先日の東京マンドリンクラブの演奏会が終わってから、いろんなことを考えていた。
どんなことを考えていたか、ちょっと箇条書きにして整理してみることにした。
①自分が一番こだわりを持って練習していた所が上手くいかなかった場合、どんなに他のあらゆる曲や箇所が上手くいっても終演後に喜びや達成感が感じられなかった。
②演奏前に不安を感じていると、それが実現される可能性が高くなる。
③今すぐにでもみんなの前で披露したい、という心からの欲求が湧いてくれば、演奏会は成功すると言っていい。
④音楽そのものに入り込む(意識が音楽そのものと同調する)と雑念や緊張から解放される。
⑤ポジションを目に焼き付ける。
⑥上手く弾こうと意識すると、その逆のことが現実化する。
⑦難しいフレーズは何万回練習しても本番でミスすればそれでまで。何故本番でミスするのかメンタル面での原因解明が必要。
⑧演奏会というものは自分が納得できる出来でなければ本当の満足感や喜びは感じられないものである。自分の気持ちにウソはつけない。それを認めて次のステージに向けて何をしたらよいのか考えてみる。
ややストイックな振り返りとなってしまったが、以下、深堀りして考えてみたい。
①は過去の演奏会でもあった。あれほど練習したのに何でなの?、と言いたくなるが、難しいパッセージというものは心理状態を平常かあるいはそれに近い状態に持っていかないと成功率は下がるということだ。
オリンピックで体操の選手があん馬や鉄棒で落下したり、フィギアスケートで大技を失敗するのがそのいい例だろう。
パリオリンピックで体操で金メダルを取った若い選手は過去に選手生命の危機に繋がりかねない大怪我で苦しんだ経験があったけれどそれを乗り越えて代表に選ばれたが、事前に殆ど注目されていなかったというだけでなく、この怪我を乗り越えたという体験が土台となって大舞台でも平常心で臨める結果になったのだと思う。つまり仮に今失敗してもあの時の辛さに比べればどうということは無い、という心境だったのではないか。
それを考えれば、失敗や挫折という体験は成功や栄光という体験と価値的には同じとも思えてくる。
自分の望むことを思い通りに実現しようとすると、逆に実現出来ないと言われている。パラドックスの心理だ。
裏心理に「自分は望みどおりになれないかもしれない」という気持ちが働いているからである。
②とも関連するが、人間は潜在意識に抱いている気持ちが動機となって現実を引き寄せるのだという。
演奏前に、「ここを失敗したらどんなに嫌な思いをするだろう」という不安の気持ちがある以上、その部分を練習で完璧に出来るよう準備していたとしても本番では恐怖で上手くいかない可能性が生まれるのである。
逆に、「今すぐにでもみんなの前で自分のパフォーマンスを披露して、いい気持ちに浸りたい。もうウズウズしている」という心理状態であれば殆どの場合成功するではないだろうか。
そこには失敗して嫌な思いをするかもしれない、という心理が働いていないからである。
人前で自分を表現することが楽しい!、という心境になっているのだろう。
この状態で演奏に臨むことが出来れば何も言うことはない。
昔、中学生のときバレーボールをやっていたことがあるのだが、一度、町役場の職員のチームと試合をやったことがあって、見事に負けたのだが、全然悔しいとは思わなかった。
何故かというと、当時の自分の得意技が変化球サーブを打つことだったのだが、それが見事に決まって、それだけで嬉しかったからなのだ。
そのサーブを打つときの瞬間のシーンを今でもはっきりと覚えているのだが、ものすごく集中していて自信に満ちていて、これからいくよ!、楽しい!、どうだ!、という心境だったのである。
そしてそのサーブを打ったボールが空中で揺れて急に落下する軌道を描いたとき、下級生が「すごい」と叫んでいるのが聞こえてきて、何か能力全てが全開した自分自身と一体化したような感情をその時に味わったんですね。
純粋にバレーボールが好きだったからだと思う。ものすごく好きだったから自分の得意技に自信を持っていたし、必ず成功するという気持ちに満ちていた。
社会人相手でも全然、負い目というものは感じなかった。多分、仮にサーブを失敗したとしても落ちこむことは無かっただろう。
多分、この心理なんだと思う。先に述べた、体操の選手もこんな心境だったに違いない。
演奏もこの心理に自然になれれば、と今は考えている。意識してなろうとしてもなれるものではない。
自分の心の深いところから欲求が湧き出してくるのを待つしかないだろう。
話は変わるが、最近、ホルヘ・アリサが2006年に来日したときのコンサートとアンドレス・セゴビアが1959年に来日したときのコンサートのライブ録音を聴いた。
随分前に買っておいたCDだが、数回聴いただけでしばらく聴いていなかったものだ。
このライブ録音を聴いて、「演奏会の本質とは何か」ということがおぼろげながら見えてきたように感じた(冒頭の④、⑤あたり)。
その感想については後日記事にしたい。