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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

児童文学の名著 石森延男「コタンの口笛」を読む

2015-07-23 23:42:51 | 読書
先日の三連休の後、続いて会社の夏休みに入っている。
北海道の実家に帰省し今日戻ってきたが、気温差は10℃近い。あいにく北海道地方は殆ど雨降りであり、出かける予定もキャンセルとなった。
北海道と言えば元々はアイヌ民族が古来から住んでいたことは周知のとおりである。
北海道の各地でアイヌにちなんだ土産物が売られている。昨日札幌駅に行った時にはショーウインドウにアイヌの着物が飾られていた。
現代の我々にとってアイヌ人とは、日本人の祖先、それも北海道地方の原住民であったという意識くらいしかもたれていないのではないか。
アイヌ民族は17世紀から19世紀にかけて、北海道全域の他、北は樺太、東は千島列島までの広い範囲にわたり文化圏を築いていたと言われている。
しかし19世紀から20世紀後半までに政府により行われたアイヌ民族に対する同化政策の過程で、アイヌと和人との間で不幸な歴史があったと言われている。
この歴史は今では殆ど語られることはないが、この時代に生きた作曲家、例えば伊福部昭や鈴木静一などはアイヌ民族の伝説や、アイヌと和人との間に起きた悲劇を題材とした曲を作曲している。
伊福部昭はアイヌを題材とした歌曲集やピアノ曲(「摩周湖」)、鈴木静一は、交響詩「比羅夫ユーカラ」や交響詩「北夷」を作曲した。
釧路に生まれた伊福部昭は、当時アイヌと和人は半々くらいだったと言っている。伊福部昭は少年時代に過ごした音更(現在の音更町)で、アイヌのコタン(アイヌ人の)へ立ち入り、彼らの民芸を見聞したと言う。
伊福部昭にしても鈴木静一にしてもいずれもアイヌ民族に対する高い尊敬の念がその音楽を通して伝わってくる。
しかしこのアイヌ民族に対し、その同化政策の過程で随分と差別や偏見、迫害があったと言う。
このアイヌに対する差別や偏見と、それを乗り越えたくましく育っていく子供たちをデーマにした児童文学の不朽の名著が今日紹介する、石森延男著「コタンの口笛」なのである。
「コタンの口笛」は第一部「あらしの歌」、第二部「光の歌」から構成され、別冊になっているが、第一部、第二部合わせて700ページにもなる大著である。
児童文学書としては異例の長編であるが、本好きな子供であれば読むにあたってさほどの苦労も感じない丁寧な書き方だ。作者が発する言葉の一つ一つに大変な重みを感じさせる素晴らしい物語である。
小学生高学年から中学生くらいを対象としていると思われるが、高校生や大人が読んでも大きな感動を覚えるに違いない。
「コタンの口笛」の存在を知ったのはいつだっただろうか。
もし記憶に間違いがないとすれば、中学3年生の時だ。
中学3年生の時に習った社会科の先生に、石森という名前の先生がいた。
石森先生の最初の授業の時に自己紹介があったが、自分は「コタンの口笛」という小説を書いた石森延男という人の親類なんだ、と言ったと記憶している。これが「コタンの口笛」を最初に知ったきっかけであった。
石森延男は北海道札幌生まれ。毎日6キロを歩いて小学校に通い、アイヌの子供たちと遊んだという。
その後東京高等師範学校を出て愛知県の中学校に勤務し、香川師範学校を経て中国・大連にわたり教師として赴任したのち日本に戻り、文部省で国語教科書の編纂の仕事にあたったと言われている。その後昭和女子大学の教授も務めている。
第一部の本の巻末に著者の写真が載っていたが、優しく澄んだ目をしている。

この小説の舞台は現在の北海道千歳市近郊に存在していたと思われるアイヌ・コタンの少年少女とその周辺の和人たちとの1年間にわたる交流を描いたものである。
マサという中学3年生の少女とユタカという中学1年生の少年の姉弟が、同級生などからの差別や偏見に傷つきながらも、それを乗り越え、周囲の心暖かい人々に助けられながらもたくましく成長していく姿をあらわした物語である。
マサとユタカは幼いころに和人の母を失い、アイヌ人のイヨンと呼ばれる父親と3人で暮らしていたが、ある日イヨンが不慮の事故で死んでしまう。
2人きりとなってしまった姉弟は離れ離れになり、それぞれ善意ある人のお世話になることになるが、感受性の強い純粋なマサが、周りの人の善意が信じられなくなり、今まで受けたたくさんの差別行為の痛手もあってか、心が荒み始めるという場面がある。
この心の苦しみに耐えかねたマサは家出をし、猛吹雪の中をさまよい、自分を理解してくれる暖かい人を探し求めるが、誰も信じることが出来なくなり、どこにも行き場を失った彼女は最後に母と父の墓場に向かって進むが、吹雪の中についに力尽き倒れてしまう。
幸い弟のユタカや親しい人たちが探し出し、一命をとりとめるが2か月も学校を休むことになる。マサはユタカの友達の鹿野家の善意で住まわせてもらっていたが、鹿野家のおばあさんとの会話が印象的だ。
容体がなかなか回復せず、医者に入院を薦められた時の深夜、マサはふと目を覚まし、そばで看病してくれていたおばあさんにこう言った。
「(中略)わたし、なおるでしょうか。」
「なおりたいのかい?」
「ええ。}
「ほんとうに、なおりたいのかい?」
「わたし、なおりたいの。」
「マサちゃん、それはほんとう?」
「ほんとうです。」
「死ぬこと、こわいことじゃないんだよ。」
「死ぬのは、いやです。」
「死んでも、悲しいことではないよ。」
「いやです。」
「生きたいの?」
「はいっ。」
その後、おばあさんはやさしくマサの手を取りあげて、祈りをささげると、マサはみるみるうちに元気を取り戻した。

純粋な心も多感な思春期の年頃にいかにもろくも悪い方向に転げ落ちていくかを考えると恐ろしい。
心が荒んでいく最大の原因は「誰も信じられない」、「自分は誰からも相手にされない人間だ」という心境に至ることだと思う。誰も信じられないという心境に達するまでには、様々な過酷な恐ろしい体験が積み重なっている。
この心境にまで来ると、非行に走るか、何かの衝撃をきっかけに自殺するかどちらかである。
「誰も信じられない」、「誰からも相手にされない」という心境は、雪だるま式に加速度的に拡大していくが、そこから人を信じられるようになることは大変なことである。
この状態から回復することは並大抵ではないであろう。大人になるまでの間によほど心の暖かい人との出会いがあり、人間性を取り戻していくか、自らの血のにじむ努力で人間性を獲得していくかのどちらかであろうが、後者は、それまでの人生でわずかの期間でも暖かい人との幸福なふれあいの体験がなかったならば、実現は極めて困難だと思われる。
幸いマサはその芽を早いうちに断ち切ることができた。善意の人の真の強い気持ちがあったからだ。

この物語は、自分を守るために闘うこと、耐えること、夢や希望を持ち続けること、人を信じること、許すことの偉大さを平易な文体でありながら読む者に問うている。
また人が人間らしい心を保つには、豊かな自然と一体になることの大切さも伝わってくる。
この物語が作られた時代は1950年代後半から1960年代初め頃だと思われる。高度経済成長期に入る直前の頃ではないかと思うが、この物語で頻繁に出てくる「弾丸道路」とは札幌と千歳を結ぶ直線道路だったと思われる。
今でも千歳周辺は緑がまだ豊かであるが、当時は原始林や草原に覆われていたに違いない。
人の心が貧困になるのは自然の消滅と、物欲の肥大化と無関係ではないと思う。
自然が豊かであれば、自然に触れることで人は満ち足りる。生きている実感を得られる。人や動物にやさしくなれる。しかし自然が開発され、無機的な建造物で占められるようになると、人はいらいらしたりぎすぎすしたりするのではないか。そして満たされない心を物欲で穴埋めしようとするようになる。
人は生活環境の快適さ、便利さを追求して、自然を破壊して不必要と思われるものをたくさん作ってきた。しかしそれと引き換えに人は精神的に生きづらい時代を生みだした。
子供たちはいじめ問題に直面し、大人たちは成果主義による過当な競争社会の中で疲弊している。
もし私が今の時代に中学校時代を迎えたら、恐らく生きていけないかもしれない。
精神的に生きることが難しい時代になったが、どんな時代にあっても生きる上で何が必要か、その本質を教えてくれるのがこの小説であり、名著と感じさせられる所以なのである。

私は大学時代の終わりから20代後半まで、人間の価値は、社会的地位、財産、仕事の能力、立派さなどで決まると思い込んでいた時代があった。そしてこのようになるべくして凄まじい努力をした。しかしこの時代は生きているという実感は全く得られないどころか自分を見失い、暗い樹海のような迷路に入り込んだ。
その後樹海から這い出て悟ったのはこれらの価値観は恐ろしい錯覚であったということだ。
私がこの樹海から抜け出ることができたのは、この「コタンの口笛」に出てくるような中学校時代の経験があったからである。1970年代の頃だった。

この物語は差別や偏見を乗り越えることで自己の価値に気付き、自己を正しく評価できるようになった結果、差別や偏見の目を向ける人たちの真意が明確に識別でき、そのふるまいが自分の価値に全く無関係で取るに足らないものであると、切り捨てることができるようになることを教えている。生きずらい世の中を生きていくためには、まさに自我の確立が必要であることを知らずとも感じ取れるに違いない。
さらに一歩進んで、そのような差別や偏見を向ける人々も、マサやユタカのような純粋な心に打たれて変わる可能性があることを示唆していることが素晴らしいのである。
このような純文学を歯が浮くようだ毛嫌いする方もいるかもしれないが、自分は読む価値が十分にあると確信している。
ドクダミが体内に蓄積した悪いものを排出してくれるように、この物語も心に蓄積したよくないものを掃き出してくれるのではないかと思っている。


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Unknown (Tommy)
2015-07-24 18:36:28
人は誰でも人生の転機になったことが一つか二つはあるものでしょうか。緑陽さんにとってその一つが”コタンの口笛”だったのですね。

残念ながら私はこれまで読んだこともその存在も知りませんでした。言い訳になるかも知れませんが片親で家が超がつくほど貧しかったこともあり本が買えるようになったのは自分で働き出してからでした。

それも当時十円で程度で買える古本屋の安売り本でした。その中で今でも記念に持っているのが大正5年9月25日に再販された澁澤榮一の”論語と算盤”です。
当時何回も読み直した思い出の本です。


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Unknown (緑陽)
2015-07-24 22:15:40
Tommyさん、こんにちは。いつもコメントありがとうございます。
Tommyさんは人生の過程で苦労なさってきたのですね。
苦労した時代に出会ったものを大切にしてきたことが伝わってきます。
時代の移り変わりの中で、人と人との関係が次第に希薄になってきたように思いますが、いい本はいつまでも残り続けますし、出会った本で大きな影響を与えられることは事実です。
今やインターネットや携帯電話の普及で、いろんな情報がいやというほど入ってきますが、その中で本当に価値ある物を選択するすべが必要とされることを痛感します。
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