『マグダラのマリア』岡田温司著/中公新書、を読む。
中世の時代、「悔恨」「同情」「悲嘆」「愛」の模範として(本書による)、ある意味、時の教会の男達によって、都合のいいやうに形づくられたマグダラのマリアの虚構の姿を、沢山の絵画をひもときながら浮かび上がらせてゐる。
そのやり方には、ほとほと呆れかへるほどですが、基本の構図は、かのジャンヌ・ダルクが嬲り、抹殺されたあとに聖女に変換されたものと似てゐます。
中世の王の夫人が、マグダラ信仰が深まるにつれて、自画像を描かせ、それにマグダラのマリアと名付けた絵などは、本当に哂ってしまひます。
そんな中で、本書の冒頭、カラヴァッジョの2枚のマグダラのマリアの絵から話は始まるのですが、そのカラヴァッジョの絵が凄まじい。
《悔悛のマグダラ》とされた1606年頃とされるそれは、まるで娼婦が、絶望と恍惚のはざまで神の助けを請ふてゐるやうで、早速、カラヴァッジョの作品集でみたのですが、見るものの心を揺さぶります。これ一枚で、カラヴァッジョの凄さが解ります。
十年ほど前に描かれたといふ同名の作品が、
http://www1.kcn.ne.jp/~aida/baroque_folder/caravaggio.html で見られます。
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