アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「原爆資料館」を久しぶりに訪れて

2014年06月19日 | 戦争・遺跡

Photo_3Photo_4 先日、久しぶりに原爆資料館(広島市中区)を訪れました。
 「3・11」後、そして1年間の沖縄生活を経て訪れた(確か4回目)資料館で、いくつかの新たな感想を持ちました。

 ①「ピース・ボランティア」の奮闘・充実

 館の内外で、緑のポロシャツ姿のボランティアガイドが数多く見られました。受付で頼めば、1人でもガイドさんがついて説明してくれます(10:30~14:30)。
 もちろん無料。外国人をガイドするボランティアの英語はたいへん堪能でした(写真左)。
 沖縄にもピース・ガイドはありますが、広島の経験に学んでさらに充実させたいものです。

 ②記述がない「3・11」「内部被曝」

 戦前の広島のようすから、現代の「核兵器廃絶運動」まで、パネル中心に展示されている東館。最後は「3・11」だろうと思っていましたが、その記述はありませんでした。
 原爆の恐ろしさを詳しく伝える本館の展示にも、「体内被ばく」には触れていましたが、「内部被曝」の文字はありませんでした。
 原爆と原発。原爆資料館として、「3・11」、東電福島原発事故にどう向き合うのかが問われているのではないでしょうか。

 ③撤去してはならない「被爆人形」

 原爆資料館はまもなくリニュアル工事に入ります。それに伴い、「被爆の実相」を伝える本館の展示内容が変わります。被爆時を再現した人形(写真右)が撤去されるのです。

 市は遺品や写真など「実物資料」を中心にする方針だからだといいます。実物展示の充実はもちろん結構なことです。しかし、それは「人形」を撤去する理由にはなりません。
 ほんとうの理由は、「被爆人形」があまりにも残酷な光景だからでしょう。

 残酷な姿は見せないようにする。「はだしのゲン」(中沢啓治作)への攻撃が思い浮かびます。

 しかし、写真などない被爆直後の光景は、「実物」では展示できません。そのために、人形や絵画があるのです。
 時として「実物」よりも実態を伝える力を持つ、こうした創作物の価値を絶対に軽視することはできません。

 端正にケースの中に展示された遺品の数々は、もちろんそれとして訴えるものがあります。しかし、次の部屋でこの人形に出会った瞬間、あたりの空気までピーンと緊張が走ったような衝撃を受けました(以前にも見たことはありますが)。この緊張感、衝撃こそ貴重なのではないでしょうか。

 残酷な歴史の事実は残酷なまま伝える必要があります。実体験のない私たちが、原爆の残酷さを肌で感じることは貴重なことです。
 だから、「被爆人形」の撤去には反対です。

 <気になるニュース>

 情けない社民党党首の「公明党頼み」

 中国新聞のインタビュー連載「問う集団的自衛権」(17日付、共同配信)で、社民党党首の吉田忠智氏がこう述べています。

 「公明党には歯止め役として頑張ってほしい。与野党の勢力差を考えると、現実的に首相の暴走を止められる可能性が高いのは公明党だ」

 なんと情けない発言でしょう。公明党への「期待」が危険な幻想にすぎないことは何度も述べてきました。

 吉田氏の発言の根本的な問題は、視点が国会の中にしかないことです。国会議員の「勢力差」だけ見ていては、絶望的にならざるを得ません。

 「首相の暴走を止められる可能性」を持っているのは、もちろん公明党などではなく、国会の外の市民・国民の世論と運動以外にありません。
 
 社民党は共産党とともに日米安保反対を掲げ、安倍政権の戦争政策に正面から対峙している貴重な政党です。多くの社民党員、支持者は市民運動で奮闘しています。中央幹部もぜひ視点を国会の外に向けてほしいものです。


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