やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

ケンペ盤が

2011-07-06 | 音楽を




お茶の器を出してゐたら、何故か、箱の奥からケンペ/ミュンフェン・フィルのベートーヴェンの7番、8番のCDがポロリと出てきた。
全集のなかの一枚で、以前からどこを探しても出てこずに、記憶もほとんど失念し、諦めて買ふかと思ってゐた矢先でした。

ここ暫く、CDや動画で7番を聴いてゐても、どれもいまひとつで、皆同じやうな演奏ですこしも面白くはなかった。
唯一、youtubeでオット・クレンペラーがその最晩年の姿を見せる、おそらく連続全曲演奏会の模様なのかしらん、フィルハモニア管との、痩せて老ひさらばへたクレンペラーが指揮の途中から”神”となってゆく壮絶な演奏には、眼からウロコが100枚ほど落ちましたがー。

そして、7、8年ぶりに聴けたケンペのベト7は、こんなにも見事で、正攻法で、重厚で、安心して聴ける演奏だったかしらん? と改めて驚きました。
きっと、石の歩道を歩くやうな第一楽章の素晴らしい出だしで音楽が始まり、急転、あの”のだめ”のオープニングにもなったテーマの、なんと生き生きとしたリズム!
終楽章も、急き切らない、けれど激しい音の九十九折!

以前、”ケンペ/ミュンフェン・フィルのベートーヴェン交響曲全集を認めることは、まさに、生きてゆく価値観を大きく変へることだ”と豪語した音楽評論家の方がをられましたが、なるほど、ケンペのベートーヴェンやブラームスにはそんな部分があります。
以前、強くケンペの演奏を推してゐた故・大木正興氏も、カラヤンの軟なブラームス演奏では、生きてゆく糧にはならない。ケンペの、一見素っ気ないが、きっと積年の時間に耐へる演奏をこそー、と論じてゐたのが懐かしく思ひだされます。

とまれ、こんな見事な演奏を聴いてしまふと、やはり、60代半ばで死したこの名指揮者の、早すぎる死が如何にも惜しまれる。

※同じ箱から昔の写真が幾つも出てきました。
 2度ほど登った八ヶ岳の朝焼け、です。