アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「天皇巡幸」と広島と沖縄

2014年06月05日 | 天皇・天皇制

PhotoPhoto_2 朝日新聞の目玉連載「プロメテウスの罠」の「震災と皇室」シリーズ。途中の段階で、天皇(天皇制)美化に終始していると書きました(5月3日)が、同シリーズが終わって、それが杞憂ではなかったことがはっきりしました。朝日(執筆者)の見識(意図)が改めて問われます。

 そんな中、最近読んだ2冊の本が、強く印象に残りました。
 1つは、広島平和研究所所長を6年間勤めた浅井基文さんが、「広島の地で特に平和について学んだこと、考えたこと」を著した『ヒロシマと広島』(2011、かもがわ出版)です。
 全編たいへん示唆に富む優れた著作ですが、なかでも目を引いたのは、「昭和天皇の戦争責任を直視しなかった広島」という一節です。

 「私が広島でもっとも驚いたことの一つは、昭和天皇が『国体護持』のために敗戦をぐずぐず引き延ばしたことが原爆投下を招いたこと(ポツダム宣言を無条件で受け入れていれば原爆投下はなかったこと)について、敗戦直後の広島ではまったく問題意識を持たれていなかった(その点で、広島は日本の他の地域と変わることはありませんでした)だけでなく、昭和天皇の広島への巡幸は広島側から願い出て実現したものであるということでした」(カッコ内も浅井氏)

 昭和天皇への「崇拝」は戦後も根強く、「全国巡幸」も各地で「歓迎」されたことは、吉見義明さんの『焼跡からのデモクラシー・上』でも明らかにされています。
 それが被爆地・広島でも例外ではなかったことを資料で示されたのは、はやり衝撃でした。
 それほど天皇の「巡幸」は天皇賛美・天皇制維持のために大きな役割を果たしたのです。

 問題は、これが「昭和の巡幸」だけの話ではないことです。
 明仁天皇の「平成の巡幸」はどうなのか。朝日の連載が賛美した天皇・皇后の被災地訪問(写真左は『皇室』から)は、その一環にほかなりませんが、それがいかなる役割を果たしたのか。

 さらに「平成の巡幸」は戦後70年を目前にして、新たな段階を迎えようとしています。
 天皇は招待ではなく自らの希望という異例の動機で、太平洋戦争の激戦地・サイパンを初めて訪れる意向だといいます。

 その同じ脈絡の中、天皇・皇后は今月26日、沖縄を訪れ、初めて対馬丸(1944年8月22日米潜水艦によって撃沈され、学童766人を含む約1500人が犠牲になった疎開船)記念館を訪れます。これも天皇のたっての希望だといいます。

 こうした天皇の「巡幸」の活発化をどう見るのか。沖縄は天皇の対馬丸記念館訪問をどう受け止めるのか。
 平成天皇・象徴天皇制への美化・賛美が広がっている中、天皇制とは何か、象徴天皇制の本質は何かを問い返すことは、私たちの喫緊の課題ではないでしょうか。

 新たな「天皇タブー」ともいうべきメディア状況の中で、上野公園における「天皇巡幸」と、東北出身のホームレスを対比して描いた柳美里さんの『JR上野駅公園口』は出色でした。
 柳さんは言います。「ホームレスの方も、同時代を生きたかけがえのない人生じゃないですか」
 これが印象に残ったもう1冊です。

 <気になるニュース>

 「防犯カメラ」が日常化する危険


 「防犯カメラ75台を新設 福山市が計画報告」「JR全駅前 防犯カメラ 東広島市」。同じ日(5月22日)の中国新聞(地域版)に載った2つの記事の見出しです。

 犯罪報道のたびに「決め手は防犯カメラ」と報じられます。その結果、「防犯カメラは治安維持のために必要」だという考えが刷りこまれてはいないでしょうか。

 「防犯カメラ」(この呼び方も意図的で、監視カメラと言うべきです)が、犯罪捜査に利用されているのは確かですが、その本質は警察(国家権力)による市民監視です。

 その本質が忘れられ、そこらじゅうに監視カメラがあり、監視されることが日常化することに疑問を持たなくなるのは危険です。
 「犯罪報道」の陰で、国家権力と市民の緊張関係が隠ぺいされているからです。


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