緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ギター2重奏「ひまわり」を聴く

2024-09-29 01:24:53 | ギター
今日は千葉某町で千葉マンドリンクラブの合奏練習があった。
演奏会まで1か月ちょっと。
今年の曲目は難曲が多い。これから最後の追い込みだ。

今日の練習は楽しかった。
こういう体験の積み重ねで演奏会の失敗の傷も癒えていけるような気がする。

以前はもっぱら独奏だけで満足していたが、徐々に合奏や重奏も楽しいと感じられるようになってきた。
これから重奏にも範囲を広げていこうと思う。

帰宅後、ふと、こんな曲を聴いてみた。
ヘンリー・マンシー二作曲の「ひまわり」。
Youtubeでいい演奏があったので貼り付けさせていただく。

映画『ひまわり』/H.マンシーニ(Sunflower/Henry Mancini)クラシックギター2重奏


数年前、コロナ渦のときにホセ・ルイス・ゴンサレス編のCDから耳コピーして演奏した独奏版の録音があったので、ついでにこれも添付しておく。
2重奏版の方がメロディーを十分に歌わせることが出来ることが分かる。

ホセ・ルイス・ゴンサレス編「ひまわり」 2022年3月21日録音
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演奏会から学んだこと

2024-09-24 21:13:36 | マンドリン合奏
先日の東京マンドリンクラブの演奏会が終わってから、いろんなことを考えていた。
どんなことを考えていたか、ちょっと箇条書きにして整理してみることにした。

①自分が一番こだわりを持って練習していた所が上手くいかなかった場合、どんなに他のあらゆる曲や箇所が上手くいっても終演後に喜びや達成感が感じられなかった。
②演奏前に不安を感じていると、それが実現される可能性が高くなる。
③今すぐにでもみんなの前で披露したい、という心からの欲求が湧いてくれば、演奏会は成功すると言っていい。
④音楽そのものに入り込む(意識が音楽そのものと同調する)と雑念や緊張から解放される。
⑤ポジションを目に焼き付ける。
⑥上手く弾こうと意識すると、その逆のことが現実化する。
⑦難しいフレーズは何万回練習しても本番でミスすればそれでまで。何故本番でミスするのかメンタル面での原因解明が必要。
⑧演奏会というものは自分が納得できる出来でなければ本当の満足感や喜びは感じられないものである。自分の気持ちにウソはつけない。それを認めて次のステージに向けて何をしたらよいのか考えてみる。

ややストイックな振り返りとなってしまったが、以下、深堀りして考えてみたい。
①は過去の演奏会でもあった。あれほど練習したのに何でなの?、と言いたくなるが、難しいパッセージというものは心理状態を平常かあるいはそれに近い状態に持っていかないと成功率は下がるということだ。
オリンピックで体操の選手があん馬や鉄棒で落下したり、フィギアスケートで大技を失敗するのがそのいい例だろう。
パリオリンピックで体操で金メダルを取った若い選手は過去に選手生命の危機に繋がりかねない大怪我で苦しんだ経験があったけれどそれを乗り越えて代表に選ばれたが、事前に殆ど注目されていなかったというだけでなく、この怪我を乗り越えたという体験が土台となって大舞台でも平常心で臨める結果になったのだと思う。つまり仮に今失敗してもあの時の辛さに比べればどうということは無い、という心境だったのではないか。
それを考えれば、失敗や挫折という体験は成功や栄光という体験と価値的には同じとも思えてくる。
自分の望むことを思い通りに実現しようとすると、逆に実現出来ないと言われている。パラドックスの心理だ。
裏心理に「自分は望みどおりになれないかもしれない」という気持ちが働いているからである。
②とも関連するが、人間は潜在意識に抱いている気持ちが動機となって現実を引き寄せるのだという。
演奏前に、「ここを失敗したらどんなに嫌な思いをするだろう」という不安の気持ちがある以上、その部分を練習で完璧に出来るよう準備していたとしても本番では恐怖で上手くいかない可能性が生まれるのである。
逆に、「今すぐにでもみんなの前で自分のパフォーマンスを披露して、いい気持ちに浸りたい。もうウズウズしている」という心理状態であれば殆どの場合成功するではないだろうか。
そこには失敗して嫌な思いをするかもしれない、という心理が働いていないからである。
人前で自分を表現することが楽しい!、という心境になっているのだろう。
この状態で演奏に臨むことが出来れば何も言うことはない。
昔、中学生のときバレーボールをやっていたことがあるのだが、一度、町役場の職員のチームと試合をやったことがあって、見事に負けたのだが、全然悔しいとは思わなかった。
何故かというと、当時の自分の得意技が変化球サーブを打つことだったのだが、それが見事に決まって、それだけで嬉しかったからなのだ。
そのサーブを打つときの瞬間のシーンを今でもはっきりと覚えているのだが、ものすごく集中していて自信に満ちていて、これからいくよ!、楽しい!、どうだ!、という心境だったのである。
そしてそのサーブを打ったボールが空中で揺れて急に落下する軌道を描いたとき、下級生が「すごい」と叫んでいるのが聞こえてきて、何か能力全てが全開した自分自身と一体化したような感情をその時に味わったんですね。
純粋にバレーボールが好きだったからだと思う。ものすごく好きだったから自分の得意技に自信を持っていたし、必ず成功するという気持ちに満ちていた。
社会人相手でも全然、負い目というものは感じなかった。多分、仮にサーブを失敗したとしても落ちこむことは無かっただろう。
多分、この心理なんだと思う。先に述べた、体操の選手もこんな心境だったに違いない。
演奏もこの心理に自然になれれば、と今は考えている。意識してなろうとしてもなれるものではない。
自分の心の深いところから欲求が湧き出してくるのを待つしかないだろう。

話は変わるが、最近、ホルヘ・アリサが2006年に来日したときのコンサートとアンドレス・セゴビアが1959年に来日したときのコンサートのライブ録音を聴いた。
随分前に買っておいたCDだが、数回聴いただけでしばらく聴いていなかったものだ。
このライブ録音を聴いて、「演奏会の本質とは何か」ということがおぼろげながら見えてきたように感じた(冒頭の④、⑤あたり)。
その感想については後日記事にしたい。









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バルタサール・ベニーテス演奏バージョンのバリオス「最後のトレモロ」の楽譜見つかる

2024-09-23 16:30:31 | ギター
バリオスの「最後のトレモロ」を初めて聴いたのが、ウルグアイ出身のギタリスト、バルタサール・ベニーテスの演奏であった。
1983年か1984年の頃だったと思う。
バルタサール・ベニーテスの最初のレコード、1977年の録音だと思うが、イグナシオ・フレタⅠ世で弾いたバリオスの3曲と、カルレバーロの組曲を収録したものから、バリオスの3曲のみをNHKFMラジオで放送されていたのを兄がカセットテープで録音し、それを聴かせてもらったのが最初だった。

とにかくこの演奏にものすごい衝撃を受けた。
「最後のトレモロ」のみならず、他の2曲「ワルツ第3番」と「ワルツ第4番」の演奏で、この録音を超えるものを聴いたことはない。
恐らくこれ以上の演奏は無いとまで思っているのである。これらの演奏を今までどれほど聴きこんだだろうか。
テクニック的にはベニーテスと同等の奏者はたくさんいるが、決定的な大きな違いはベニーテスの音楽、歌心というのだろうか、たぶん作者バリオスの心情そのものを表現したかに感じられるような、そういう感情的なものが心に深く刻まれる所にある。

今から5年くらい前に、Youtubeで「最後のトレモロ」のバルタサール・ベニーテス演奏バージョンなる動画が電子音、楽譜付きで投稿されているのを見つけた。
ベニーテスの演奏は一般に出回っている譜面と異なり、まず大きな違いはホ長調が終わってから冒頭のホ短調に戻って転調するという、繰り返しがあることと、音を部分的に省略したり変えている点にある。
省略といっても弾きやすくすることが目的ではなく、音楽的要求からである。

このベニーテス演奏バージョンの楽譜付き動画を見て、いつかそのバージョンで弾いてみようと思っていたのだが、しばらくするとその動画が無くなっていることに気が付いた。
動画をダウンロードしておけば良かったのが、機会を逃してしまった。

昨夜、ふと、この動画が再び投稿されていないか探してみたがやはり見つけることは出来なかった。
そこでもしかしてと思って、Agustin Barrios El último Canto Baltazar Benitez Version と打ち込んでネット検索してみたら、"mysongbook"という外国のサイトでこのベニーテス演奏バージョンによる「最後のトレモロ」のサンプル演奏(電子音)とサンプル楽譜が掲載されているのが見つかった。削除されたYoutubeの動画と同じものである。
一瞬心が躍り、ここでダウンロード出来るかもしれないという期待が膨らんだが、よく調べてみると全曲演奏と楽譜を得るには"Guitar Pro"というタブ譜編集ソフト(15,000円くらい)を購入して、このソフトを経由してダウンロードしなければならないことが分かった。しかもダウンロードするには1曲2ドルのお金がかかるという(他にサブスクリプションの選択もあり)。





(普通バージョンの「最後のトレモロ」もあった)

でもどうしても欲しかったので、Guitar Proの7日間無料体験版をダウンロードして、2ドル払ってこの楽譜を入手することにした。
Guitar Proの7日間無料体験版のダウンロードは難なく完了出来たが、mysongbookで2ドル払ってからGuitar Proでダウンロードしてもエラーになってしまう。
10回くらい繰り返したがいずれもエラー。
やられたか、と思ったがしばらく試行錯誤しているうちにやっと「最後のトレモロ」の楽譜が画面に現れてくれた。
ダウンロードが成功したのだ。







1度ダウンロード出来れば何度でも電子音での再生は可能とのこと。また楽譜は印刷メニューからPDFで保存することも出来た。
電子音での演奏は意外にベニーテスのレコードのオリジナルに近い出来だった。速度変化もよく反映されている。
しかし楽譜の方は、曲の最後の部分がベニーテスのオリジナルと異なり、一般に出回っているバージョンと同じだったのはややがっかり。
これ以外にも細かい箇所でベニーテスの演奏と違っていると思われる音も見つかった。

しかし楽譜に付された運指はなかなか研究されたものだ。
現在私が採用している運指よりも優れている運指を使っている箇所があったので、早速この運指に変更してみることにした。
あとはベニーテスが自宅で普段着で弾いている動画(これはレコードの演奏に比べかなり出来は悪い)での指使いを見て運指付けをしていけばより理想の運指が出来上がるかもしれない。
マンドリン合奏練習の合間の息抜きとして少しずつやっていくことにした。いつかこのバージョンで自分の録音のアップ出来るようになれればいいんだけど。

【追記】

タレガ編曲のこんな曲も見つかった。
(バッハ、アベ・マリア)



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表現したい音楽が先にあってその後に続くのが音作りと技巧だと感じさせる演奏例

2024-09-16 22:22:37 | ギター
ギターの巨匠、アンドレス・セゴビアやジュリアン・ブリーム、そしてセゴビアに「ギターで美しい音を出したいならホセ・ルイスに訊きなさい」と言わしめたスペイン音楽の名手、ホセ・ルイス・ゴンサレスの演奏を聴くと、彼らは、「まず、音楽をこのように表現したい(歌いたい)」という感情が初めにあって、それを実現すべく、音作りや技巧を手段に構築していくことを実践しているのだ、と考えさせられる録音があった。

グラナドス作曲 スペイン舞曲第5番アンダルーサ

ギター編曲演奏:ジュリアン・ブリーム 4:25~  ホセ・ルイス・ゴンサレス 8:47~

彼らはまず、「どう歌うか」が先なんですね。この曲を弾く前から「このように歌いたい、表現したい」というものが出来上がっているのだと思う。
次に行うのが、その望む歌を実現させるための音作りや技巧、しかしそれはあくまでも2の次、手段に過ぎないということなのだ。
楽器もたまたまギターであったに過ぎない、ということなのだ。

演奏にとって最も大事な物、それは演奏者がまずはこの曲を「どう、歌いたいのか」、「どう表現したいのか」、それを考えさせる演奏だと感じた。

以下、参考にさせていただいたYoutubeの動画を貼り付けさせていただきます。

スペインの音楽 ピアノ原曲とギター編曲版の聴き比べ① グラナドス:スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」


※ 近いうちに、ホセ・ルイス・ゴンサレスのことを記事にする予定です。
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定期演奏会を終えて

2024-09-16 20:41:43 | マンドリン合奏
記事にしようか迷いがあったが、やはり記録として残しておくことにしたい(だいぶ暗く堅い文面になってしまったがご容赦を)。

去る9月8日、東京マンドリンクラブの定期演奏会が終わった。
この団体に所属したのが2018年5月。マンドリン合奏を30数年ぶりに再会した年でもあった。
この団体を選んだのは何故? 多分、直感的にいい人が多いのでは、という感じがしたからだ。大規模演奏会の打ち上げで他の団体からも誘いがあったが、私はこの団体を選んだ。
以来この団体で、コロナ渦の2020年を除き6回目の定期演奏会に出演することが出来た。

今回の演奏会は今までに出演したどの演奏会にも増して練習に力を入れた。
実際、睡眠と仕事以外の殆ど全てといっていいほどの時間をマンドリン合奏の練習に費やしてきたと言っていいと思う。
しかし家での個人練習や合奏練習の時間は楽しく、苦痛とは無縁だった。

今回の曲目の中で他楽器が担当する一部のフレーズをギターに移して演奏するというチャレンジグな役割をいただいた。
今回の演奏会ではこの箇所の練習に最も力を入れてきた。このフレーズを1日最低50回以上、のべ1万回以上は練習したと思う。
演奏会前日のゲネプロも当日のリハーサルも上手くいった。しかし、本番で臨む結果を出せなかった。
このことが正直なところ、今回の演奏会を終えて達成感や喜びを感じることが出来なかった理由である。
他の部分は概ね上手くいったが、最もこだわりを持っていたものが実現出来なかったという悔しさと、期待に応えることが出来なかったという申し訳なさの気持ちでいっぱいであった。この1週間は落ち込みと後悔の念を持ちながら過ごすことになってしまった。

たしかに演奏会の回数を重ねるごとに本番は緊張しなくなってきていたのだが、soloやsoliでの難しいフレーズではまだまだ平常心で演奏出来ない、という課題が残ったということだ。
もちろんこの心理的な課題にも向き合い、対策も十分にしてきたのではあるが、結果としては及ばなかったということである。
しかし今、だからこそ、この難題を乗り越えたいという気持ちが以前にも増して出てきているのが救いなのだと思っている。

対策は本や動画などで仕入れた思考によるものでは及ばない、というのが実感だ。
いくら家で演奏して、仕入れた思考を使っていろいろ対策を考えたところで役にたたないということなのだ。
実践の中で解決策や対応方法が見えてくるものだと考える。
最もいい方法は、ステージ経験豊富なプロの方に指導を受けることだと思う。
そして、人前で演奏する機会を増やしていくことであろう。

今回の演奏会の打ち上げで、他パートの複数の方々から、うちの団体のギターパートの音ってすごく綺麗ですね、と言われて嬉しかった、
感謝に堪えない。
確かにこの団体のギターパートはレベルが高いと思っていたし、音の美しさは突出していると以前から感じていた。
ギターで最も重要なのは「音質」だと思っている。
2018年にマンドリン合奏を再開するまで迄10年間ほど、聴き手の立場で学生団体や社会人団体の演奏会を数多く聴いてきたが、やはりマンドリンオーケストラにおけるギターパートの演奏で最も魅力を感じたのは音の美しさである。
どんなにハイレベルな技巧を聴いても音が美しくなければ聴き手の心に残らないのである。
「あの曲でのギターの音、マンドリンには無い、すごく綺麗な音だったね」と観客の心にいつまでも残り続けるような演奏が求められるのである。
だから、これからいかに美しい音、いや、単に美しいだけではなく、人の心に喰い込んでいくような純粋な音、そして多彩な音を表現出来るようにしていくことを目標にしていきたい。
こう考えていると、やることは無限にあるな、と感じる。

今回の演奏会の振り返りはいつもと全然違う趣向となってしまったが、でもいい。
こういう体験も必要だということなのだ。だからこの体験は将来のプラスを生み出すものであると信じたい。
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