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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

「自分を嫌うな」心の苦しみの解決に最も重要なキーワード

2022-10-29 23:27:03 | 心理
今日の夜は講習会。
講習会の中でふと浮かんできた言葉が「自分を嫌うな」という言葉だった。

この言葉を最初に目にしたのは、今から35年前、今までの人生の最も苦しかった頃だ。
加藤諦三氏の著書の中にタイトルが「自分を嫌うな」というものがあり、これを読んだことがきっかけであった。

この頃、自らの神経症(=心の苦しみ)の克服体験を真っ正直な言葉でつづったこの加藤氏の著作は、心理学関係の書籍では異色の存在であった。。
いささか古い臨床心理学に依拠した見解が多かったが、自らの神経症を自分の力で克服した体験でしか得られない説得力と凄みを感じさせるものであった。
加藤氏の著作は殆ど全て読んだ。
35年前のこの時代には、心理学の本といえば、机上の理論、しかも先人の公表したもののエッセンスしか書けない、学者特有の著作しかなく、悩んでいる者にとっては全く役に立たなかった。

この「自分を嫌うな」という言葉ほど、心の苦しみの解決にとって重要なものはないと確信している。
心の苦しみに悩んでいる人、自殺する人は、間違いなく、実際の自分を嫌っている。例外なく。憎んでいると言ってもいいだろう。

人間は誕生後に愛される体験がないと、実際の自分を受け入れ、肯定できずに、逆に嫌いになったり憎んだり否定したりするようになる。
そして自分を嫌うことが、それがおかしいとも思うことなく、それがあたかも自明の理のように当たり前のこととして心に刻まれ根付いいていく。

自分を嫌うことが身についてしまった人間は、24時間、寝ても覚めても実際のありのままの自分を傷つけている。
それも無意識の中で、自分でも知らずに行っている。
無意識に自動的に自分を傷つけるように形成された自動回路が潜在意識に強固に根を張りめぐらされている。

仮に自分を嫌っていると認識できたとしても、なかなかそのパターンから抜け出すことはできない。
このパターンから抜け出すことは並大抵のことではない。大抵は抜け出すことが出来ずに一生を終える。
愛されて幸福に育った人間にはまず理解できない世界でもある。

しかし心が苦しいということは、「自分を嫌っている」、ということをまずは頭のレベルで考えてみる必要がある。
スタートはそこからだ。
自分の心の状態が、今、どういう状態になっているか、常に絶えずウオッチング出来るようになれば、自分がどういう自分を嫌って、どのように否定し続けているかが分かるようになれる。
どんな無様で頼りなく、弱弱しい自分でも、その自分を自ら嫌い、憎み、攻撃している現実に気が付くことが出来れば、自動回路を破壊するきっかけとなりうる。
無様な頼りなく、弱弱しい自分は果たしてそうなのだろうか。他者が勝手に解釈しただけではないのか。
現実は決してそうではない。自分の生まれながらの本当の価値はもっと深いこところに必ずある。
そこに気が付くことが出来れば、潮目が変わっていく。

他者や世間体を意識して、良い子や立派な人間を演じることをやめる勇気も必要だ。
格好つけるのは、自分を嫌っていることの裏返しでもある。
こういのはすぐに人に見破られる。頭隠して尻隠さずとはこのようなことだ。
良くも悪くも自分に正直に生きている人間の方が魅力を感じるものだ。

だけどいきなり自己肯定しようと思っても出来るものではない。
先に自分が無意識に自分自身に対して何をしているのかに気が付くことがまず必要なのではないか。
「自分を嫌う」ということに心底気が付いたならば、あとは頭で意識しなくても、自然の摂理が働き、いい方向に導いてくれるのではないかと思っている。
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不平不満の生じる原因と本質的解消方法を考えてみた

2022-10-15 23:49:46 | 心理
深刻なレベルとは言えないが、心の苦しみの中に「不平・不満」というものがある。
かつてのような勢いが失ってきているとは言え、日本のような自由で、経済的にはまだまだ世界の上位にあり、失業率も低く、社会保障も充実しているのに何故、不平不満を感じるのか。その原因と解消方法を考えてみた。
取り上げたいのは一時的な不平不満ではなく、恒常的にいつも起きている不平不満のことだ。

恒常的な不平不満の発生原因として考えられるのは次の2つだ。
1つは自己否定を原因とするものだ。
生きる過程で、ありのままの自然な自分を他者から否定され、自らもそれを受け入れ、自分が生きるうえでの基本姿勢として自己否定を選択した場合、自己の欲求を抑制、否定するだけでなく、他者に犠牲的役割を果たすなどの行動を無意識的に行うため、当然のこととして不平、不満といった感情が絶えず発生してくるが、このような自己否定の構えを根付かせている人は自分の心の中で不平不満が起きていることの真の原因を明確に気付けないでいる。
いつも不平不満の気持ちでいる人は、心の中に大量の解消されていない不平不満の感情が蓄積されている。
しかしこの大量の不平不満の感情を心に中にため込んでいることは苦しい、辛い。
したがって、この感情を吐き出すことによって一時的に楽になろうとする、その行動は本能的といってよいであろう。
一時的解消方法として考えられるのは、いじめ、ネットでの誹謗中傷、パワハラ、DVなどが多い。
しかしやっかいなのは、この不平不満を正義、正論にすり替え、偽装して解消することである。
具体的には新聞の読者投稿欄で不祥事を起こしたりや疑惑を持たれている大物政治家を正義、正論でもって責めたて断罪するとか、デモなどの抗議活動が考えられる。
今日のニュースで、環境団体の構成員が美術館で展示されているゴッホのひまわりの絵画(本物)にトマトソースを投げかけ汚損するという事件の映像を見たが、このような過激な抗議活動も本当の意味での抗議ではなく、恒常的な不平不満を抱えて苦しんでいる人がその苦しい感情のはけ口として批判、抗議活動を利用している可能性も否定は出来ないと考えている。
安部元首相の国葬に反対する人々の一部に不自然なほど攻撃的になっている人がいるのを見て、このような人たちが耐え難い不平不満からくる怒りの感情を日常持ち続け、その苦しい感情の解消をデモや抗議に求めている人も中にはいるのではないかと思った。

2つ目は、今自分が置かれている状況を受け入れようとしていない、自分の身に降りかかってきたことを自らの責任で引き受けようとせず、その発生原因を外部要因と認識し、解決も他者に求めようとする依存的な姿勢を持っていることである。
今自分の置かれて状況が耐え難いものであっても、突き詰めればその状況を選択したのは自分である。今の状態が受け入れ難いのであれば、行動を起こす、努力するなどして不平不満を感じないまでにすればよいだけのことだ。
もし今自分が置かれている状況でも満足を得るには、その状況を、その状況にいる自分の運命を受け入れるしかない。その中で不平不満を感じないよう、欲求レベルを下げる、他人や他人の生活と比較しない、ささやかなことでも感動できるようにする、経済的、物理的に出来る範囲内で満足できるよう工夫する、健康であることのありがたみを感じる、等々のことが出来るようになれれば、不平不満など起きてこないのではないか。
経済的に豊かであることが優れているという価値観を抱いているから、自分がそれに見合わないと感じた時、また自ら行動したり、努力するなどして不平・不満を感じないようにしていないことにより恒常的に苦しむことになるのだと考えられる。

不平不満を本質的に解消するには、不平不満が何故起きてくるのか自分の心に常に問いかけるしかない。
これをやらずして、苦しい不快な感情を感じるのが嫌だから安易な手段で吐き出す、というのはいかがなものか。
不平不満の真の発生メカニズムが分かれば、これまでやってきた一時的な解消方法が間違っていることに気が付くのではないかと思う。
自己否定をやめ、本来のありままの自然な自分を受け入れ、そのままの自分で満足できるようになれれば、不平不満の生じる余地はないのである。



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人間は内面的な充足感で幸福になれるよう出来ている

2022-10-09 23:48:26 | 心理
今日の昼過ぎ、久しぶりにテレビを見ようと思って「ザ・ノンフィクション」という番組を見ることにした。
1時間枠のドキュメンタリー番組であるが、コロナによる業績悪化で退職を余儀なくされ、自転車によるデリバリーの仕事で何とか生計を維持している3人の方の数か月間にわたる生活の取材であった。

この中で30歳の方の生き様にとても感銘を受けた。
本人のプライバシーもあるので詳細は割愛させていただくが、この方の取材を通して感じたことを記事に書きたいと思った。
彼は超一流大学を卒業、銀行の頂点とも言える超一流企業に就職したものの、会社の期待に答えられない自分を否定するようになってから、うつ病を発症し、28歳のときにやむなく退職したという。
そしてその後投資に失敗し、借金を返済するため手っ取り早く収入を得られる自転車によるデリバリーの仕事を始めたのだという。
ここで具体的に触れることは避けたいが、彼はある耐え難い苦しみを抱えていた。
そのことを吐露したときの彼の苦しみの表情が焼き付いて離れなかった。

彼は過酷な仕事や生活をしながらついに借金を返済する。
そして余剰の資金でデリバリーの仕事をやりながら自転車で日本一周の旅に出ることを決断し、実行に出る。
その時の彼の言葉にはどん底から這い上がったあとの、何か悟り得たような落ち着きと前向きな生のエネルギーが感じられた。
人間、どん底を経験して初めて生きることの本質を知るようになるのではないか。

彼は取材の途中で、「タクシー運転手はこのデリバリーの仕事を下に見ています。仕事に上とか下とかは本当は無いと思うんです。でもどうしてもそう考えてしまうんです」と言っていた。
私はこの彼の言葉に共感するものを感じた。

私も20代半ばでうつ病となったが、当時は精神疾患による休職制度はなく2年半ほど仕事を干されるという地獄の仕打ちを受けた。

仕事とか地位に上とか下というものがある、という考えに私は抵抗を感じるし、間違っていると思っている。
どんなあらゆる仕事でも誠意をもって真剣に取り組んでいる姿勢に心を打たれるもの。
仕事の報酬の違い、高度な技術や経験を要するか否かで仕事や仕事をする人間をランク付けすることって、実に貧しい考え方ではないだろうか。
地位の高いといわれる人の中にも自らの個人的欲望のために犯罪に手を染める人もいる。

あと、お金をたくさん持っていても、高級品を買いあさっても、高級なおいしい料理を毎日食べていても心が満たされずに、むなしい人生を送っている人はたくさんいる。
逆にこういう生活を送るから、心が満たされなく貧しくなるのかもしれない。
何故ならば、物質的豊かさに慣れ切って無感覚になってしまって、それを所有することの喜びが麻痺してしまっているからだ。だから次から次へと強迫的に物質的欲望を満たそうとするようになる。

デリバリーの青年は何も所有していなかったが、不平、不満は一切言葉に出てこなかったし、実際、心の中でも感じているようには思えなかった。
自分の置かれている境遇を完全に受け入れ、自らの責任において起きたことと認識しているように感じられた。
思うに、人間は何も所有していなくても、自分の心の内面のみで幸福を感じられるようにDNAが設計されているのではないかと思う。
原始時代の人間が最低限の衣食住で生き長らえることが出来たことを考えると、人間は物質的豊かさがなくても、精神的豊かさのみで幸福を感じられるように出来ているのだと思う。

不平、不満はこの本来、全ての人間に平等に備わっている精神的豊かさに気付かないだけでなく、その本質を自ら破壊するような生き方をしていることにより、他人と比較することで生じてくる感情ではないかと思う。
あとは自分の身に降りかかってきたこと、起こったあらゆることに対し、受け入れたり責任を引き受けることをせず、不利、不運なことは他人のせいだとする構えを持っていると、不平、不満に支配されることになる。
うつ病や対人恐怖などの精神疾患だって、自分の受け止め方の誤りが原因で発症するものなのだ。他人の言動はきっかけであったにしても、そのことが直接の原因とはなるわけではない。

よく、新聞の読者投稿欄で自らの境遇に対し政府に不平、不満をぶちまけている方がいるが、今置かれている境遇が自ら招いたことを受け入れようとしていない方だと思われる。
彼らはそのことに気が付いていない。原因を外のことにすり替えている。
今の境遇が耐え難いのであれば、それを感じないまでに地道に独力を重ねていくしかないであろう。あのデリバリーの青年のように。
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心理療法にとって最も重要なこと

2022-09-16 01:43:28 | 心理
今日(15日)、7月から始めた講習会のカリキュラムの一環として、未だ駆け出しの若いセラピストのセッションを受けた。
3時間にわたる長丁場のセッションであったが、終わったあとは何かいい方向への変化となるものを感じることができた。

最初は恐らく男性に対する恐怖心のようなものを感じているような若干の頼りなさ、自信の無さを感じないでもなかったが、後半は自信を取り戻し、力強いセッションでいい感触を得たようであった。
私はこれまで30年以上にわたって、延べ30人ほどのカウンセリングや心理療法を受けてきたが、効果を感じられるものは何一つ無かった。
その理由としてこの分野が、内科、外科などといった医療のように難病を除きほとんどが療法が確立されているのに対し、解決を保証する確立された療法が無いのが事実であるからである。
心の苦しみや病を取り扱う分野は、病気などの医療よりもはるかに難しい。
確固たる技術そのものが確立されていないし、技術だけで解決できるものではないからである。
また残念ながら心理を仕事としている方の中には、お金を儲けることしか考えていない方もいる。

私自身の経験からいうと、心理療法にとって最も重要なことは、セラピストが純粋な優しさや受容力、メンタル面の強さなど、いわゆる人間力を持てるかどうかだと思う。
心の苦しみは人間の感情で歪まされたものである以上、人間の感情でしか癒せないからである。

今日受けたセラピストは未だ未熟さを感じたが、心は優しい方であった。
別にセラピストでなくても純粋に心の優しい人はいる。
心に深刻な苦しみを抱えている方は、心の優しい方から何度も感情的エネルギーを受け取る必要がある。
しかしそれには条件がある。
それは、自分で自分を否定しない、すなわち自己否定の構えからある程度解放されていることである。
制御不能な自己否定の回路が強固に形成されている人は、人の愛情を受け止められない、逆に撥ねつけるため、他人の愛情を感じることが出来ない。
このことが心理療法を困難にしている要因の一つだと思う。


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心を傷つけることのできるのは自分以外にいない

2022-09-10 22:49:55 | 心理
先日の演奏会の前、8月31日、手帳にこんなメモが残されていた。

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演奏時にあがる根本原因を考える。
・失敗するのが怖いのではない(何故ならば、自分一人で弾く時は失敗が怖くないから)。
・失敗して、人から馬鹿にされたり、失望されたり、責められたすること、そのものが怖いのではない。
では、何が怖いのか。
⇒人から失望されたり、馬鹿にされたり、責められた時、「自分が悪いから」、「自分が下手だから」、「自分の努力が足りないから」と言われたと受け止め、自分を否定した結果、恥ずかしさ、自責、屈辱感などの感情が出てきて、その辛い感情を2度と味わいたくないから、同じような場面に直面すると怖くなるのである。

では、これを解消するためにはどうしたらよいだろうか。
⇒たとえ人から責められたり、馬鹿にされたり、失望されても、それはしょうがないと、自分が否定せず、肯定できるように自分の受け止め方を変えてみることで得られる。
 それを全員から責められたり、馬鹿にされたり、失望されると錯覚していることも原因だ。

結局、自己否定して傷つくのが怖いのである。

原初体験後、2回目以降は実際に、ミスして誰からも何とも言われなかったとしても、自分で自分を原初体験のように否定して傷つく。
そしてミスする前からミスをしてその苦痛を味わう恐怖を感じるのである。

「恐怖を引き起こさせているのは自分である」


他人から責められる、落胆される、馬鹿にされると決めつけているのも、責められたり、馬鹿にされて、自分は駄目な奴だ、自分は下手だ、自分は至らない人間だと自分を責め否定するのも自分だし、ミスしないように「ミスは絶対に許されない」とプレッシャーをかけるのも全て自分である。

「傷つく」ということは「自分で自分を責め、否定すること」と同じこと、他人によって傷つけられるのではない。

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今振り返ってみると、頭の中で、何とかしようともがいていたことがわかる。
頭でいくら考え抜き、原因らしきものが見えてきたとしても、心の反応というのは無情にも簡単に変わるものではない。
心の反応は、硬直、震え、動悸、発汗といった形で体に現れる。
この心の反応を変えることは容易なことではない。

でもまずは頭で考えることが先だ。
気付きを得るためには頭で考え抜くことが必要だと思う。
自己否定が当たり前の世界で生きてきた人間が、自己肯定できるようになれる、ということがどれだけ難しいことか、今では分かる。

自分の体験から、「自己肯定」できるようになれる一つの重要なキーポイントを考えてみたい。
それは、「心を傷つけることのできるのは自分以外にいない」ということだ。
よく、人から傷つけられた、ということをを耳にする。
しかし、傷つけているのは他人ではなく、「自分」なのである。
他人がどんなに自分を貶めたり、誹謗中傷するようなことを言ってきたとしても、それが確固たる正確さをもって自分に当てはまらないと認識できるならば、影響を受けずに切り捨てることが出来るのではないだろうか。
もし影響を受けるのであれば、他人の言ってきたことが自分に当てはまるという自己否定の構えが潜在意識に強固に張りめぐらされているということだ。

自分を嫌う、自分を憎む、自分に落ち度があると自責の念にかられる、この自己否定の構えが無意識に根付いていることに気が付くことが出来るのであれば、きっと先の見えない闇のトンネルから抜け出すことができるのではないかと思っている。

【追記2022091110:15】

心が傷つくことから出来るだけ回避することとして需要なキーポイントとしてもう一つ考えてみた。
それは、人を貶めたり、誹謗中傷する人間を客観的に冷静になって観察、理解することである。
このような言動を行う人間を冷静に見つめていると、耐え難い深刻な心の苦しみを恒常的に抱えていることが透けて見えてくる。
このような人たちも日常的に心が悲鳴をあげているのである。しかも本人はそのことに気が付いていない。
しかし本質的な解決が分からない、そこに注意を向けることが出来ないから、最も安易で、卑怯な手段で解決せざるをえなくなっていると考えられる。
ある意味裏を返せば、このような人たちは、人を貶めたり、誹謗中傷することで、「自分はこんなに心が苦してたまらないんです」と自らその状態を露呈しているともいえる。
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