角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

わらじ仙台四郎。

2011年02月10日 | 地域の話


今日の草履は、彩シリーズ23cm土踏まず付き〔四阡円〕
紫基調のアゲハチョウプリントをベースに、紫の格子柄を三箇所に配してみました。
私自身が好きなせいか、紫基調の草履をよく編みます。お客様の中には嫌う方もいらっしゃるのですが、ときに『あら~、紫色が大好きなのよ~』と言われると、自分が褒められたようで嬉しくなってしまいますね。

二月に入って暖気が続いています。最高気温は連日プラスになり、一月のような寒波と豪雪は幾分影を潜めた感じです。まだしばらくは「三歩進んで二歩下がる」状態でしょうが、二月は暦が少ない分、春への歩調も若干速く感じるでしょう。
もうひとつの春を勝ち取るべく、わが家の受験は未だ継続中です。7日から一泊で二度目の仙台を訪れてきました。

仙台のホテルでくつろいでいると、カミさんから一通のメールです。せっかく仙台にいるのだから、「仙台四郎」のグッズを見つけてくればとのこと。仙台四郎グッズで持っているのはケータイストラップのみ、なにか飾れるものが欲しいとは考えていました。娘が試験に臨んでいる間は、どこへ出掛けようが私の自由というわけです。実際先月三泊した際も、ずいぶんあちこち歩き回りました。

「仙台四郎」を簡単に説明すると、江戸時代後期から明治時代にいた実在の人物です。幼い頃水難事故で脳に障がいを持ってしまい、言葉が話せません。でもいつもニコニコしていたようですね。おそらく人様に苦痛を与えない、周囲を穏やかにする空気を持っていたんでしょう。

四郎が立ち寄る店は繁盛店となり、四郎が抱きかかえる赤ん坊はすくすく育ちました。こんなことが仙台の人々に知れ渡り、誰もが四郎を優しく暖かく迎えたそうです。やがて四郎は、商いの神様や家内安全のご利益をもたらすとして崇められたというわけです。
四郎は47歳でこの世を去りました。あと十日ほどで48歳になろうとしていた私に、カミさんが突然四郎のことを言うのですから、これもなにかの縁かなと思ったものです。

翌日次女を試験会場へ送り届けると、仙台四郎のグッズが販売されているという「三瀧山不動院」を訪ねてみました。仙台市繁華街の一角、クリスロードというアーケード通りにひっそり遺る不動院。とは言え、参詣の人が後を絶たないんですね。その仲小路にお店はありました。

仙台四郎や伊達政宗といった偉人伝説は、ブームと言いますかその人気にも波があるんでしょう。大河ドラマに伊達政宗が登場した年は、仙台城址が観光客で埋まったそうです。
仙台城址は先月三泊の折に訪ねました。冬場というのを差し引いても、人影が多いとは言えませんでしたね。仙台四郎人気も今は落ち着きの時なのか、陳列されてあるグッズの種類はそう多くなかったです。

しかししかし、私を待っていてくれたようなアイテムと巡り会いましたよ。もうこれだけでお店を訪ねた甲斐があったというものです。早速明日の再開から「わらじ仙台四郎」を実演席に飾り、多くの人々を幸せな気分にさせた仙台四郎の魅力を考えてみたいと思います。



ただし、昨年暮れの入院から喜びのニュースに乏しいわが家。まずは仙台四郎の恩恵を少しでも分けて欲しいのが本音でしょうかね。
コメント
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