏)、満州鉄道初代総裁として、帝国日本の植民地政策を先導した人物です。戦後は日本に原発を導入した正力松太郎氏に資金援助して読売新聞の経営を支えました。
その「後藤新平賞」に、石牟礼道子さんはいかにも不似合いです。
石牟礼さんが受賞を辞退したというニュースはまだ伝わってきていません。