やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

夏前の…

2007-06-15 | やまがた抄





端境期の観光地のテニスコートは、人の姿もなく、
山の雨と、蝉しぐれに、ただ晒されてゐるばかりです。

近々、ここのコートでやらうか、と若い友人達と話してゐますが、
ホテル所有のコートですので、コート代が今時べら棒に高い!
やはり、暑さを我慢して、平地のコート…か。

能『隅田川』

2007-06-14 | 雑記

DVDで、能の『隅田川』を観る。

中学生の頃でしたか、東京の能楽堂で観た覚えがありますが、
多聞にもれず、そのときは、ほとんど寝てゐた記憶だけがあります。
(それにしても、遙かに昔のこと、です)

けれど、40年近くのち、久しぶりに観た『隅田川』は、90分に及ぶ”狂女”の悲劇にまったくの圧倒的なインプレッションを覚えました。

人間国宝だったといふシテの姿、動きが素晴しく、
録画当時は70歳を越えてゐたといふことでしたが、その唐突した足運びが、
わが子をさらはれて、遠く、東国の果ての川にまで迷ひこんだ姿に見事に投影されてゐるやうでした。

また、念仏がながれるなかに、失ったわが子の声が幻想のやうにわずかにながれるところは、
まるで、バッハの『マタイ受難曲』の冒頭、引きずるやうな合唱の果てに、少年達のコラールが聞こへてくるところに似て、あらためて壮絶な美しさに目をみはりました。

いまさらながら考へるに、
本当に、能といふ芸術は、まったくに抽象的な芸術で、簡素な舞台、唯一幾つか許された道具立てで、その演目の本質だけを見せる。
いち時期、ワグナーの楽劇が、きはめて抽象的な舞台になったのも、あるひは、能の影響が色濃いのかもしれません。
(ちなみに、J・P・ポミエの演出は好きでした!)

隅田川のあらすじと舞台を見せたサイトがありました。
こちらです。


はや、巣立ち…

2007-06-12 | 大岡山界隈



人間様が、バタバタとしてゐるうちに、
駐車小屋のツバメ達は、はや、巣立ちの季節を迎へてゐたやうです。

イチゴ摘みに行った家人が、今日、一羽巣立ったやうだ、と話してゐました。
五羽ほどゐるらしいその巣から、やがて、次々と巣立ち、
そのうちの一羽が、また思ひ出して再来してくれることを願ふばかりです。

オープンガーデン

2007-06-10 | やまがた抄

時間が空いたので、蔵王のペンション村のオープンガーデンへ行ってきました。

小生の勘違ひで、春の部のオープンガーデンは先週で終はってゐたのですが、
同じ勘違ひの方もそれなりに来られてゐて、まだ庭先を覗けるペンションも幾つかあって、しばし、天上の庭でひと休み、でした。

今年は、例年よりも花の時期が送れてゐたやうで、このイヴェントのシンボルフラワーになりつつあるクレマティスもいたるところでまだ見頃で、それだけでも嬉しい数時間でした。

































緑と時間…

2007-06-09 | やまがた抄

シーズンオフに近い蔵王では、
日に日に深まりを増す緑とあり余る時間だけが支配してゐます。

”何足さない、何も引かない”といふ酒のCMがありましたが、
さうすることが、一番の贅沢のやうな季節です。






















2007-06-07 | 大岡山界隈



今年初めての、我が家の畑の苺。

期待はなかったのですが、意外にも、美味!

程々の甘さと、程々の酸味が混在し、
周りも果肉も少し固めですが、最近の果実や果物の、過当な糖度競争に閉口してゐる小生には、充分なものでした。

勿論、肉体が疲労困憊してゐる時の”甘味”は得がたいものですが、
日常的には、取り過ぎの感があり、
むしろ、山菜のやうに、苦味やえぐみが身体には必要、とどなたかが説いてゐましたがー。



芍薬

2007-06-06 | 大岡山界隈



梅雨を迎へるやうに、我が家の芍薬が花を開き始めました。

陽も落ちた夕暮れの明るさの中、
沙羅の樹の下で、かすかな桃色を染めてゐます。

梅雨の前触れのやうな、篠突く雨が彼等(彼女等?)に容赦なく注いでゐました。