episode9のロザリー編が完結しました。
5日が発売日でしたが、3日にフライングゲットしていました☺️
前回の続きになるフェルゼンのその後は、史実としてわかっているので……
史実に対して、登場人物たちがどのような感情を抱いていたのか?が読ませどころなのでしょう。
で……
気になるのは、ジェローデルさまの“ 謎 ”なのでした。
読後感を一言で著すと「あ~あ⤵️やられてしまいました~💣」。
あくまでも個人の感想です……
4話目である最終話。
ロザリーと息子のフランソワは、フェルゼン伯爵邸に向かいます。
スウェーデン皇太子の葬儀にフェルゼンが出席すれば、間違いなく民衆たちに殺される❗️
そのことを伝えるために。
応対したのは、いつものようにソフィアでしたが……
フェルゼン本人が姿を表します。
老いて変わり果てたフェルゼン。(※54歳ですね)
その姿に驚愕するロザリー。
フェルゼンはロザリーに、最後までアントワネットに献身的に仕えてくれた礼を述べ、ふたりの間に、アントワネット在りし日々が、オスカル在りし日々が甘やかに甦ります。
そして……
ロザリーには、フェルゼンにとっての6月20日の意味が、痛いほどよく解るのでした。
死地に赴くが如く、皇太子の葬儀に向かおうとするフェルゼンを、ロザリーには、もう止めることはできないのです。
フェルゼンは、ロザリーの息子のフランソワという名前が、オスカルのミドルネームをもらったと知ると、フランソワに「オスカルや君の父上やわたしの生きた時代の行く末を見届けてくれ」と頼むのでした。
そうして……
フェルゼンはアントワネットとオスカルの待つ場所へと旅立っていったのです……(※本編最後のページが使われています。うつぶせに倒れているため、今まで顔がわかりませんでしたが……実は疲れきって老いた顔が隠されていたのでした)
その後、フランソワはスウェーデンに残ることを決心します。(※フランソワはこの時、20歳ですね。あとは『エロイカ』にあるとおり、のちのスウェーデン国王オスカル1世に皇太子時代から仕えることになります。)
その後、ソフィアの口から、ジェローデルの秘密が明かされます……
最終話は、ロザリー編というより、フェルゼン編の後日譚とでもいう感じでしょうか?
そしてフランソワの成長の物語ですね。
フェルゼンの死によって、本編は幕をおろしました。
ということは……
この episode9 のフェルゼンの死によって、episodeも幕を閉じる、と考えて良いのでしょうか?
印象的なセリフがいくつかあります。
引用します。
「民衆というものがどれほど根拠のない噂に流され易いか (中略)彼らは自分の信じたい噂の方に常に飛びつくんだ」(by ファビアン・ノーベル ← フランソワの同僚。あの、ノーベルさんの一族という設定でした😶)
「自分の目でしっかりと見てくるのよ」(ロザリーがフランソワに)
「兄の愛が何を意味し 兄の死が何を意味するのか … すべてのことはずっと後の歴史家たちの手に委ねればいいわ…」(by ソフィア)
と、ここまで読むと、至極真っ当で、上述の「あ~あ⤵️やられてしまいました💣」は何故に⁉️ ですよね。
ジェローデルさまの若さの秘密。
この1ページで察してくださいませ。
萩尾望都先生には、ちゃんと許可をいただいたそうです。
いろいろな考え方、感じ方があることは承知していますが……
わたしは『ベルサイユのばら』の骨格はリアルであって欲しかったのです。
オスカルという存在が、ファンタジーであるからこそ、オスカルを取り巻く事象は悉くリアルであって欲しかった❗️
オスカルが生きていた1789年までは、ちゃんとリアルでしたよ☺️
episode はお遊びの要素が入ったって、それはそれで面白いでしょ🎵
と、割り切ればいいのでしょうが……
そういうのとは、違うと思う。
この、もやもやした気持ちって、わたし限定なのかしら?😵
ジェローデルさまは、261年の時を経て、わたしたちと同じ空気を吸っていて、仮想通貨の乱高下や株価の変動をPC画面で冷静に見ながら(投資と不動産転がしは絶対にしていると思う😀匿名で社会福祉的なこともやっていそうですね。)、オスカルを彷彿させるシャム猫😺に語りかけるのです。「来月にはTOKYOに飛んで、『ポーの一族』を観てみよう、以前に観た『ベルサイユのばら』は全くつまらなかったけれど、今度はそういうことにはならないだろう」猫🐈の名前は、いつでもオスカル❤️
ほーら、ジェローデルさまは不死なーんてことになると、もやもやしつつもこうゆうことで遊んでしまいます🌸
と同じことを、原作者さまがお考えにならないという保証もなく……
そもそも、この ロザリー編に、なぜジェローデルを登場させなくてはならなかったのか?
単なるお遊びではなく!
ジェローデルの姿を借りて、伝えたいメッセージが何か残されているのではないか?
それは、フランス革命を経て現代にまで通じる “ 何か ” であって、そのためには長い時間を見つめ続けてきたジェローデルの眼が必要なのではないか?
穿った見方をしてしまいます。
長々と書き連ねてしまいました。
奇しくも、明日は雪組の『ひかりふる路』を観ます。
オスカルが希望を託し、フェルゼンが憎み、ジェローデルが冷静に見つめ続けたフランス革命の行く末を、この目でしっかり見てきたいと思います✊😊
私は恐ろしくて読んでいませんが、内容は友人が、どこかのCMを貼り付けて送ってきてくれたので知っていました☆めちゃくちゃ腹が立って、情けなくて、憤慨中です。
そもそも、何が目的のコラボなんでしょう?作品の世界観か全く異なるものをコラボする必要がどこにある?喜んでいるファンがいるとすれば、作品の本質を理解していないとしか思えません。
情けないやら恥ずかしいやら、池田先生、堪忍して欲しいです。
桜さんが思われたことに全く全く同感です。
コメントありがとうございます。
3回目を読んで、ジェローデルが若いままというので、なんか不安だったのですよ〜〜😓
それが最悪のパターンになってしまいました😱
麻里子さんのおっしゃる通り、何のためのコラボか全くわかりません。(せめて萩尾先生が断ってくださればよかったものを……)
後先を全く考えずに、その場の思いつきにしか感じられません(怒💢)
このジェローデルの一件さえなければ、それなりにきちんとした episode なのに、台無しになってしまいました。
そして……
理代子先生が、若い時に心血を注いで描いたオスカルの生き方が、この無意味なコラボで、たんなる絵空事に感じられてしまう……というのが耐えられません。
理代子先生の「オスカルに食べさせてもらっているのだから、大切にしましょう💖 」という気持ちが、年々、感じられなくなっていって、ファンとしては、『ベルばら』に裏切られた気持ちがしますよね💧
これでバンパネラなジェローデルのエピソードなぞ描かれた日には💦💦💦
同世代の、萩尾先生、木原先生、青池先生、大和和紀先生たちが、真摯に作品に向き合って、執筆を続けていらっしゃるのに……
3月23日にコミックス14巻が発売予定だそうです。