やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

その死の

2012-07-24 | 雑記


NHKの”クローズアップ現代”で、吉田秀和さんを取り上げてゐました。
この、毎日無数にわたる現代のテーマをタイムリーに取り上げる番組は、退化の一途をたどるNHKの中でも良心のひとつでせうが、いち音楽評論家の死をとりあげるのもきはめて珍しいです。

それほど彼の死は、ある意味日本の思想界の大きな損失なのだと思ひます。

丁度彼の死の一週間ほど前、日曜日の朝、通勤時に運転しながら番組を聴いてゐました。
勿論録音だったでせうが、いつものやうに最後に云ふ”じゃあ、また!”といふ挨拶に、ウム? 声に元気がないなー、と思ってゐました。

最愛の奥さんを亡くし、追ひ討ちをかけるやうな東日本大震災と原発事故ー。
確か朝日新聞にも書いてゐましたが、とても大きく絶望し、なにもする気持ちが起きないとー。

特に、件の番組で力説されてゐたのが、ホロヴィッツ事件やグールド事件のやうに、自らの感性(のみ)で音楽を聴き、自らの言葉で考へ、そして思考を組み立てていった吉田氏が、特に原発事故そのものや対処の不甲斐無さに対して、”いつまでも、日本人は、何も学んでゐない、そして、同じことを連綿と繰り返してゐる”といふ彼一流の絶望感だった、といふことです。

勿論、絶望だけでは何も先には進みませんが、まう100歳に近い彼の気力は、残念ながら、折れてしまったのかもしれません。

番組のなかで、彼の、あの吉田秀和さんのリスニング・ルームが一瞬映ってゐました。
とても、驚きました。
8帖ほどの和室の一角に、とても貧楚なオーディオ・セット、でした。
以前から、”僕は(彼は、いつも自分のことを、さう云ひます。あの、河竹黙阿弥も、さうでした!)オーディオにはほとんど興味がないのでー”と云ってゐましたが、それでもー、と思ふくらゐシンプルなものでした。

そのセットで彼は、間違ひなく、音響ではなく、音楽の力を聴いてゐたのだと思ふと、とても感動しました。



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