緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

藤掛廣幸作曲「星空のコンチェルト」を久しぶりに聴いた

2025-03-02 21:04:04 | マンドリン合奏
昨日は千葉マンドリンクラブの合奏練習だった。
今年の定期演奏会の曲目も全体的に難しいなと感じたが、その中で1曲、私にとってはとても印象に残っていた曲があった。

藤掛廣幸作曲「星空のコンチェルト」(1996年)

この曲を初めて聴いたのはいつだっただろう。
2000年を過ぎたあたりだろう。Windows95搭載の中古パソコンを買ってインターネットを初めて間もない頃だったと思う。
多分、この頃何故かマンドリンオーケストラ曲を聴きたくなって学生時代に演奏した藤掛廣幸さんの懐かしい曲がCDで売っていないか探していたのだと思う。
当時はまだYoutubeも無く、商業録音として市販されていたマンドリンオーケストラ曲のCDと言えば、フォンテックから出ていた鈴木静一作品集とどこかの団体による演奏で、アマディの海の組曲か東洋の印象第2組曲のどちらかが収録されたCDくらいしか販売されていなかった。

この時ネットで藤掛氏の事務所のホームページにたどり着くことが出来たのである。
そしてこのサイトから藤掛氏の曲の録音CDを購入出来ることを知り、何枚かのCDを注文したのだった。
このCDとの出会いはとても大きな影響をもたらしたと思う。



私の学生時代と言えば、定期演奏会のメイン曲は鈴木静一、藤掛廣幸、熊谷賢一の3氏の曲であった。
藤掛氏の曲は下記の曲を演奏した。

・マンドリンオーケストラのための「じょんがら」
・スタバートマーテル
・パストラルファンタジー
・グランドシャコンヌ

藤掛氏から購入したCDの中には「じょんがら」は入っていなかったが、それ以外の3曲は収録されていた。
とくに「スタバートマーテル」の演奏がすごかった。この曲を夜のしじまの中で何度聴いただろう。
藤掛廣幸の最高傑作であり、マンドリンオーケストラ曲屈指の名曲と言っても過言ではないと私は思っている。

「星空のコンチェルト」は1996年の作曲なので学生時代に演奏することはなかったが、購入したCDで初めて聴くことになった。
初めて聴いたとき、それは私がまだ30代後半の頃であったが、あまりにも美しい旋律に釘付けになった記憶がある。
そしてそれ以来この冒頭の部分を繰り返し繰り返し何度も再生して聴いたのだ。

なんとも言えない美しさだ。マンドリンのハーモニーが織りなす美しさの極致を聴くことが出来る。
しかしこれほど「悲しさ」と「美しさ」が渾然一体となった旋律を聴いたことは殆どない。
この旋律、これは私の勝手な想像なのであるが、藤掛氏が住み込みで新聞配達をしながら過ごした苦学生の時代にきっと感じていたに違いない感情が潜在的にあるのではないかと。1960年代後半から1970年代始め頃のあの時代に確かに感じられていたものが伝わってくるのである。

昨日の千葉マンドリンクラブの合奏練習でこの曲の冒頭の旋律を久しぶりに聴いたのだが、やはり心が揺さぶられるものがあった。
今日、家の書棚を探してみたら、恐らく10年以上前に買ったであろう、「星空のコンチェルト」のスコアとパート譜一式が出てきた。
多分この曲を弾いてみたくて買ったんだな。







この時、よく聴いていたのが下記Youtubeの演奏。人数は少ないけどても上手い。感情表現もハイレベルだと思う。

藤掛 廣幸 - 星空のコンチェルト


蛇足だけど、今日見つけた「星空のコンチェルト」のパート譜から冒頭の旋律の部分をギターで弾いてみた。


星空のコンチェルト」の冒頭の旋律をギターで弾く 2025年3月2日夜


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アラビア風奇想曲のある箇所の運指にいくつかのパターンがあることが分かった

2025-02-24 21:32:46 | ギター
今日は午後から東京マンドリンクラブギターパートのoさんとリコーダー&朗読とギターのアンサンブル練習をした。
ヤマハのシンクルームという無料のソフトを使っており、今日はその新バージョンでの初の練習をすることになったのだが、インターネットの回線の影響なのか原因不明の通信障害と思われる断続的な中断が何度も発生、結局その対応に追われ練習時間は30分ちょっとなってしまった。

ヤマハのシンクルームはアンサンブルやバンド練習での実績が豊富なようなので、回線が断続的に切れたり、音が頻繁にずれたり途切れたりするような使い物にならないようなソフトではないと思うのだが、それにしてもなかなか上手くいかないものだ。何が原因なのか調べて解決出来ないと多分このソフトでは使えない。

東京マンドリンクラブの他、大規模演奏会、千葉マンドリンクラブの練習もすでに始まり、いよいよ合奏のための練習で時間が費やされるようになってきた。
合奏練習で弾けないと苦痛だし、そうならないためにも個人練習はしっかりとやろうとはいつも思っているのだが。

昨年の東京マンドリンクラブの定期演奏会で演奏したある曲で難しい箇所があり、いざ本番でこれ絶対に失敗したなと思って落ち込んでいた箇所があったのだが、先日、録音を恐る恐る聴いてみたら意外にも破綻していなかった、ということがあった。
本番では頭がカーッとなって、演奏会が終わってからその時の状態もよく思い出せなかったのだが、指がなんとかついて行ってくれていたようなのだ。
この箇所は今までのマンドリン合奏の練習の中でも最も練習したところだったのだが、今思うと、本番が上手くいくかどうかは練習した回数に比例するというのはあながち的外れな見方ではないように思った。
やはり合奏が上手くいくかどうかは普段の個人練習にかかっているということのような気がする。

アンサンブル練習後に息抜きにタレガのアラビア風奇想曲を久しぶりに録音してみた。
アラビア風奇想曲の作曲者タレガ自身による運指が付けられたオリジナルの楽譜というものを見たことはないのだが、この曲は意外に編集者により異なる運指が付けられている箇所がいくつかあることに気付く。
そのうちの1つが下記の部分。左指の押さえが結構難しい箇所である。

手持ちの楽譜でいくつかのパターンを見つけた。

①縄田政次編(カルカッシギター教則本より)



この運指では、お茶の水のクロサワ楽器ドクターサウンドの店員さんが販売楽器の試奏動画で弾いておられる(5弦のミはハーモニックスでなかったかも)。

②編者不明(「学生のためのギター名曲アルバム」東京音楽書院)



5弦のミ音をハーモニックスで取る。これでだいぶ楽になるが、最後の音の4指が次の小節の出だしの音の4指と連続になるために、音途切れ、テンポの遅れのリスク有り。

③兼古隆雄編(ギタルラ社ピース)





5弦のミ音は実音。それ以外は②と同じだが、次の小節の出だしの音の運指は4ではなく3指となっている。これにより音途切れ、テンポの遅れのリスクを回避させているのだと思われる。ただ3指から4指に指を変えているのでそれが難点。

④石月一匡編(全音ギターピース)



写真の手書きの運指ではなく印刷された運指。最初からずっと長い間この運指で弾いてきた。これはかなり指の拡張が強いられる。
最後の拍の速度が落ちがちなのも難点だ。

5弦のミ音はオリジナルでは恐らく実音だと思う。ただ実音だとかなり指の拡張が強いられるのでハーモニックスにしたのであろう。
ただこの音をハーモニックスにすると、ハーモニックス音が妙に浮き出て聴こえてしまうので違和感を感じる人もいるかもしれない。
実音がベストと思う。

ただ、年齢とともに硬くなってきた左指に負担をかけない運指の選択もこれからは必要だ。
それで考えたのが下記の手書きの運指



これだとかなり弾きやすい。これからはこの運指でいくつもりだ。

上記運指で録音したアラビア風奇想曲 2025年2月24日(月)夕方
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マリオ・パロディ演奏「月の光」(ギター編曲版)を聴く

2025-02-22 23:24:07 | ギター
今日は千葉マンドリンクラブの今年の定期演奏会に向けての合奏練習に初めて参加。
休み時間、昨年12月の部内演奏会で2重奏を演奏した相方の方から、ドビュッシーの「月の光」の2重奏をやってみましょうかという話があった。
「月の光」 これは私も好きな曲の1つだ。

オリジナルはピアノ曲であるが、ずいぶんといろいろな奏者の演奏を聴いた。
今まで聴いた演奏の中で最も素晴らしいと感じたのは、ヴァレリー・アファナシエフが1991年のモスクワでの演奏会のアンコールで弾いたライブ録音。

「月の光」のギター編曲による独奏や2重奏は殆ど聴いたことはなかったが、Youtubeでは結構な再生回数を誇るような演奏を始め多数投稿されている。
「月の光」のギター編曲の存在を初めて知ったのは高校時代。今から45年前であるが、兄が今は無き好楽社へ取り寄せた楽譜で、確かアルゼンチンのリコルディ社が出版したMario Parodiという人による編曲だったと記憶している。
この楽譜は実家に置いてあると思うが、ペラペラの粗末な紙質の楽譜だった。
多分この当時は「月の光」のギター編曲版というとこの楽譜しかなかったのではないか。

1年ほど前にたまたまYoutubeを見ていたら、偶然、このMario Parodi (1917-1970)という人が実際に演奏した「月の光」の投稿(1966年録音)があったので驚いた。
Mario Parodi氏はギタリストだった。
聴いてみるとなかなかの実力の持ち主であることが分かった。味のある演奏。独特のギターの音。これはかなりハイレベルの演奏だ。編曲も凄いけど。
是非聴いて欲しい。

Mario Parodi plays Debussy: Clair de lune, from Suite bergamasque, on the guitar (1966)


冒頭で述べたヴァレリー・アファナシエフの録音も貼り付けさせていただく。
ただし音が悪く投稿されている。CDの音はこんなものではない。

Valery Afanassiev plays Debussy Clair de lune - live


月の光の2重奏。いいですね。相方とは時間を作って是非合わせてみたいものだ。

【追記】
パロディの演奏でリストの「愛の夢」があったので貼り付けさせていただく。
音の作り方が凄いですね。こんな音出せるギタリストは現代ではいないと思う。

Mario Parodi plays Liszt: Liebestraum No. 3, S. 541 on the guitar (1966)
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合奏練習7つ道具入れ買った

2025-02-21 21:46:27 | マンドリン合奏
マンドリン合奏練習に使う7つ道具を収納するのにちょうどいいケースをアマゾンで見つけて買った。
いわゆる筆入れとかペンケースというやつ。

これは多分便利に使えると思う。







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【引当金】考察ノート(9)

2025-02-21 21:37:38 | 学問
引当金という用語が日本で使われ始めたのが昭和の初め頃だと言われているが、この引当金の解釈や定義付けが明確にされなかったことにより、日本の制度会計においてはかなり長い間、混乱が続いたようだ。
今回、商法と会計学との間で引当金に対してどのような解釈の相違があったのかを見ていきたいと思う。

とにかくこの分野は論者、識者により述べられている論点がさまざまなので文献を読んでいてもなかなか頭の中が整理されてこない。そこでまずは沼田嘉穂著「会社財務諸表論」(昭和47年、1972年、白桃書房)に絞り、これを土台として考察を進めてみようと思う。

まずこの本が企業会計原則の昭和49年修正前に出版されたものであることを前提としておきたい。
昭和初期からこの本が書かれた昭和47年までの間で、実務上、引当金として使用された取引を整理すると下記のようになる。

(1)資産の控除的評価勘定(減価償却引当金)
(2)特殊債務
 (a)条件付債務(退職給付引当金、賞与引当金)
 (b)金額不確定債務(納税引当金)
(3)将来の損失の当期の負担分の計上に対する相手勘定(貸倒引当金ーこれについては商法は控除的評価勘定であるとみているー、修繕引当金、保証販売引当金、景品販売引当金、自家保険引当金)

(1)の引当金は引当金なる用語の発生の根源となったものだと言われている。しかし「減価償却引当金」は引当金ではないとして、昭和57年の企業会計原則の修正で引当金の範疇から外され、減価償却累計額という用語に改められた。
沼田氏はこの文献を出版した昭和47年当時において既に、減価償却引当金は引当金に該当しないとして減価償却累計額という用語を使用している。

(2)は債務であるが一般の債務とは異なる性質をもつがために引当金という名称を用いてきたとのことである。会計学上、この引当金は「負債性引当金」と呼ばれていた。

(3)は期間計算を前提とした収益・費用対応の原則からきたものであり、貸倒引当金や修繕引当金が代表例として挙げられている。
(3)は原因面からさらに下記の2つに分類される。

(a)当期の負担すべき費用が当期に発生せず、次期以降に繰り延べられた場合
(b)当期の取引によって次期以降に費用が発生する原因が蒔かれたため、これを当期の取引に負担させておくことが正しい場合
修繕引当金は(a)に、貸倒引当金は(b)に該当する。

そして沼田氏は引当金の概念構成が混乱した原因として、会計学上、引当金が(1)控除的評価勘定、(2)特殊債務、(3)将来の損失の当期負担額といういろいろの内容に乱雑に使用されたことを挙げている。
沼田氏は会計学上、本来の引当金は上記(3)に限定すべきであったとしている。しかしその概念構成が定まらなかったうちに、昭和37年に商法が引当金の独自の規定を条文に設けたため、昭和56年の商法改正までの間、より一層引当金をめぐる混乱が拡大することになる。

商法が昭和37年に引当金の規定を設けた経緯を考えてみたい。
沼田氏の前掲書によると下記のことのようだ。
商法の債権者保護の立場からすると、負債の計算は外部者に対する債務を明らかにすることにあり、期間損益計算の正確性を確保するための費用の繰延等の取引は負債として認めえないということになる。しかし、正しい損益計算を行うためには引当金を計上することが会計理論や実務において既に一般化されており、これを無視できなくなったことが商法において引当金の項目を追加した経緯のようである。

商法の条文は下記のとおり。

第287条の2 特定の支出又は損失に備ふる為に引当金を貸借対照表の負債の部に計上するときは其の目的貸借対照表に於いて明らかにすることを要す
2 前項の引当金を其の目的外に使用するときは其の理由を損益計算書に記載することを要す

また昭和38年制定当初の「計算書類規則」において、「引当金は引当金の部に記載しなければならない」(第32条)と規定した。
ただ沼田氏は「商法は会計理論を採り入れ、引当金の計上を許容したが、それは負債ではないとみている」という見解を述べている。

上述の(2)の特殊債務(条件付債務や金額不確定債務)は引当金ではなく負債であり財務諸表上は負債として示さなければならない、すなわち、引当金が負債に混入することを許さず負債から厳格に区別した項目で表示することを条件とし、たとえ「引当金」という名称の付くものであっても「引当金の部」に示すことは許されず負債の部に記載することを求める。そのため退職給付引当金、賞与引当金は引当金ではなく負債ということになる。

時代の変遷からすると商法が引当金を認めた背景として以下の流れが考えられる。
会計目標が財産計算にあるとした静態論から期間損益計算による動態論にもとづくアプローチに変遷するに伴い、法律上の債務以外の「貸方項目」を計上する必要に迫られた。
当初は決算整理における費用の見越し、収益の繰延といった確定された費用、収益の経過計算の計上であったと考えられるが、「引当金」のように「当期の取引の結果、次期以降で発生することを予想可能な損失を当期で計上するとともに、次期以降で発生する損失を相殺する準備をする」という考え方を前提とした取引での会計処理が実務上行われるようになった。上記でいう「損失を相殺する準備をする」科目が「引当金」であり、貸借対照表の貸方項目となるが、商法はこれを条文で明記したが、財務諸表上の区分として「負債」として認めていない、ということになるだろう。

沼田氏は企業会計原則が引当金についての概念規定をしない中で、商法が先に概念規定を設けたことを評価しながらも、以下の点で問題があることを指摘している。

1つは、貸倒引当金を控除的評価勘定としたことである。
すなわち減価償却累計額(昭和57年の企業会計原則修正までは減価償却引当金とされていた)勘定と同一のものとみなしたことである。貸倒引当金が減価償却累計額と異なる理論的根拠として沼田氏は次のように述べる。
「固定資産の経済価値の消耗は、耐用年数計算という特殊な方法が採られ、その計算の基礎に推定または確率の要素があるとはいえ、それは費用計算方法についてであり、費用の発生についての認識の問題ではない。減価償却費は製品の製造についての原材料等の消耗と全く同じく、固定資産の経済価値の消耗額の計上であり、すでに発生した損失の計上であって、将来発生すべき損失の計上ではない。」
「商法が負債をもって外部者に対する債務であるとする限り、このような考え方から抜け切れないことは明白な事実である。」

「評価性引当金」という呼び方があるが、昭和57年の企業会計原則修正の前までは「貸倒引当金」と「減価償却引当金(現在の減価償却累計額)」の2つがこれに該当すると言われていた。(ちなみに昭和37年から昭和56年の商法改正までの間に、これらの2つの引当金の分類に加え「特定引当金」という分類の引当金が財務諸表等で見られるようになった。)昭和57年の企業会計原則修正で「評価性引当金」とか「負債性引当金」というような分類が無くなり「引当金」に一本化された際にこの「減価償却引当金」は引当金の範疇から外された。しかし現在においても「減価償却引当金」を引当金と解釈する論者もいる。

考えてみれば減価償却というのは既に、購入であれば購入金額の支払い額、内製であれば材料消費(支払い)額及び設計・製造・検査工賃(労務費経費)+間接部門費などの原価計算で取得原価が確定しているものである。
確定した取得原価をその取得した年度のみに負担させることが期間損益計算の観点から不適当であるから定められた方法で耐用年数に渡って費用化していくのである。
その費用化の手続きが見積計算または推定計算とはいっても総額は過去の実績値である。確定した実績値を将来の期間に配分していく性質のものである。貸倒引当金のように未だ確定していない事象をその発生の確度が高いあるいは過去の経験率で一定レベルの実績があるなどの理由で当期の損失として計上するものとは本質的に異なるものだと考えられる。
まだ完全に確定していないのだから、売上債権などから直接控除して示すことは不適切ではないか思う。リスク要素として脚注などで注記するのが利害関係者の判断を誤らせないためにも必要な手段だと思う。

次回は昭和56年の商法改正の背景と昭和57年の企業会計原則の修正の経緯について整理したいと思う。
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