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釈放された日本人はジュムペイ・ヤスダとトルコが確認した

2018年10月24日 | 国際
10月25日 10月23日、シリアで解放された人物は日本人ジャーナリストのジュムペイ・ヤスダと確認されたと、トルコ・ハタイ県のエルダル・アタ知事が言いました。

Hurriyet

「問題の人物は日本のプレス・メンバーのジュムペイ・ヤスダであると、わが国の関係当局が日本当局と協議して判定しました。ヤスダ氏は2015年、シリアに不法入国し、シリアで人質になっていました」とアタ知事は言いました。

「ヤスダ氏はトルコの治安&情報職員の共同作業によって発見されました。軍事作戦は行なわれませんでした」と知事は付言しました。日本のヨシヒデ・スガ内閣官房長官は、10月23日、シリアで解放された男性はジュムペイ・ヤスダらしいと言いました。

メディアによると、44歳のジャーナリスト、ヤスダは、2015年、トルコからシリアに入った後、「アルヌスラ前線」として知られたアルカイーダの分派に捕らえられました。それ以来、時折、彼の姿はオンライン・ビデオで見られました。内戦監視団は、ヤスダは、最近は、中国から来た戦闘員集団「トルキスタン・イスラム党」とともに、シリアの司令官に拘束されていたと言いました。

ヤスダが中東で拘束されたのは、これが初めてではありません。ヤスダは2004年にもバグダードで捕まり、釈放交渉に政府を引き出したために、国内で批判を受けたこともありました。日本の安倍晋三首相は、10月24日、ヤスダが釈放されて、ほっとしたと言いました。


放置されたサウジ領事館の車に衣服の詰まったスーツケースが

 トルコ警察は、イスタンブル・スルタンガジ区の駐車場に放置されたサウジ領事館の車のトランク内に、ロックされた怪しいスーツケース2個を見つけました。スーツケースには衣服が詰まっていました。

 Hurriyet

この車は、10月2日、ジャーナリストのカショギ氏がサウジ領事館に入って行ったとき、領事館の前に止まっていた車で、Hurriyet紙の読者の通報によって、スルタンガジの駐車場で発見されました。

領事館のトルコ人従業員がHurriyet紙に語ったところによると、外交ナンバー34CC1763のプレートをつけたメルセデスは、10月7日、ムハムマドOという領事館の外交官が運転してきて、駐車場に置いたということです。

「私たちはよくこの駐車場を使っていますが、この車は、通常はトルコ人運転手が運転しています。しかし、10月7日は、外交官が自分でこの車を運転しました」と従業員は言いました。トルコも、世界の人々も、いまだにカショギ氏の遺体がどうなっているのかわかっていません。

サウジ外交官は、10月18日、外交ナンバー34CC2665のプレートを付けたBMWで、ふたたび駐車場に現れました。従業員によると、外交官はメルセデスの前にBMWを止め、3個のスーツケースを下ろしました。そのうちの2つは、とても大きかったそうです。彼は駐車場の従業員に手伝わせて、スーツケースをメルセデスに積みこみました。

「スーツケースの中にカショギ氏の遺体が入ってるんじゃないでしょうね?」と、従業員が冗談で尋ねると、外交官は笑って「ノー」と答えたと、彼は言いました。

化学的作業のためのフェース・マスク
スーツケースをトランクに入れるとき、フェース・マスクが床に落ちたと、従業員は言いました。「外交官はそれを拾って、ゴミ入れに入れ、BMWに乗って駐車場を出て行きました。私は、これは怪しいと思って、マスクをゴミ入れから拾い、医者の見せました。医者は、これは強い化学薬品を扱う人が使うマスクだと言ったので、私は恐ろしくなって、すぐにマスクを捨てました」

領事館のメルセデスは、トランクに怪しいスーツケースが入ったまま、駐車場に残されました。後部シートには、アイフォン・ボックスとケトルがひとつ置いてありました。

トルコ警察は10月22日、駐車場に行きましたが、外交特典のため、車を捜査できませんでした。治安部隊が、サウジ当局の棄権証書を受け取ってから、10月23日、車内の捜査を行いました。車のトランクに入っていた2個のスーツケースには衣服が詰まっていました。衣服はDNA鑑定をすると、治安部隊は言っています。


サウジ当局は領事館内の井戸の捜査を拒否した

サウジ当局は、トルコ警察がジャマル・カショギ氏殺害の捜査の一環として、イスタンブルのサウジ領事館の庭にある井戸を捜査することを拒否したと、アナドル通信が報じました。

 Hurriyet
イスタンブルのサウジアラビア領事館の6階建ての建物


トルコ当局はまえにも、サウジ領事館と領事公邸の捜査を行なっています。皇太子を批判していたワシントン・ポストの寄稿家カショギ氏は、10月2日、イスタンブルのサウジ領事館内で殺害されました。サウジ政府は2週間以上、カショギ氏の死を否定した後、10月20日、領事館内での喧嘩で殺されたと言い、国家が承認した殺害ではないと言っています。

トルコは殺害の捜査を独自に行っていますが、遺体がどこにあるのかはまだわかっていません。


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「カショギ氏殺害容疑者の裁判はイスタンブルで」エ大統領

2018年10月24日 | 国際
10月24日 エルドアン大統領がイスタンブルのサウジ領事館でのジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏殺害に関する真実を明らかにし、容疑者をイスタンブルで裁くことを要求しました。

 Hurriyet

以下はエルドアン大統領のカショギ氏に関するスピーチからの抜粋です。

*カショギ氏は最初、9月28日、結婚の書類を所得するために、イスタンブルのサウジ領事館を訪れた。カショギ氏殺害のロードマップはこのときから始まった。

*10月1日、サウジ人3人のチームがイスタンブルに着き、領事館に入った。これとは別の領事館のチームが、イスタンブルの「ベルグラードの森」と隣県のヤロヴァに行った。

*10月2日朝、またべつの15人のグループが領事館に入り、領事館の防犯カメラのハードディスクを除去した。

*カショギ氏が、午後、領事館内に入り、出てこなかった。彼の許婚者が、彼が消えたことをトルコ当局に通報した。トルコ当局は近くの防犯カメラの映像をチェックし、カショギ氏が建物から出てこなかったことを確認した。

*イスタンブル検事局は捜査を開始し、カショギ氏が領事館を訪れる前に、サウジノ情報局員と法医学の専門家を含む15人がトルコに来たことを突き止めた。

*彼らの1人は、カショギ氏の服と眼鏡とつけヒゲを身につけて、カショギ氏に化けて領事館を出た。その後、彼は他の連中といっしょにトルコを去った。

*サウジアラビアは、10月4日、殺害を否定し、領事はロイターの記者を招き、弁明した。

*わが国がこの事件を国際メディアで問題にしたため、サウジ当局はトルコに領事館内の捜査を許可した。

*わが国は黙してはいないと言いつづけてきた。わが国は無実の人が罪を着せられることのないよう、捜査の結果を待った。

*私は10月14日、サルマン王と話し、共同捜査チームを結成した。これによって、トルコ当局が領事館と領事公邸に入ることができた。私は領事のスタンスに不満を言ったが、政府は彼を解雇した。

Hurriyet

*殺害から17日後、サウジアラビアはカショギ氏が領事館内で殺されたことを認めた。われわれが明らかにした15人を含むサウジ人18人が、サウジで逮捕されたことを、われわれは電話で知らされた。

*われわれはまた、だれがトルコのイメージを誹謗するソシアルメディアのキャンペーンを行なったか、わかっている。

*領事館は外交特典を持っているが、これはわが国境内で起こったことであることも忘れてはならない。われわれはこの殺人をしっかりと捜査し、必要なことを行なう。

*情報と証拠は、カショギ氏が残虐な方法で殺されたことを示している。

*サウジアラビアが殺害を認めたことは大きな進展だ。われわれは殺害に関わったすべての人が処罰されることを期待する。われわれはこの殺人は意図的なものであり、偶発的ではないという確かな証拠を持っている。

*なぜ15人の男は殺人の日に、イスタンブルに来たのか? だれが彼らに命令したのか? なぜ彼らはすぐに領事館内の捜査をさせなかったのか?

*なぜ彼らは、殺人を認めた後も、いまだに彼の遺体を見せないのか? サウジ当局が遺体を渡したという“地元の協力者”とはだれなのか? サウジはこの“地元の協力者”を明かすべきだ。実行した者も、扇動した者も、すべて罰せられるべきだ。

*私はサルマン王が嘘を言っているとは思わない。しかし、これは政治的殺人であるから、容疑者は公正な裁判にかけられるべきだ。

*私はサウジアラビアに要求する。これはイスタンブルで起こったことだ。われわれは18人をイスタンブルで裁くことを提案する。もちろん、これは彼らが決めることだ。


エルドアン大統領がカショギ氏の遺族に電話で弔意を述べた

エルドアン大統領は、10月23日、惨殺されたジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏の家族と電話で話し、弔意を述べ、トルコは彼の殺害を究明するために、できることはすべてすると誓ったと、大統領府ソースが言いました。

 Hurriyet
写真は10月23日、新任のペルー大使を迎えたエルドアン大統領


エルドアン大統領はカショギ氏の息子のアブドゥラさんら家族たちと話し、カショギ氏の死に深い悲しみを表明しました。


サウジ皇太子がカショギ氏の家族と会った

サウジアラビアのサルマン王とモハムマド・ビン・サルマン皇太子が、10月23日、リヤドで、惨殺されたジャーナリスト、カショギ氏の家族と面談したと、サウジのメディアが報じました。

 Hurriyet
ウチの子分が君のお父さん殺しちゃってごめんね


サウジの支配者は、王宮で、カショギ氏の息子のサラーフさんと兄弟のサヘルさんと会ったと、サウジ国営ニュース局SPAが報じました。王と王子はカショギ氏の家族に弔意を述べました。

カショギ氏殺しの嫌疑をかけられているモハムマド王子は、10月23日、リヤドで行われた国際的な投資会議に姿を見せ、スタンディング・オベーションで迎えられました。会議に出席した3000人のビジネス・エクゼクティブたちは、リッツ・カールトン・ホテルの大理石造りのロビーで談笑し、キーウイ・ジュースをすすり、名刺を交換し、取引の話をしました。

モハムマド王子はスピーチをせずに会場を去りました。


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