あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

山下奉文の慫慂 「 岡田なんか打斬るんだ 」

2019年01月11日 05時05分35秒 | 前夜

相澤公判の集会が、二、三回行われた時である。
村中や磯部らの情報だけで判断しては事を誤るという安藤の提唱で、
わたくし達歩三の青年将校の大部が、山下奉文の自宅にその見解を聞きに行った。
山下奉文は当時陸軍の調査部長をやっていた。
各種の情勢にも詳しいだろうし、
また現在の対内対外の諸施策にも、軍としての抱負があるだろうと期待したのである。
一行は十五、六名の多数だった。

山下奉文


十一月事件に関しては、

「 永田は小刀細工をやりすぎる 」
と先ず第一に断を下した。
山下は小刀細工が甚だ嫌いであった。
かれはあの偉大な風貌にも似ず、実際は細心周密な人間だが、
表向きは 「 小刀細工はいけない、大鉈で行け 」 と大きく出、またそういう風に万事を処理する人であった。
だから表面しか見えない人間には、かれの神経の細かさはわからない。

山下の語る小刀細工とは、あの士官候補生達の処理が軍務局長と中隊長だけで行われ、
学校長其他に連絡がなかった点を指すのであった。
「 矢張りあれは永田一派の策動で、軍全体としての意図ではない 」
一同は村中、磯部の所論の正しさを再確認したのである。

「 では、永田中将の死亡時刻が、陸軍省発表と軍法会議とで違うのは、どうした事です 」
「 ああ、あれか。あれは何でもない。中将への進級やその他の事務手続き上の都合で、あれは別に何でもないんだ 」
話は次第に現在の時局に触れて来た。
その対策について、調査部長として何か卓抜な抱負があるかと思ったが、
遺憾ながらこれを取上げるものもなかった。
現在のままではいけないのは誰も知っている。
だが 何うしたらよいのか、当時としては具体的政策を持つものとてなかった。
「 国家改造法案大綱 」 も卓見ではあるが、あれは検討すべき幾多の問題があった。
あれがそのまま実現してよいものとは青年将校の誰もが思わなかった。
「 国防の本義とその教化の提唱 」 なるパンフレットを出したからには、
陸軍には何か具体策があるに相違ない。
ところが山下の語る所はまことにつまらぬものばかりであった。
なかでも一寸受取れるのは国民健康保険法ぐらいだった。
ほかの者は知らぬが、実はわたくしとしては非常に失望した。
今迄軍の中央部には政府よりも何よりも期待と信用と尊敬とをもっていたのだが、
その脳味噌のカラッポを見せつけられたからだ。

「 岡田啓介はどうです 」
安藤か誰かが質問した。
「 岡田なんか打斬るんだ 」
山下の声には力が籠っていた。
わたくしは呆気にとられた。
曾て聯隊長時代には、「 日本人は神経質でいけない。ジタバタするな 」 と云っていた山下が、
部下に責任のない調査部長になるとこんなことを云うのか。
わたくしは山下の品性を疑った。
「 岡田啓介を打斬れ 」
とはどういう意味で云ったのか、それは山下自身の本心に聞かねばならない。
かれは軍隊を使用する直接行動は予測しなかったろう。
しかしかれが如何に云訳を云おうと、
「 打斬れ 」 といったあの鋭い言葉は、血の気の多い青年将校にどんな影響を与えるかは、
山下自身がよく知っていた筈だ。
効果を予想せずに、かれはそんな言葉を使う人間ではない。
果せるかな その効果は覿面だった。
山下の一言こそ歩三の青年将校を二・二六事件に駆り立てる大きな動機となったのである。
・・・新井勲 著  『 日本を震撼させた四日間 』 ・・山下奉文の慫慂


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