夢うつつ♪つれづれ草子

書いて残しておきたい事が、たくさん出来ました(*^^*)
自分自身のための備忘録なんだけれど…いろいろ書きたいな♪

少し考えたこと・・・

2023-10-18 17:13:31 | 観劇の周辺
※考えたことを残しておきたくて書きました。
あくまでも、個人の備忘録で、ぐだぐだ長文ですので、興味のない方はスルーしてくださいね。


宝塚歌劇団の若い娘役さんが亡くなってから、早くも半月が過ぎました。
今日はこちらは快晴です。
美しい空を眺めることさえ出来なくなったのです。
深呼吸をすることさえ出来なくなったのです。
ご家族の悲しみはいかばかりでしょうか?
時の流れが悲しみを癒やす、という言葉がありますが(昔から私はしたり顔のようなこの言葉は大嫌いでした)、そんなことは絶対にありません!
ご家族の時の流れは澱んで、悲しみは膨らんでいくばかりかと思います。


話題の週刊誌は立ち読みしました。
それ以前にブログで内容を明かしてくださる方も多く、ため息の連続でした。
また、いろいろな方のブログを読ませていただきました。
皆さん、熱心に書いてくださっています。
書いた方の数だけ考え方があるようで・・・
でも間違いないのは「宝塚が好き!これからも好きでいたい!」という思いですね。


たぶんね、劇団は「行き過ぎた《指導》でした」「《指導》が厳しすぎたようです」「このような《指導》をなくすために鋭意努力してまいります」などと発表してお茶を濁すのではないか?と思っています。

《指導》とは何でしょう?

雑誌の記事を100%信じるわけではありませんが、上級生たちは亡くなられた方(Aさん、としますね)をひたすら叱り続けた。
Aさんはひたすら謝り続けた。
それは《指導》なのか?

《指導》とは方向性を指し示すことであると思います。
「自分で考えることが大事だ」とおっしゃる向きもありましょうが、それとて、「私はこう考えるけれどあなたはどう?」とある程度の土台を作ってやった上で突き放してみて、様子をみるものでしょう。
その土台作りが失敗したら、アドバイスするなり、土台を作り直すかして「じゃあ、ここから先はひとりで考えてごらん」と任せる。
よほどの単純作業を任せるのでない限り、《指導》とはそういうものではないでしょうか?
ひたすら上級生に謝り続けるしかないのを《指導》と言えるとは思いません。


記事には「上級生と下級生の板挟みになって」というような文言もあったように記憶しています。
下級生たちは、自分たちが辛く当たったことがAさんを死に追いやったのでは?とパニック状態になって、公演どころではなくなったのではないか?とも想像します。
それは人としての当たり前の感情だと思います。
と同時に、今は公演を続行することよりももっと大事なことがある、ということに気づいた生徒さんも多いのではないか?そうあって欲しい!と思います。


芸能の世界の常識は一般社会の非常識、ということは承知しています。
時には、それが必要だということもわかっています。
しかし、宝塚歌劇団においては、一般社会との乖離が昭和の時代よりも大きくなっている気がしてなりません。
一般社会との乖離は仕方ないにせよ、それは一般社会が認める乖離でなければならない。
その点を、劇団と生徒が認識を共有しないと、何も進まないと思います。



巨大組織を相手にこんな辺境で呟いたところでどうなるものでもないのはわかっていますが・・・
今期の宙組公演は東京公演も含めて中止で良いのでは、と思っています。
宙組再生にはそのくらいの時間は必要だと思います。
あせって再開したところで、台本通りの時間が淡々と流れるだけなのでは?
それ以前に、現宙組生全員の出演は望めるのでしょうか?
無理強いして、出演に誘導することはないのでしょうか?
休みたい、もしくはやめたい生徒さんたちを快く《休演》《退団》扱いにしてくれるのかも危惧されます。

また、4ヶ月くらいの時間をかければ、他の組にも「どういうことが有ってはならない形なのか?」「有ってはならない芽を育ててはいないだろうか?」という認識の共有が望めるのではないでしょうか?
宙組だけが取り沙汰されていますが、他の組にも程度の差こそあれ、Aさんのように苦しむ人が居ないと断言できない部分もありそうで・・・
宝塚歌劇には無限の煌めきがあるけれど、対極に無限の闇もありそうで・・・
その闇を「仕方がないこと」にしないこと、芸能の世界だからある程度の「仕方がないこと」は残るでしょうが、それは当事者も世間も納得できる「仕方がないこと」にすること、が問われているのだと思います。

いわゆる第三者委員会での聞きとりなどは宙組の生徒さんに行われているようですが、「もうどうでもいい、何も変わるわけない」という気持ちになってしまって口を閉ざしている生徒さんもいるのではないでしょうか?
口を閉ざすのは、言わざるを良しとする組織の体質にうんざりしているからではないでしょうか?

いわゆる第三者委員会はいずれ役目を終えますが、どの生徒さんでも(何なら若いスタッフさんも)訪れて話したり、相談できる場は必要だと思います。
声に出して吐き出せること、それをフラットな立場で聞いてくれるひとがいることは、例え問題の解決に到らなくても気持ちの上で重要なのではないでしょうか?
歌劇団の関係する場所ではなく全く別の場所で、カウンセラーを常駐させて秘密厳守(これがいちばん大事!)で。


とにかく、上から下まで生徒さんたちの生の声をできるだけたくさん聞いて欲しいです。


そして歌劇団は、亡くなられたAさんに顔向け出来る組織に変わってください!
急務です!!
110周年は目の前です。


この空のような日々が歌劇団に訪れることを祈りつつ・・・

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