トルコのトピックス

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ザマン・メディア・グループが裁判所の管理下に

2016年03月07日 | 国内
3月7日 ザマンメディア・グループが政府の管理下に置かれたというニュースは、日本のテレビでも新聞でも報じられました。「最多の部数を誇り、エルドアン大統領への批判的な論調で知られるザマンは、5日、裁判所の決定で政府管理下に置かれた。・・・管理下に置かれる前の5日付同紙朝刊は“憲法は無視された”と書き、英字紙トゥデイス・ザマンも“トルコの報道の自由にとって恥ずべき日”とある」(朝日新聞)

しかし、このザマン紙を出しているメディア・グループは「ギュレン教団」という組織とリンクしているのはトルコでは周知の事実で、アメリカに住む“教祖さま”ギュレンさんは、昔はエルドアン大統領と仲好しでしたが、いまは犬猿の仲で、これまでにも、トルコ政府との間でさまざまな問題があったことも踏まえて、今度の一件を見ないとね。つまり、単に「政府に批判的なメディア」が弾圧されたというのとは、ちょっと違う。「最多部数の新聞」は事実ですが、「唯一、宅配する新聞だからね」と言うトルコ人もいます。


「ザマンの取締りは司法の判断」ダウトオール首相

ザマン・メディアグループに管理委員団を指名したのは、裁判所の判断で、政府は関与していないと、ダウトオール首相が、3月6日、主張しました。ザマン支持者のプロテストに対して警察の厳しい取り締まりがあったのは5日でした。

 Hurriyet

「政府はこの件に関与していない。司法の決定は実行されるだろう」と首相は、ザマン・メディアグループを管理委員会の管理下に置くよう命じたイスタンブル裁判所の決定について、6日のテレビのライブで語りました。

「私は昨日、この件について意見を述べました。これは完全に合法的なプロセスです。トルコの出版の自由に関して躊躇することはなにもありません」と首相は言いました。「ザマンは国家のような組織によって、マネーロンダリングなど、いくつかの違法行為を行っていると告発されています」

管理委員会がメディア・グループの管理を引き継ぎました。ザマン・グループはジハン・ニュース、Today's Zaman, Zaman dailies, 雑誌ザマン、書籍ザマンなども出しています。裁判所がグループを管理下に置くことになった3月5日、ザマン・メディアグループの支持者たちが抗議に集まりましたが、警察は催涙ガスを使って支持者たちを散会させました。管理者たちは警察に付き添われて、メディアグループの本社に入りました。

報道によると、ザマン紙のアブデュルハミト・ビリジ編集長とToday's Zaman のコラムニスト、ビュレント・ケネシュ氏の労働契約は解除されました。


「EU=トルコ・サミットで、トルコは“新しい提案”を出した」とEU

3月7日に開催されたEUとトルコのサミットで、「トルコのダウトオール首相は、ヨーロッパへの移民の流入をせき止めるための新しい提案を出した」とEU当局者が、最初の会議後、言いました。「トルコは、さらに案を出し、さらに要求している」

 Hurriyet
ドイツのメルケル首相(左から3人目)、トルコのダウトオール首相(左端)、その他、EUのリーダーたちがランチ会議に参加した。3月7日、ブリュッセルのEUサミットで。


「ダウトオール首相はEU28か国のリーダーとのワーキング・ランチ中も、広範な提案を出した。サミットは夜までつづくだろう」とEU当局者は言いました。

「トルコはこれまでに、国内にいるシリア難民の援助のための30億ユーロと、EU加盟のための話合いのスピードアップと、今春中にトルコ人のビザなしヨーロッパ旅行を認めること要求している」と、あるEU外交官が言いました。そのかわりに、トルコは、ヨーロッパで亡命を拒否されたシリア人以外の移民と、トルコ領海で捕まった移民たちを引き取る用意があると、ダウトオール首相は言ったそうです。

「わが国はすでに、300万のシリア難民のために、100億ドルを費やしている。EUはわが国に30億ユーロを与えると約束したが、それから4か月過ぎた。わが国の首相はいまブリュッセルにいるが、私は彼がその30億ユーロを持って帰って欲しいと思っている」と、エルドアン大統領は、テレビの生中継で言いました。


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ヨーロッパとアジアがふたたび結ばれた

2016年03月07日 | 国内
3月6日 3月6日、ボスフォラス海峡第3橋の最後の部分が設置され、ヨーロッパとアジアがハイウエイと鉄道で結ばれることになりました。

 Hurriyet

エルドアン大統領はダウトオール首相、ビナリ・ユルドゥルム運輸相その他の高官らとともに、完成式に出席しました。式典でエルドアン大統領は、橋が市の北部の森林を破壊するという理由で、このプロジェクトに反対した環境保護主義者たちを批判しました。

「このようなプロジェクトは、大局的に考える人々によってのみ実現されます。彼らは橋を造らせまいと、ここにプロテストに来ましたが、いま、私たちがここにいます」と大統領はスピーチしました。

ユルドゥルム運輸相も、このプロジェクトを賞賛しました。「今日は歴史的な日です。この橋は鉄道が通る、世界で最も幅広い吊り橋です。3年足らずで完成した例も、世界にありません」と運輸相は言い、「前の2つの橋と違って、この橋を造った主要な建設会社はトルコの会社です」と付け加えました。

ダウトオール首相は、プロジェクトに貢献したエルドアン大統領とユルドゥルム運輸相、また橋を架けた作業員とエンジニアたちに感謝のことばを述べました。建設費30億ドルの第3橋の着工式は、2013年5月に行われました。第3橋は、東方世界の征服者として知られるオスマン・スルタンにちなんで、ヤウズ・スルタン・セリム橋と名づけられました。

第3橋の一部として造られた116キロのハイウエイと北部マルマラ・ハイウエイ・プロジェクトには、35の高架橋があります。その中の25の高架橋はすでに完成しています。

長さ1.4キロ、幅59メートルのこの橋には、8車線の道路と2車線の鉄道路線が敷かれます。橋が開通すれば、トラックや大型車両も通ります。アタテュルク国際空港、サビハ・ギョクチェン空港と現在建設中の第3空港も、鉄道システムによって相互に連結されます。この橋を通る鉄道は、マルマライと市内の地下鉄と結ばれます。

作戦で死んだPKKの遺体が身元不明で保存されている

 治安部隊との戦闘で死んだ非合法組織クルド労働者党(PKK)の戦闘員の遺体が、いまも多く保存されていますが、火傷のため身元確認が不可能な遺体も多いそうです。

Hurriet

イラク国境近くのハブル・ゲートのシュルナク法医学研究所の大きな冷凍庫内で、PKK戦闘員の遺体が、検死と、親族や友人による身元確認を待っています。遺体の多くは、2015年12月14日から2月11日の間に、シュルナク県ジズレ地区の激しい戦闘中に死んだ者です。

法医学研究所の職員は、「現在、青い袋に入れられ、番号を振られた遺体の身元確認に努めているが、遺体の多くは火傷を負っているため身元確認はほとんど不可能」と言っています。
18歳のPKKの戦闘員オルハン・トゥンチの兄ムラト・トゥンチさんは、「私たちは2月13日、オルハンの死を聞いた。私たちの父アフメト・トゥンチが遺体確認のために法医研に行ったが、確認できなかった」と言いました。

「オルハンの遺体が見つかったら、ジズレでは埋葬が禁じられているから、シュルナクに埋葬する」とムラトさんは言っています。「私たちは平和を望んでいる。死はもうたくさん」と、オルハン・トゥンチの姉ハリメさんは言いました。「ジズレやスルで起こったことが、他の土地で起きませんように」

地元行政はまだ正確な死者の数を把握できないでいますが、軍はジズレでは666人の“テロリスト”が死んだと言っています。死者の家族は法医研で遺体確認を許可されていますが、身元が確認されたのは30体だけだそうです。

法医研は大規模なDNA検査を行うために、身元不明の遺体のサンプルと、家族のサンプルをイスタンブルの法医研に送りました。当局は2月29日、確認を待っている遺体は50体だと発表しましたが、3月3日には44体に減ったそうです。


またまたエーゲ海を渡る移民の悲劇。少なくと18人死亡

またまたエーゲ海を渡る移民の悲劇です。トルコ西海岸の沖合で、少なくとも18人が死亡しました。

 Hurriyet

国籍はまだわかりませんが、3月6日、何十人もの移民を乗せてトルコからギリシアに向かった船が、トルコ・アイドゥン県ディディムの沖合で沈没し、15人は沿岸警備隊に救助されましたが、少なくとも18人は死亡しました。救助作業はトルコとギリシャの沿岸警備隊が行い、トルコ海岸では救急医療スタッフが待機しました。

南東部ではシリアとイラクと国境を接し、北西部ではEU加盟国ブルガリアとギリシャと隣接するトルコは、よりよい生活を求めて不法にEU圏に入ろうとする移民たちの中継地になっています。エーゲ海を渡る移民の波は、しばしば死傷者を出していますが、それでも相変わらず移民は船に乗りこみます。


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