自分でブログの記事一覧を眺めて、このところ「Happy Birthday!」以外、ゆうひちゃん関連のことを書いていないな~と改めて気づいた訳ですが‥‥
またまた、懲りずに別カテゴリーです
日曜日に、地元のホールで、指揮者の西本智実さんの演奏会があったので、聴きにいってきました。
クラシックのオーケストラのコンサートで、ひさびさに興奮し、同時に身体から余分な力が抜けていくような気がしました。
終演後、どきどきしながらも、幾分フラフラと駐車場まで歩きました。
日時と場所はきちんと覚えていたものの、6月は遠征を繰り返し、自分の海馬の許容量を超えて、いろいろな舞台からパワーがびんびん押し寄せてきて、それらを受けとるのに、いっぱいいっぱいで‥‥おまけに前日はすごく忙しくて‥‥
「せっかくのチケットを無駄にしてはいけない」位のゆる~い気持ちで会場に向かったわけです
一応、プログラムは↓
◇出演◇
指揮:西本智実
ピアノ:タマラ・ステファノヴィチ
オーケストラ:リトアニア国立交響楽団
◇プログラム◇
【第一部】
ヴェルディ:歌劇「運命の力」より序曲
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
【第二部】
ムソルグスキー/ラヴェル編:「展覧会の絵」
ラヴェル:ボレロ
座席は某ぴ●でプレリザーブしたら、なんと最前列のやや下手がきてしまいまして
音響的にはおすすめ出来ない座席ですが、西本さんのオトコマエな指揮っぷりを拝見するのには、最適なお席でございました
西本さんの息づかいは聞こえるわ、下手のパートに合図を出す時の凛々しい横顔はしっかり拝めるわ、で、完全にファンモードで西本さんに魅入っておりました
西本さんは黒燕尾着用なのですが、男役さんのように胸はつぶしているなぁ…とか、体型の補正はさすがにしていないなぁ…とか、燕尾の尻尾の長さは男役さんのより少し長いなぁ…とか、ヴェルディの序曲は、右耳から左耳へ通過していく状態で、耳よりも目が非常に忙しい状態になっておりました
そんなとんでもない状態から始まったわけですが、シューマンさんあたりからは、徐々に音楽にはまりこんでいきました。
なんとなく知っている曲でプログラムが組まれていたことも大きいのでしょうね。
「展覧会の絵」はオーケストラ版を生で全曲聴くのは初めてです。
というか、通して聴くのもすごーく久しぶり。なので、全体の構成もうろ覚え
冒頭のあの有名なメロディが形を変えながら何度も登場するのを聴きつつ‥‥‥徐々に心拍数が上がってゆき‥‥‥
そして、お馴染みの「ボレロ」です。
例の星組の“ボレロ”(団体賞受賞、おめでとうございます)は群舞が映えるようにアレンジされていて、あれはあれで「ボレロは名曲だなぁ」と感じたものでしたが、やっぱりフルサイズのボレロはいいですねぇ。
この辺りになると、西本さんではなくて、オーケストラ全体が見たくて…
でも、最前列なので、真ん前の1st.Vn.が壁になって、他のパートはその隙間からしか見えないのです
私は、オーケストラを聴きにいくと、パーカッションを結構見ているのですが、そこはほとんどみえない…
各パートが入れ替わり立ち替わりメロディを担当し、伴奏パートも増えていって、ためて、ためて、ためて、最後のクライマックスに突入する
聴き終わったら、興奮もしましたが、なんだかほっとしました。
いわゆる“癒しのメロディ”とかでは全然ないのだけれど、すうーっと入ってきて、すとん!と落ちていって消化されたみたいな感じ?
舞台をたくさん観て、たくさん音楽を聴いて、そこからいろいろな想いを受け取って…
ところが、思い入れが強すぎたり、考えることが多かったりで、どれも、すうーっと入ってきて、すとん!と収まる音楽ではありませんでした。
そんな意味で、今回オーケストラを聴きにいったことで、音が氾濫してぐちゃぐちゃになっていた脳というか、心が、整理整頓された感じがしました。
音楽から、“パワー”や“想い”を受け取るのは、とても素敵なことですが、それらを咀嚼出来ないときも多々あります。
そんな時に、“無の状態”で受け入れることができる音楽の存在の大きさを実感できたのは、新しい発見でした。
またまた、懲りずに別カテゴリーです
日曜日に、地元のホールで、指揮者の西本智実さんの演奏会があったので、聴きにいってきました。
クラシックのオーケストラのコンサートで、ひさびさに興奮し、同時に身体から余分な力が抜けていくような気がしました。
終演後、どきどきしながらも、幾分フラフラと駐車場まで歩きました。
日時と場所はきちんと覚えていたものの、6月は遠征を繰り返し、自分の海馬の許容量を超えて、いろいろな舞台からパワーがびんびん押し寄せてきて、それらを受けとるのに、いっぱいいっぱいで‥‥おまけに前日はすごく忙しくて‥‥
「せっかくのチケットを無駄にしてはいけない」位のゆる~い気持ちで会場に向かったわけです
一応、プログラムは↓
◇出演◇
指揮:西本智実
ピアノ:タマラ・ステファノヴィチ
オーケストラ:リトアニア国立交響楽団
◇プログラム◇
【第一部】
ヴェルディ:歌劇「運命の力」より序曲
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54
【第二部】
ムソルグスキー/ラヴェル編:「展覧会の絵」
ラヴェル:ボレロ
座席は某ぴ●でプレリザーブしたら、なんと最前列のやや下手がきてしまいまして
音響的にはおすすめ出来ない座席ですが、西本さんのオトコマエな指揮っぷりを拝見するのには、最適なお席でございました
西本さんの息づかいは聞こえるわ、下手のパートに合図を出す時の凛々しい横顔はしっかり拝めるわ、で、完全にファンモードで西本さんに魅入っておりました
西本さんは黒燕尾着用なのですが、男役さんのように胸はつぶしているなぁ…とか、体型の補正はさすがにしていないなぁ…とか、燕尾の尻尾の長さは男役さんのより少し長いなぁ…とか、ヴェルディの序曲は、右耳から左耳へ通過していく状態で、耳よりも目が非常に忙しい状態になっておりました
そんなとんでもない状態から始まったわけですが、シューマンさんあたりからは、徐々に音楽にはまりこんでいきました。
なんとなく知っている曲でプログラムが組まれていたことも大きいのでしょうね。
「展覧会の絵」はオーケストラ版を生で全曲聴くのは初めてです。
というか、通して聴くのもすごーく久しぶり。なので、全体の構成もうろ覚え
冒頭のあの有名なメロディが形を変えながら何度も登場するのを聴きつつ‥‥‥徐々に心拍数が上がってゆき‥‥‥
そして、お馴染みの「ボレロ」です。
例の星組の“ボレロ”(団体賞受賞、おめでとうございます)は群舞が映えるようにアレンジされていて、あれはあれで「ボレロは名曲だなぁ」と感じたものでしたが、やっぱりフルサイズのボレロはいいですねぇ。
この辺りになると、西本さんではなくて、オーケストラ全体が見たくて…
でも、最前列なので、真ん前の1st.Vn.が壁になって、他のパートはその隙間からしか見えないのです
私は、オーケストラを聴きにいくと、パーカッションを結構見ているのですが、そこはほとんどみえない…
各パートが入れ替わり立ち替わりメロディを担当し、伴奏パートも増えていって、ためて、ためて、ためて、最後のクライマックスに突入する
聴き終わったら、興奮もしましたが、なんだかほっとしました。
いわゆる“癒しのメロディ”とかでは全然ないのだけれど、すうーっと入ってきて、すとん!と落ちていって消化されたみたいな感じ?
舞台をたくさん観て、たくさん音楽を聴いて、そこからいろいろな想いを受け取って…
ところが、思い入れが強すぎたり、考えることが多かったりで、どれも、すうーっと入ってきて、すとん!と収まる音楽ではありませんでした。
そんな意味で、今回オーケストラを聴きにいったことで、音が氾濫してぐちゃぐちゃになっていた脳というか、心が、整理整頓された感じがしました。
音楽から、“パワー”や“想い”を受け取るのは、とても素敵なことですが、それらを咀嚼出来ないときも多々あります。
そんな時に、“無の状態”で受け入れることができる音楽の存在の大きさを実感できたのは、新しい発見でした。