ずっと以前からいちどー、と思ってゐましたが、観音参りと一緒に見ることができました。
以前は荒れ放題の場所でしたが、折りしも”天地人”の影響かすっかり整備がなされ、駐車場も満杯でした。
関が原合戦のひとつの引き金になった、家康の上杉討伐での、最上軍と上杉軍の戦場となった場所です。
当時の山城の様子がよく遺されてゐて、とても面白い場所です。
きつい坂を上り詰めると左程広くもない館跡があり、山形市内が一望できます。
水田をはさんで小高い丘があり、その場所に最上を討ちにきた直江兼続率いる二万の上杉軍が陣をとり、最上の支城だった長谷堂城で対峙したといふ。
その軍のなかには、バサラ武将前田慶次郎もゐたといふ。
頂きからその丘を眺めてゐると、軍旗のたなびきが見へるやうでした。
以前は荒れ放題の場所でしたが、折りしも”天地人”の影響かすっかり整備がなされ、駐車場も満杯でした。
関が原合戦のひとつの引き金になった、家康の上杉討伐での、最上軍と上杉軍の戦場となった場所です。
当時の山城の様子がよく遺されてゐて、とても面白い場所です。
きつい坂を上り詰めると左程広くもない館跡があり、山形市内が一望できます。
水田をはさんで小高い丘があり、その場所に最上を討ちにきた直江兼続率いる二万の上杉軍が陣をとり、最上の支城だった長谷堂城で対峙したといふ。
その軍のなかには、バサラ武将前田慶次郎もゐたといふ。
頂きからその丘を眺めてゐると、軍旗のたなびきが見へるやうでした。