世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

2014年06月25日 21時40分21秒 | Weblog
昨晩も4時まで眠れなかった。手足の火照りと動悸が激しく、「もう寝なくてもいいや」と蛍光灯を点けて本を3行読んだところで寝落ちした。
したがって、今朝はなかなか起きられなくて困った。「これで起きられなければアウトだから」という時間に鳴るようセットされた3つ目の時計で起きた。慌てていたら、台所にある出しっぱなしの器を割ってしまった。舌打ちしながら、破片を片付けていたので時間がなくなってしまい、朝食(バナナ)にありつけなかった。空腹では辛かろうと、駅でリポビタンを購入。一気に飲み干し、電車に飛び乗った。半年振りに飲んだリポビタンの作用は強烈だった。午前中、いつもの3倍ぐらいの速さで仕事が捌けた。ドーピング状態である。


昼休み、急に雨が降り出した。でもいつもの雨とは違い、雨音のなかに硬さを感じた。「雹じゃん!」と誰かが言い、喫煙所の窓を打ち付ける雹にみんなで騒然とした。肉眼でも分かるような白い粒が、薄墨のような空から降ってくる。一粒一粒が明らかに雪とは違って、まるで意思を持っているかのような力強さを秘めていた。屋根に当たるたびに硬くてポップな音がするので、みんなで興奮しながら窓の外を眺めていた。
「すごーい」
「美味しそう」
「イチゴ味のシロップ、欲しいですね」
と、のんびりした会話を展開。


雹を見ながら、私は小学校3,4年生の頃を思い出していた。
国語の時間、雹が出てくる作品が教科書に載っていたのである。


「春先のひょう」(杉みき子)
双子の男の子が学校からの帰りに雹に降られる。帰宅した後、看護婦だった母親の雹にまつわる思い出話を聞かされる。
看護婦時代、ずっと熱の下がらないお爺さんの患者さんがいて、彼を冷やしてあげたかったが、戦時中のことで氷を用意できなかった。ある日、雹が降ってきたので、これを集めて冷やしてあげようと思った母親は急いで雹を拾う。拾っていた場所は別の入院患者が世話していたきゅうり畑で、拾うことに夢中だった母親は畑を踏み荒らしてしまう。きゅうり畑を管理していた男性患者にそのことを咎められる。
双子は母親を叱った患者は今どうしているかを聞く。
母親は「二人の元気な男の子のお父さんになっている」と言う。
一人が「それでお父さんもお母さんもきゅうりが大好きなんだね」と言うが、もう一人は意味がわからずキョトンとしている、という話だ。

挿絵が素描っぽくて、きゅうり畑を管理していた患者さん(寝巻き姿)が仁王立ちで、看護婦を睨み付けているシーンを鮮明に覚えている。子供心に、ただ事ではないことを感じた。怖かった。胸がドキドキして名札が小さく小刻みに震えた。

物語を音読し終え、担任だった女性教諭が「このきゅうり畑の患者さんは双子の子の父親だって、みんな分かったよね?」と言ったが、殆どの生徒は「分からなかった」と答えた。児童のその反応を見たときの先生の、深い悲しみをたたえた顔を今でも克明に覚えている。先生の曇った表情は、教室を通夜のような重いものにした。ちなみに私も分からなかった派だった。作中のもう一人の男の子と同様にキョトンとしていた。そして、自分の理解力のなさが人を悲しませることがあるのだと、はじめて知った。

雹が降ると必ず思い出す、当時の私には難解だった物語とあのときの教室の気まずい空気。
雹が降るときは必ずあたりが仄暗くなる。当時のあの記憶を手繰り寄せるたびに、私の心も厚い雲に覆われるのである。

このことを喫煙所の仲間に言おうと思ったが、時計の針は昼休みの終焉を告げようとしていた。
慌てて煙草の火をもみ消し、それぞれの部署に帰るべく、紫煙と雹が屋根を打ち付ける音が充満する喫煙所をあとにした。



明日は、株主総会の会場設営&リハーサル。
何としても寝なければ体力が持たない。
眠れますように。

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