Garnetの部屋

たそがれGarnet の 独り言
(つれづれ日記より)

読書(生き仏になった落ちこぼれ)

2015年02月26日 | 読書


高倉健さんの「南極のペンギン」に酒井阿闍梨さんのことが
書かれていて、読んでみたい衝動に駆られ、本屋さんに行きましたが
絶版、やむなく吉祥寺の図書館でお蔵入りしていたのを借りることが
出来た。(そんなに古い本なんですねぇ~)

酒井雄哉(さかいゆうだい大阿闍梨)
今、生きていられたら90才。昭和元年生まれだから多分、、です。残念ながら、2013年心不全で87才で亡くなられている。 因みに昨年2014年83才で亡くなられた 高倉健さんの座右の銘
「行く道は精進にして忍びて終わり悔いなし」は酒井大阿闍梨から送られたものだそうです。
世代的にはほぼ同時期を生きられたことがうかがえます。






多分この穏やかな顔は2千日回峰の後のお写真でしょう。ほんとに徳を積まれた 生き仏 そのものですね。なぜ「落ちこぼれ」だったのか?それが知りたくて、、。終戦が1945年、その時酒井は19才、その後生きるために闇市、ラーメン屋、闇ブローカー(この時期妻が結婚数か月で自殺)「悪魔の飽食」で知られる第731部隊の生体実験(雑用係として関わっていた)予科練の生き残り。
1951年マッカサー帰国、1957年東京タワー、58年集団就職、1960年安保闘争、1964年東京オリンピック、1969年三島由紀夫自殺。   この時期を相前後して酒井は39才で出家する。

「自分の負の原体験を見つめ、亡くなったすべてのものを弔う気持ちもあったがそれらを乗り越えて、これからの自分の新しい生き方を模索するために 比叡山 に入った」と言っている。

最澄(比叡山)の法燈を受け継ぐ小僧から始まり、「行」に命を懸けていく。死ぬか生きるかの千日回峰と最後の「堂入り」を含めて二度の回峰行(二千日回峰)を高齢にもかかわらず奇跡的に果たしたのである。

因みに空海(高野山)

** 千日回峰  仏教の中でも最も厳しいとされる修業

本の返済期日が迫っていて繰り返しては読めなかったのですが、1988年初版。
作者 長尾三郎 1938年生まれ。
コメント (2)
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