ふぁんたじーか ではありません💦
ふぁんたじーりょく です。
書き文字や高性能の変換ソフトならば区別がつきますが・・・たかだかスマホでは、カタカナの「カ」と漢字の「力(ちから)」はなかなか区別がつきませんね😵
という、どうでもいい前置きはともかく、宝塚歌劇団の演出家の上田久美子さんのインタビュー記事を読みました。(小説新潮 2018年12月号に掲載)
良い意味で、今までの私の上田久美子さん(以下、ウエクミ先生)に対する印象が覆されました。
ウエクミ先生は、理詰めで「こんな世界本当にありそう、こんな人本当にいそう」という作品を作り上げるのが得意、というか目標なのかな?と今まで漠然と思い込んでいましたが・・・実は全然違ったのです。
ウエクミ先生がBSで初めて宝塚歌劇を見たとき(たぶん2000年頃で ’89年の雪組の「ベルサイユのばら」だそうです)、いちばん惹かれたポイントは、「最後の決めセリフと表情と、そこに込められた演者のエネルギーで感動させてくる」ということだったそうです。
これは私たちファンにもよくわかりますね☺️あの原作改悪も甚だしい「ベルばら」を何故、足繁く見にいくかといったら、舞台上から発される生徒さんたちのエネルギー✨を浴びにいっているわけですから。まるでつじつまが合わなくても、ある一言やある一場面で感動してしまう。その意味では、ウエクミ先生のファースト宝塚が、しばた先生やまさつか先生やこいけ先生の作品でなくて良かったかも😁
で、ウエクミ先生は、突っ込みどころ満載なのに感動できるのが宝塚、幕が開いたらありえないことばかり起こるけれど、スターの力技でねじ伏せて感動させるのが宝塚、という考えを持つようになったとか。
ご本人は、「自分はまだ本当にありそうな舞台を作りたくなってしまい、それは理想の宝塚らしい芝居とは違うような気がして、そういう意味ではファンタジー力が足りないかも」、と話されています。
そして、そういうファンタジーが生き残っていられるのは、宝塚歌劇の本拠地が宝塚市にあるからで、もしも東京に本拠地を移していたら、東京の演劇の波にのみ込まれてしまってリアルな舞台を作り上げる方向に変わってしまっただろうとも、述べられていました。
自然が豊かな地方都市に住んで、文化的な仕事ができることは最高❗️だそうです。
ウエクミ先生は「あなたの舞台は外の舞台でも通用する」と言われるそうですが、それは、宝塚の舞台を一般の舞台よりも劣ったものとしてみているようで、いい気持ちはしないと。
また、今の時代になぜ『霧深きエルベのほとり』を掘り起こしたかについても語っています。
劇団の入団試験で台本を書かなくてはならなくなり、そのときに参考に読んだ台本が『霧深き~』で、面白くて素晴らしかったそうです。人の愛情の真実、恋が生まれる瞬間が菊田一夫氏の台本から伝わってきたそうです。
で、物語自体は、道徳的なおとぎ話で宝塚でしかできない作品とのこと。
出会うはずのない水夫と名家の令嬢が出会ってしまった恋物語ですよね💕😢その意味では『星逢一夜』や『金色の砂漠』のヒーローとヒロインも、ふつうではあり得ない恋物語です。
“身分違いの恋ゆえに、相手のためを思って別れる” というのは昔の少女漫画の王道でした。
一部の上流の人々はともかく、社会全体がまだそんなに豊かではなく、人々が日々を一生懸命に生きていた時代。
『霧深き~』では、そんな時代の王道の恋を描きたいそうです。
“身分違いの恋でも愛があればどうにかなる”というのは、もう少し社会全体が豊かになる、その次の時代ですね。
やがて“身分違い”という言葉の本来の意味がうすれて、お金を持っているかそうでないかが、身分の違いをあらわすようになっていきますね。
閑話休題。
その他でなかなか興味をひいたことは・・・
劇団からの作品の依頼は、だいたい初日の10ヵ月くらい前に来るそうです。その時点で、劇場と主演者は決まっているので、自分のストックの中から主演の生徒に合うようなものを選んで、改めて作り込むのだとか。
とすると、今は年末の公演のオファーがどなたかにいっている、ということでしょうか😁
ウエクミ先生がいつまでこのような考えで舞台を作っていくのかはわかりませんが・・・内輪ではなく外部の雑誌の取材だったせいもあって、普段はあまり語らないことも述べられていて、なかなか読みごたえのあるインタビュー記事でした。
宝塚歌劇を牽引してきた演出家たちがご高齢になってきている中で、ウエクミ先生にはいつまでも歌劇団の演出家として、活躍してもらいたいですね☺️
ふぁんたじーりょく です。
書き文字や高性能の変換ソフトならば区別がつきますが・・・たかだかスマホでは、カタカナの「カ」と漢字の「力(ちから)」はなかなか区別がつきませんね😵
という、どうでもいい前置きはともかく、宝塚歌劇団の演出家の上田久美子さんのインタビュー記事を読みました。(小説新潮 2018年12月号に掲載)
良い意味で、今までの私の上田久美子さん(以下、ウエクミ先生)に対する印象が覆されました。
ウエクミ先生は、理詰めで「こんな世界本当にありそう、こんな人本当にいそう」という作品を作り上げるのが得意、というか目標なのかな?と今まで漠然と思い込んでいましたが・・・実は全然違ったのです。
ウエクミ先生がBSで初めて宝塚歌劇を見たとき(たぶん2000年頃で ’89年の雪組の「ベルサイユのばら」だそうです)、いちばん惹かれたポイントは、「最後の決めセリフと表情と、そこに込められた演者のエネルギーで感動させてくる」ということだったそうです。
これは私たちファンにもよくわかりますね☺️あの原作改悪も甚だしい「ベルばら」を何故、足繁く見にいくかといったら、舞台上から発される生徒さんたちのエネルギー✨を浴びにいっているわけですから。まるでつじつまが合わなくても、ある一言やある一場面で感動してしまう。その意味では、ウエクミ先生のファースト宝塚が、しばた先生やまさつか先生やこいけ先生の作品でなくて良かったかも😁
で、ウエクミ先生は、突っ込みどころ満載なのに感動できるのが宝塚、幕が開いたらありえないことばかり起こるけれど、スターの力技でねじ伏せて感動させるのが宝塚、という考えを持つようになったとか。
ご本人は、「自分はまだ本当にありそうな舞台を作りたくなってしまい、それは理想の宝塚らしい芝居とは違うような気がして、そういう意味ではファンタジー力が足りないかも」、と話されています。
そして、そういうファンタジーが生き残っていられるのは、宝塚歌劇の本拠地が宝塚市にあるからで、もしも東京に本拠地を移していたら、東京の演劇の波にのみ込まれてしまってリアルな舞台を作り上げる方向に変わってしまっただろうとも、述べられていました。
自然が豊かな地方都市に住んで、文化的な仕事ができることは最高❗️だそうです。
ウエクミ先生は「あなたの舞台は外の舞台でも通用する」と言われるそうですが、それは、宝塚の舞台を一般の舞台よりも劣ったものとしてみているようで、いい気持ちはしないと。
また、今の時代になぜ『霧深きエルベのほとり』を掘り起こしたかについても語っています。
劇団の入団試験で台本を書かなくてはならなくなり、そのときに参考に読んだ台本が『霧深き~』で、面白くて素晴らしかったそうです。人の愛情の真実、恋が生まれる瞬間が菊田一夫氏の台本から伝わってきたそうです。
で、物語自体は、道徳的なおとぎ話で宝塚でしかできない作品とのこと。
出会うはずのない水夫と名家の令嬢が出会ってしまった恋物語ですよね💕😢その意味では『星逢一夜』や『金色の砂漠』のヒーローとヒロインも、ふつうではあり得ない恋物語です。
“身分違いの恋ゆえに、相手のためを思って別れる” というのは昔の少女漫画の王道でした。
一部の上流の人々はともかく、社会全体がまだそんなに豊かではなく、人々が日々を一生懸命に生きていた時代。
『霧深き~』では、そんな時代の王道の恋を描きたいそうです。
“身分違いの恋でも愛があればどうにかなる”というのは、もう少し社会全体が豊かになる、その次の時代ですね。
やがて“身分違い”という言葉の本来の意味がうすれて、お金を持っているかそうでないかが、身分の違いをあらわすようになっていきますね。
閑話休題。
その他でなかなか興味をひいたことは・・・
劇団からの作品の依頼は、だいたい初日の10ヵ月くらい前に来るそうです。その時点で、劇場と主演者は決まっているので、自分のストックの中から主演の生徒に合うようなものを選んで、改めて作り込むのだとか。
とすると、今は年末の公演のオファーがどなたかにいっている、ということでしょうか😁
ウエクミ先生がいつまでこのような考えで舞台を作っていくのかはわかりませんが・・・内輪ではなく外部の雑誌の取材だったせいもあって、普段はあまり語らないことも述べられていて、なかなか読みごたえのあるインタビュー記事でした。
宝塚歌劇を牽引してきた演出家たちがご高齢になってきている中で、ウエクミ先生にはいつまでも歌劇団の演出家として、活躍してもらいたいですね☺️