緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

家の中に雑草が生えた?

2020-05-24 22:16:06 | 植物
今日、朝目覚めて朝刊を取りに玄関に行き、引き戸を開けようとした瞬間、玄関の隅に緑色のものが一瞬目に入ってきた。
その怪しい物体は、大きな工具箱の後ろに隠れていた。

下はは巨大な(でもないか)工具箱。



何だろうと思って、よーく見てみたら、何と雑草だった。



コンクリーとの割れ目から生えてきていた。
それにしてもほこりまみれの玄関だ。
しかし凄い生命力だ。

この雑草はそのままにしておこう。
綺麗な花を咲かせることを期待している。
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雑草の魅力(5)

2020-05-20 23:09:23 | 植物
4月20日から在宅勤務が認められて1か月。
実質、今日まで8日間の在宅だったが、実は今日から月末まで1日間を除き在宅が認められた。
世間では、もうコナロ感染が収束してきているので、通勤者が増えてきているのに、私の職場は全く逆方向だ。
変な職場だな。

しかし在宅勤務はたっぷりと睡眠時間を確保できる。
12時に寝たって7時間も睡眠をとれるのである。
これはうれしい。
仕事以外にやりたいことがたくさんできる。

久しぶりに雑草を写した。
一昨日、工場勤務の帰りに、駅近くで見つけたものだ。
もっと大きく撮ればよかったが、実物はとてもかわいく、いい色だった。



しかし、雑草はこんな悪環境でも、よくもこんなに綺麗な花を咲かせるのですね。
不平や文句も言わず、与えられた環境で忍耐強く、黙々と生きる。
すごいたくましい生命力だ。
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雑草の魅力(4)

2020-01-10 22:26:05 | 植物
今日、朝5時50分頃家を出たら、民家の屋根すれすれくらいの高さに、やけに馬鹿でかいオレンジ色の月が浮かんでいた。
こういう大きくてオレンジ色の月はこれまで何度か見たことがあるが、今日見たのは一番大きかった。
ちょっと異様な感じがしたが。
今日の夜勤め帰りに同じ場所を通りかかった時に見た月は、空の高い、いつも位置に白く輝いていた。ほぼ満月。
12時間ちょっとしか経っていないのに随分違って見えるものだ。

さて、しばらく途絶えていた雑草のことを書きたいと思った。
家の周りに咲いている小さな花だ。
名前は分からないが、自然な色がいい。

下の3枚は9月28日と10月5日に撮ったものだ。







この花は夕方になって気温が下がると花がしぼむが、晴れの暖かい日は花びらを目いっぱい開く。

この花も冬になれば枯れていまうだろうと思っていたが、1月に入っても以前と変わらない姿を見せていた。
下の写真は1月3日に撮ったもの。



すごい生命力。
雑草に関心を持つようになったのは、このたくましい生命力を感じたからなのかもしれない。
どんな悪環境、逆境でも、人に踏まれようが、刈り取られようが、再生する。
雑草って、道端の目立たないようなところで、ひそかに咲いているんですね。
そういうところもいい。

表舞台で目立って、自己主張することもなく、おかれた環境でひっそりと黙々と生を全うする。
自分はこういう方が魅力を感じるな。

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雑草の魅力(3)

2019-08-14 20:45:14 | 植物
明日から仕事だ。
8月は忌引き休暇やお盆休みで9日の1日しか仕事に出ていない。
こんなに休んだのはもしかすると就職して初めてかもしれない。
過去を振り返ってみると、30代半ばから今から1年くらい前までは殆ど仕事を休まなかった。
30代半ばから5年間の間、半日休暇を2度しか取らなかったこともあった。
その後も毎年0.5日から長くて1.5日の有給休暇しかとらず、休日出勤もたくさんあった。
平日も常に夜の9時、10時まで仕事をしていた。
今は働き方改革だとかで、こういう働き方をしていると呼び出されて、叱責され、改善を促されるまでに変わった。

確かにRPAの導入などで、機械的事務作業はどんどん自動化されるようになったが、仕事のレベルは昔に比べて総体的には落ちているような気がする。
日本の技術力や品質は明らかに低下してきている。
技術力とか開発力といったものは、時間をかけないと育っていかないし、定時退社のような短い時間で成果を出せるわけがない。
今は昔の人が築いたブランド力で一部の業界(自動車など)は命脈を何とか維持しているが、これも中国や台湾などに追い越されるのは時間の問題だろう。
今かつてないほどの人手不足、就職率の高さ、昇給率の高さであるが、これは復興や五輪の需要増による一時的なもので、かつて日本が高品質、低価格、画期的な製品をじゃんじゃん生みだして、世界市場を席捲していた頃とはまるで様相が異なるのである。
多分五輪が終ったら、景気は落ち込み、1000兆円を超す借金まみれの財政を立て直すために税金は今よりももっと負担が大きくなることは間違いないとみている。

今日本は世界に誇れる製品というものが本当に無い。生みだせていない。
40年前に日本が中国に技術供与や資金援助を開始したとき、インドネシアの首相が「将来必ず、援助先の国が逆に技術力をつけて日本を食いつぶすことになりますよ」と忠告したという。
日本はこの時、いやバブル崩壊後しばらくも、中国や台湾などがまさか技術力をつけて日本を脅かすことになろうとは夢にも思っていなかったに違いない。
中国などの国をなめていたのである。

また日本はお人よしのところがある。
日本の工場に視察にきた外国人に、聞かれもしないことをあえてわざわざ教えてしまう。
そして技術を盗まれ、仕事を奪われてしまう。
中国などの国は絶対にこういうことはしない。
極めて用意周到だ。
日本が高度成長時代にどこにも頼らず自ら開発した技術が、バブル崩壊後にいかに安易に拡散したことか。
「ひさしを貸して母屋を取られる」ということわざがあるが、まさにこれを自ら行ったのが高度経済成長終焉後の日本だった。

本題からかなり反れたが、このブログもしばらく休んでいたものの今日から再開だ。
父の葬式の時に、親戚との会話でブログを書くことについての是非みたいな話題になり、ブログを書くのは自分を主張したい、自分を認めて欲しい、自分に価値を感じたいという人たちの気持ちの現れなんだという意見が出た。
まさにそのとおりであろう。
私自身、そのために書いているようなものだ。
それと付け加えるならば、自分の生活の記録のためである。
後でこの時代にこういうことをしていた、こういう考え方をしたり心境にいたんだ、ということを振り返ることができるからだ。
自分の気持ちを(常識の範囲内という前提条件はあるが)、そのままストレートに書くということは自分にとってはすごくプラスになっている。
考えも整理されるし、自分というものを知るきっかけにもなる。
自己を表現するということは、人間の避けがたい本能であろう。
Youtubeで演奏や歌を披露したり、マンドリンクラブに入って、指揮したり演奏したすることも自己表現したいという本能の現れだろう。
自分の体験や知識を公演で披露したいというのも同じだ。
人間はときに自分に正直になることも大いに大切だ。
自分の気持ちを認めて、責任を持てればよい。

ただ、他人からの反応や評価に過度に依存したり、一喜一憂するのは良くないし注意したい。
あくまでも自分の満足のために表現することがまずは第一優先というスタンスが丁度いい。

葬儀の親戚との会話で、SNSとかLINEで友達作るをすることの是非についても意見が出たが、これはあまりいい感じがしない。
顔がわからない、どんな人なのかも分からない人と安易に友達つくりすることに抵抗があるし、そんなインターネット上の付き合いに膨大な時間を費やされ、自分の生活を逆に支配されてしまうのは辛い。
正直、私はSNSとかLINEというものがどういうものなのか全く分からないし興味もない。

さてようやく本題だが、先日実家に帰ったとき、実家のすぐそばに咲いていた雑草を写してきた。





この白い、小さな雪の結晶体集まりのような花は北海道のいたるところでたくさん咲いていた。
しかし今までこんな花があったなんて全く知らなかった。







なんで写真が縦横逆になってしまうのだろう。

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雑草の魅力(2)

2019-07-21 00:05:51 | 植物
道を歩いていて目にとまった雑草の花をスマホで撮り始めた。
前回いくつかの写真を記事したが、今回は第2弾。
何故か、花壇の花よりこっちの花の方に目が向く。

しかし何故こんなことを記事にするようになったのか。
表向きは生活の記録だなんて言っているが、深層心理を手繰ってみると、普段の寡黙な生活の満たされない気持ちの現れにすぎないのではないかと思う。
でもまあ、いいか。
花を見ることはそう悪いことではない。











なんとたんぽぽがまだ咲いていた。一輪だけ。
すごい生命力。



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