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緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

上越・信州小旅行記(その3)

2020-10-04 22:10:12 | 旅行
(前回からの続き)

吉田駅に着き、12時30分発弥彦行の普通列車、弥彦線に乗車する。





弥彦線は単線。超ローカルとは言えないがローカル線には変わりない。
景色は田んぼが広がる。線路には草が生い茂っている。
弥彦駅まではあっけなく、すぐだった。



駅を出ると駅舎が神社のような造りとなっている。



何か神社とのゆかりを連想させる。
駅そばにあった観光案内板を見ると、歩いて15分程の場所に弥彦神社という比較的大きな神社があることがわかった。
観光地で神社、城、武家屋敷の類は大概つまらないと感じるのであるが、待ち時間が1時間半もあり、途中に観光案内所もあるので、とりあえずその神社へ行ってみようと思った。
(吉田駅で事前の弥彦行の時刻表の確認不足でルート変更したために、弥彦駅周辺散策の時間が新たに生まれた)

観光案内所でパンフレットをもらう。
すぐそばに「パンダ焼き」というこの土地の名物?のお菓子の店があったが、その日は営業していなかった。
少し先に足湯のある休憩所があった。子供連れの何人かの人々が足湯につかっていた。
足湯には入らず、物産店に入り弥彦村の特産品を見て回る。
とりたてて特色あるような郷土品は無い。
強いてあげれば米とまんじゅうくらいか。
店の奥に唯一目を引いたものがあった。陶器だ。
陶器といっても日常使う食器がいくつか置いてあるだけのものであったが、その中で、2,050円のぐいのみに目が行った。
シンプルで素朴なデザインだが、均整のとれた形と大きさのぐいのみだった。
一瞬欲しいと思ったが、値段が高かったので止めた。
他に980円のぐいのみが何種類かおいてあったが、これはすぐに飽きてしまうような代物であった。
結局何も買わずに店を出、神社に向かった。
神社に向かうにつれ人の数が増えていく。4連休が終った直後なのに意外に人がそれなりにいる。
この神社は知る人ぞ知る結構有名な神社なのか。
神社の付近には、高層とまではいかないが、ホテルや大小さまざまな旅館や土産物屋、食堂などが立ち並んでいた。
しかしホテルなどは古びており、あきらかに昭和の時代に建設されたように見えた。
部屋は畳なのか。
弥彦は交通の不便さもあってか、訪れる人の少なさを物語っているように感じた。
神社の中に入ってみる。中規模の神社という感じか。



私は無宗教で信仰には関心がないが、前の人の真似をしてお辞儀をし、賽銭を投げて手を合わせた。
一応願い事をした。内容は秘密だ。
神社のわきに酒樽がたくさん並べられていた。



神社よりむしろこっちの方に目が引き寄せられた。
こんな気温の高い、直射日光に当たる場所に日本酒を置いておいていいのか。
多分後でたらふく飲むんだろうけど、不味くなっているだろうな。
妙にそんなことを心配してしまった。
帰りにお守りを買った。
「武」という文字の入ったものだ。500円。



他に「草」とか、後は思い出せないが漢字の一文字を縫い付けたものがあったが、この神社に関係の深い神社の名前から一文字取ってお守りにしたとのこと。
いささか戦略的商法の気配を感じないでもなかったが、こういったものは何かの役にたつのだろうか。
神社を出たら道に迷ってしまったが、ほどなくして来たときのルートに復帰し、弥彦駅に向かう。
そして途中で行きに立ち寄った物産店に無意識に吸い込まれるように入っていった。
そしてあの店の奥においてあった、2,050円のぐいのみと再会した。





そして、このぐいのみがどうしても欲しいという気持ちが湧き起こり、しばし葛藤する。
そして誘惑に負けてこのぐいのみを買ってしまった。
今日、このぐいのみで地酒を飲むことにした。
他にも温泉まんじゅうが売られていたが、こういうものを買うよりかはいいだろう。
どうせ温泉まんじゅうなんて、どれも同じようなものだ。
虫歯や歯周病の原因にもなる。
ぐいのみの方がずっといい買い物なのだ(と自分を無理やりに納得させる)。

弥彦駅発15時11分発で三度び吉田駅まで向かう。
ローカル線の旅は結構大変だ。
時刻を上手く計算のうえ、計画しておかないと無駄足を食ってしまう。
吉田に着くと、20分ちょっとの待ち時間で越後線へ乗り換えだ。
柏崎まで行き、柏崎から信越本線に乗り換え、今日の宿泊地である長岡に向かう。
空模様はくもりになってきた。
明日は雨になるに違いない。
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上越・信州小旅行記(その2)

2020-10-04 10:15:59 | 旅行
(前回からの続き。出かけるまで1時間近くあるので書くことにする)

東三条12時10分発吉田行のワンマンカーに乗る。



吉田に引き返しだ。
吉田に行く途中で疲れが出たのか、居眠りをしてしまう。昨夜は4時間寝ていないだろう。
吉田に着いて12時36分発の弥彦行に乗り換える(あるいは東三条から乗ってきたこの電車のままの接続で)はずであったが、車内アナンスで弥彦行の接続の案内は無かった。



ホームの時刻表をよく見たら、12時36分発弥彦行は土日のみの運転だと。
時刻表を事前によく見ておかなかった。失敗!。
ここで弥彦行の乗車断念が頭をよぎったが、よく調べてみると、1時間ちょっと後の13時38分発で行くと、吉田-弥彦間の往復は元の時間スケジュールに復帰できることが分かり、このルートに変更することにした。
吉田駅近くにあるというナイフギャラリー見学は断念せざるを得なくなったが、まあそれほど見たいというものでもないのでいいだろう。
弥彦行の発車までまだしばらく時間があるので、駅備え付けの周辺マップを見て駅周辺をぶらぶらすることにした。



あまり遠くまで行けないので、マップに記載されていた歩いて5分程の所にある喫茶店に入ってコーヒーを飲むことにした。今日3杯目のコーヒー。
店内のテーブルやイスがもう何十年も使っているような古びた小汚い喫茶店だった。
店内に客は誰もいない。
店の主人と思われる女性がカウンターで食事をしていた。
メニューを見てコーヒー(400円)を注文した。
飲んだら味がしない。まさかコロナに感染したか?。
それはないだろう。出がらしか、それとも味の極めて薄い高級(?)コーヒーのどちらかであろうか。
女主人が暇そうに新聞を読んでいた。
この町も閑散としている。のどかそのものだ。
小さな古びた商店が点在するのみ。東三条と同様、地元の人しかいないという所だ。
外は暑い。コーヒーは不味いが、店内の涼しい所ではしばし疲れを癒してくれる。
今綴っている手帳は私のもう一つの日記だ。
ブログの日記と違って、この日記には自分の本当の生の気持ちを書いている。
ブログでの日記も出来るだけ飾らずに表裏なく日常の出来事や、思いついた事を書くようにはしているつもりだ。
手書きの日記は、どこでも気軽に速く気持ちを記録できるのがメリットだ。
パソコンはずっと重たいし、電源が無いと書けない。
手書きの方が絶対いい。万年筆(安物だが)を使っているが、力を入れずにすらすら書けるのがいい。

会計を済ませ外へ出ると、いくぶん暑さが和らいでいるよように感じた。
少し涼しい風が出ていたからだ。
こういう風を感じるのは何十年ぶりだろう。子供の頃、何も心配することのなかったあの頃に、外で遊んでいた頃に感じた風の感触だ。
大人になってからというと、30代初めに周遊券を使って帰省した時に行った、追分駅周辺を歩いた時以来だろうか。
こういう感触に浸れるのも、観光地でないローカル線の旅ならではのものだ。しかも一人旅でしか体験できない。
駅に戻る途中で、変わった信号機(横断歩道用の)を見つけた。
青と赤の配置が並列だった。初めて見た。

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上越・信州小旅行記(その1)

2020-10-03 21:52:46 | 旅行
前回からの続き。

9月23日午前4時起床。
こんなに早く起きたのは何年ぶりだろう。
とは言っても東京の勤務先に出るときには4時40分に起きるから、40分しか違わないが。

朝食に納豆1個を食べ、身支度をし、いつも利用するバス停とは違う路線のバス停に向かう。
15分程して着いたが10分以上も待つことになった。
5時1分発某JR線駅前行きのバスに乗る。
JR某駅でその日の1番列車に乗る。
結構混んでいる。
座席に座るためにこんなに早く出てきて待っているのだろう。
それでもこの駅で15両編成の後ろから2つ目の車両にもかかわらず座席は満席となった。
東京方面に向かうこの列車の途中駅で、上越方面の新幹線に乗り換えるために降車した。

新幹線の発車時刻まで30分以上あったので、車内で食べるパンや乗車券などを買って待合室でしばらくくつろぐ。
乗車したのは、新潟行き「とき301号」。
自由席もあるが念のため指定券をとっておいた。
案の定、自由席の待機場所では多くの人が行列を作っていた。
新幹線通勤の人と思われる。
東京と反対方向なのに結構通勤する人がいるものだ。
私が乗った指定席車両の乗車率は少なかった。
2列+3列の座席に対し、1名、多くて2名という少なさ。
人が少ない方が気が楽だが、JRは採算が取れないだろう。
まあ4連休明けすぐの平日ということもあるけれど。

発車してまもなくして買っておいたパンと缶コーヒーを飲む。
平日東京へ通勤するときの朝食は納豆1個だが、旅行の朝くらいはもう少し食べてもいいだろう。
あいにくの雨だ。
天気予報では台風の上陸の影響で24、25日は雨だという。
23日も関東は雨の予報だった。
4連休が事前の予報に反して晴れ間が多かったので、その反動だろう。
旅行は天候に左右されるので、雨の時は運が悪かったと開き直る他ない。

しかしである。天候はここから急変する。
この変化が私のそれまでの重たい気持ちを変えさせた。
旅行の際に、旅日記というものを書いたためしがないが、このときふと、旅をしながら紀行文を書いてみるのもいいな、という気持ちになったのだ。
そこで普段使っている日記帳、それは毎日書いているわけではないが、ブログへ書く外向きの日記ではなく、自分の本当のありのままの気持ち(上司の悪口?、アノヤロー、コンチクショーとか?)を記録するために使っているもう一つの日記帳である大き目の愛用の手帖に書いていくことにしたのである。



ここからは、この手帳に記載したメモをできるだけ忠実に書いていくことにしたい。
そして必要に応じ今時点で振り返ってみたときの感想などを補足という形で挿入していくことにしたい。


(以下、手帳のメモより)

越後湯沢駅の手前の長いトンネルを抜け、駅のホームに出ると、驚いたことに天気は晴天に変わっていた。
駅前には温泉旅館やホテルが乱立する。
少し寂れた印象だ。温泉宿は経費がかかるから経営が難しいのかもしれない。
それにしてもトンネルばかりだ。
現在建設中のリニアもトンネルばかりだと聞くが、鉄道は景色を楽しめないとつまらないものだ。
あと晴天だとなおいい。
指定席をとったけど、乗車率は3分の1くらいだろうか。自由席は混んでいるようだったが。
浦佐という駅に止まるが、乗り降りする人はいない。
こんな所に駅を作って何のメリットがあるのだろうか。
しかし地方は緑が多くていい。それだけでも気持ちが安らぐ。

長岡着。雲一つない晴天だ。天気予報が全く外れた。
長岡は結構都会だな。実は今日ここで1泊する。
しかし今ここで降りるわけではない。ずっと遠回りをしてここに帰ってくるのである。
夕方には天候はどうなっているだろうか。

燕三条駅着。ここも晴天。
早く外に出て晴天の空気に触れたい。
ここも割合開けている。新潟市の近郊という感じか。

8時13分、新潟駅に着く。



駅の外に出るのに結構な道のりだ。
途中で、忘れてきたケース入りのせっけんを買うためにマツモトキヨシに寄ったが、売っていなかった。
階段を降りて外に出たら、風はやや強いが陽射しが強く、暖かい気持ちのいい晴天だった。





こんな朝を感じるのは久しぶりだ。
まだ半袖の人もかなりいるが、季節はもう秋だ。
駅のそばは意外にも広く閑散としている。人通りは少ない。
もう通期の時間帯は過ぎた。タクシーが何台も客待ちをしていた。
9時22発の普通列車までかなり時間があるので、駅構内のコーヒーショップで時間をつぶす。
鉄弦ギターの音楽が流れていたが、鉄弦の響きもなかなかいいものだ。
ナイロン弦にはない独特の良さがある。
しかし早朝から、こういうのんびりとしたひとときを過ごせるというのは、しかも知らない所で、もう何年もない。
30代の終わりから50代の半ば近くまでずっと仕事一筋だったこれまでの人生の中でも、こういう機会は作ろうと思えば作れたに違いない。
やはり気持ちを実行に移すということは重要だ。

9時22分発、吉田駅行き4両編成の電車に乗る。
越後線というローカル線だ。









さほど混んでいない。
10時20分に吉田駅に着いたら東三条行き10時23分発まで3分しかない。
もう長い間聴くことのなかった、ATS式のキコキコベルが頻繁に鳴る。
旧式の路線なのか。単線だ。
客の殆どが大学生といった感じだ。
言葉は標準語。新潟は以前にフェリーに乗るためと、村上という所に立ち寄ったことがあったが、その時聴いた言葉も標準後だった。
この路線のどこかに大学があるのか。
途中で新潟大学前という駅に止まった。やはり車内の多くの乗客は大学生だったのか。
しかし大学生風の人たちはここで降りなかった。何故?。別の駅に大学があるのか。
大学生風の大勢の人たちは越後赤塚という駅で降りた。
後で調べてみたら、新潟国際情報大学という大学がこの駅の近くにあることがわかった。
巻という駅で、昔、東北線や東海道線で使われていた深緑とオレンジ色の電車が反対車線に止まっていた。
今でも使われているんだ。関東で使われてきた車両のお古なのか。
地方ではよくあることだ。
私が中学、高校生のときに走っていたディーゼルの車両は、本州で使われ役目を終えたお古だという話を聞いたことがある。
私はこういう古い列車の方が好きだけど。
列車は定刻どおり吉田駅に到着。10時23分発東三条行き2両編成の電車(ワンマンカー)に乗る。



この路線は弥彦線という。
晴天の中、田園風景が広がる。気持ちがいい。
新潟には、「燕」という名の付く駅名が多い。
どういう由来があるのだろう。こういうことも調べてみても面白いな。
途中、燕三条という駅に着く。この駅は先ほどの新潟行きの新幹線で停車した駅だ。
なんか不思議な感覚だ。
燕三条駅からはかなり開けてくる。家が密集している。もう終点の東三条に着いていた。







東三条駅の周辺を歩いてみる。
もう昼どきに近い。食事をする店があるにはあるが、営業していないようだ。
駅前通りには小さな商店などが点在する静かなのどかな感じの町だ。
車の行き来はそれなりにあるが、晴天のおかげだろうか、のどかすぎるくらいだ。
古い商店、例えば時計屋、刃物屋、せともの屋、米屋などが点在している。



観光という要素は全くない。地元の人だけがいる街だ。
途中、汲み取りのバキュームカー(懐かしい)のそばを通ったら、すごい異臭が。
まだ汲み取りの町なのだ。
30分くらい歩いて、ようやく見つけたスーパーで五目おこわといなりずし(3ケ入り)を買って、駅のホームのベンチに座って食べる。
ホームには人っ子一人いない。



暖かい風を感じながら、初めて訪れた地の空気に触れる。どこまでものどかだ。
通勤の東京駅の殺伐とした風景とは天と地の差だ。
日中は半袖でも十分なほどの暑さだ。しかし天気予報では明日は雨になるという。
こういう町で働く人々は、時間に追われるということは無いのだろう。
ただ退屈かもしれないが、それはそれで良さがある。

(ここで一旦中断)
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上越・信州小旅行記(序)

2020-10-03 16:56:24 | 旅行
一口に旅行といってもさまざまなものがある。
独りで行くか、家族と行くか、仲間や恋人と行くか、目的的に言えば、観光、温泉、食べ歩き、撮影、修学など数えてもきりがない。
しかし共通しているのは、未知の土地で非日常の時を過ごすために行くということだろう。
私の場合で言えばもっぱら一人旅だ。
独りの方が気楽なのだ。
昔は一人旅をしていて孤独感を感じたものだった。
独りで旅をしていることに、ひけやきまずさ、恥ずかしさというものを感じた。
しかし今はそのような感情を殆ど感じなくなった。
年を重ねたということもあるだろうが、孤独に強くなったのかもしれない。
かといって何から何まで独りがいい、というわけでもない。
好きな音楽は大勢でやる方がむしろ楽しいと感じることもある。

20代終わりから30代半ば頃までは、美しい景色を求め、重たい撮影機材を担いでいろいろな所に行った。
中でも特に印象に残っているのは、四国の大堂海岸、南八甲田の黄瀬沼、櫛ケ峰、長野県の渋峠~草津白根山のルートなどだ。









これらの場所は今現在はどうなっているかわからないが、当時はその場所まで辿り着くのが結構大変だったし、それゆえに人があまり立ち入らない、すなわち何も上塗りされていないその土地そのものの素朴な美しさを感じ取ることができた。
昔の私はそのような場所に行ってみたくて、当時はインターネットなどなかったから、書籍や観光案内所などの提供する情報をたよりに計画を立て、3泊、ときに4、5泊くらいの日程で年に数回撮影旅行に出かけていた。
不思議に重たい三脚や、金属製カメラ2台、交換レンズ3、4本の入った登山用リュックを担いで1日中歩いても全然平気だった。
今こんなことをやったら腰痛で歩けなくなってしまう。
今度行ってみたいと思っているのは、南八甲田の櫛ケ峰ふもとから十和田湖に抜けるルートだ。
当時はマイナー中のマイナーなルートだったが、今は登山ブームでどうなっているか分からない。
当時、池塘(ちとう)の点在するとても美しいところだと聞いていた。

先週の4連休明けに使わないでとってあった計画年休3日間を使って、2泊3日の小旅行に久しぶりに行ってきた。
今回の旅行の目的(と言ってもそんな大げさなものではないが)は、ローカル線に乗るためである。
選んだのは上越・信州の路線だ。
ローカル線は昔撮影旅行に行ったときや、北海道の実家に帰省する途中で利用したり、乗ったことの無い路線に乗車して景色や車内の人間模様を見て楽しむのが好きだった。
ローカル線など鉄道の旅は、鉄道に乗るのが好きでない人からするとこれほど退屈なものはないであろう。
しかし古いディーゼル列車の煙のあの独特の臭いの好きな人や、ディーゼル列車のあの加速する時の大きな音が心地よいと感じる人にとっては、非日常で提供される最高の癒しとなる空間と感じるられるに違いない。
夜行列車やディーゼル列車がどんどん姿を消し、ローカル線自体が廃線となりつつある現在、この鉄道の旅も昔に比べ、趣きというものをを感じにくくなった。
今回の旅行から帰ってきて、ある一種の淋しさのようなものを感じたが、そのこととも関係しているのかもしれない。

そんなこともあって、今回の小旅行の記事は書くか書かまいか迷ったが、そもそも自分の楽しみのために記事を書いているので、こまぎれとなるが数回に分けて書いていくことにした。

(腰が痛くなってきたので、とりあえずこの辺で中断)

番外

今は金儲けの町と化したかつての景色を撮った写真が見つかった。

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岩泉線に乗った時の写真が出てきた

2020-09-29 23:08:09 | 旅行
明日も在宅勤務なので少しゆっくりできる。
寝るまでのわずかの時間でも記事を書いておこうと思った。

今日たまたま本棚のアルバムを見ていたら、10年くらい(もっと前かもしれない)に、青春18きっぷで帰省したときに乗った岩泉線(現在廃止)の写真が出てきたので、貼り付けることにした。



確かこの駅が出発点だったか。





途中で凄い駅があった。周りに何もない。







駅に降りてから、鍾乳洞に行こうと思ったけど、時間が遅かった。
駅そのもの、駅の周囲も時代に取り残されたような、寂しさを感じさせる町だった。

番外

震災前の宮古駅。
岩泉線に乗る前に立ち寄った駅だ。



先週の9連休に行った小旅行の記事はいつになったら書くのか。
なんとなく気が進まないのは、あまりいい旅ではなかったからなのかな。
(日本酒だけは楽しめたかも)
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