2週間ほど前から、熊谷賢一さんのマンドリンオーケストラ曲をYoutubeで探して聴いているが、私が母校のマンドリンクラブに入部する前年に演奏された曲を見つけた。
曲は、マンドリンオーケストラの為のボカリーズⅣ「風の歌」(1973年作曲)。
熊谷作品らしく、ギターパートを単なる伴奏、リズムパートとしてではなく、効果的な重奏を生かした主役としての地位を与えた曲である。
録音の種類にもよるが、演奏時間が8分を過ぎたあたりで、ギターパートのソロが始まり、第二の主題が奏でられるが、その後に10分手前であろうか、マンドリンアンサンブルの極致ともいえる非常に美しい感傷的な重奏が奏でられる。
是非この部分を聴いて欲しいと願う。
私はこの旋律を聴くと、1970年代を思い出す。
1960年代の高度経済成長期の終焉であるオイルショックや、浅間山荘事件、過激派によるテロ事件などが起きたが、多くの人が希望に満ちていた時代。
日本が未だ貧しく、質素な暮らしであったが、音楽、映画、ドラマなどで今では比べ物にならないくらい、本物といえる素晴らしい作品がたくさん生み出された時代。
この部分の旋律を聴くと、この時代の感性でしか生みだせないものを感じる。
今の時代にこの旋律のもととなる感情、感受性を持てるであろうか。
マンドリンオーケストラ曲を聴いていると、純クラシック的な構成をもつものは成功しないと、感じてくる。
クラシックのようでクラシックでもない。ポピュラーのようでポピュラーでもない。
他のジャンルとは一線を画したマンドリンオーケストラ独自のものを持つ、不思議なジャンルだ。
マンドリンのトレモロは聴く者の気持ちを熱くする。
これほど奏者の情熱や強い感情を表現できるアンサンブルは無い。
ヴァイオリンなどの弦楽では出来ない。
マンドリンオーケストラ曲を管弦楽で演奏したらどうだろうと思うことがある。
しかしそれは決して成功しないであろう。
この、マンドリンオーケストラの為のボカリーズⅣ「風の歌」の主題を聴いて改めてそう思った。
曲は、マンドリンオーケストラの為のボカリーズⅣ「風の歌」(1973年作曲)。
熊谷作品らしく、ギターパートを単なる伴奏、リズムパートとしてではなく、効果的な重奏を生かした主役としての地位を与えた曲である。
録音の種類にもよるが、演奏時間が8分を過ぎたあたりで、ギターパートのソロが始まり、第二の主題が奏でられるが、その後に10分手前であろうか、マンドリンアンサンブルの極致ともいえる非常に美しい感傷的な重奏が奏でられる。
是非この部分を聴いて欲しいと願う。
私はこの旋律を聴くと、1970年代を思い出す。
1960年代の高度経済成長期の終焉であるオイルショックや、浅間山荘事件、過激派によるテロ事件などが起きたが、多くの人が希望に満ちていた時代。
日本が未だ貧しく、質素な暮らしであったが、音楽、映画、ドラマなどで今では比べ物にならないくらい、本物といえる素晴らしい作品がたくさん生み出された時代。
この部分の旋律を聴くと、この時代の感性でしか生みだせないものを感じる。
今の時代にこの旋律のもととなる感情、感受性を持てるであろうか。
マンドリンオーケストラ曲を聴いていると、純クラシック的な構成をもつものは成功しないと、感じてくる。
クラシックのようでクラシックでもない。ポピュラーのようでポピュラーでもない。
他のジャンルとは一線を画したマンドリンオーケストラ独自のものを持つ、不思議なジャンルだ。
マンドリンのトレモロは聴く者の気持ちを熱くする。
これほど奏者の情熱や強い感情を表現できるアンサンブルは無い。
ヴァイオリンなどの弦楽では出来ない。
マンドリンオーケストラ曲を管弦楽で演奏したらどうだろうと思うことがある。
しかしそれは決して成功しないであろう。
この、マンドリンオーケストラの為のボカリーズⅣ「風の歌」の主題を聴いて改めてそう思った。
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