rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

戦後秩序維持と反戦平和はイコールではない

2016-01-06 20:33:19 | 歴史

安倍政権が始まって、中韓の反日姿勢に対して強行な態度で接するようになり、また憲法9条改正や集団的自衛権といった戦後聖域とされてきた問題を何の躊躇もせずに変えて行こうという姿勢に対して国内だけでなく海外からも「歴史修正主義」「戦後秩序に対する挑戦」といった評価がなされています。日本において左派と言われる集団やメディアからも戦後秩序を破壊し、歴史認識の修正を計ろうとしている危険な姿勢と言う批判がなされています。

 

前回のブログにおいて現在日本における左翼と右翼の定義がデタラメになっていることを指摘しましたが、私はこの「戦後秩序」という言葉も極めて曖昧な定義の下に使われている感じがします。

 

諸外国における「戦後秩序」の定義は「第二次大戦前のドイツと日本をファシズム国家で連合国(united nations)の敵とみなし、この二国の国民は虐殺してでも国家体制が滅びるまで(無条件降伏)戦い、戦勝国(国連常任理事国)がその後の世界をコントロールしてゆく」事を是とする秩序の事を言います。現在の中共は当時の戦勝国である中華民国とは異なりますが、昨年秋に行われた戦勝70周年における習近平首席の演説からも「戦後秩序」をこの定義の下に語っていることが明らかです。2003年にブッシュ大統領がイラクに攻め入る時にも「悪の枢軸(axis of evil)」という戦後秩序の定義を意識した言葉を用いて徹底的にイラクを攻撃することの正当性を強調しました。安倍総理が昨年米国議会で演説を行った際にも、第二次大戦における日本の行いを悪とし、それを深く反省した上で「米国を中心とした秩序への挑戦」に日本も全力で立ち向かうことを高らかに謳い上げることで歴史修正主義者、戦後秩序を壊す者、という米国の懸念を払拭し万雷の拍手を受けることになりました。

 

もうお気づきのように「戦後秩序の維持」と「反戦平和」はイコールではありません。戦前の日独と戦った連合国に戦後日本も加わったからには、その連合国が新たに戦争をする時には戦勝国が世界を支配することを助けるために日本もその戦争に付き合う、できれば先頭に立って戦うことが「戦後秩序の維持」として評価されます。日本は60年から80年にかけて特に当時の左翼勢力が旺盛であった時代に反戦平和と日本の戦前を全て悪とみなす極東裁判史観が同一の物とされていたために、未だに戦後秩序の維持と反戦平和が同一であると錯覚している人達が沢山います。安倍政権はその錯覚をうまく利用して自分達のやりたい事(米国の一部勢力から強要されていること)を進めようとしているのです。

 

昭和20年、日本が敗戦を迎えた時、焼け野原になった日本の姿を見て、国民(私の父母以上の年代の人達)は「もう戦争はこりごりだ、二度と戦争はするまい」と心から誓ったのだと思います。日本における反戦平和の原点はこの思いにあります。戦前の明治憲法下の体制が悪かったとか、軍部の独走が悪かったとかは後付けで占領軍に教え込まれたことを素直にその通りだと受け入れたに過ぎません。もし明治憲法のまま戦後世界が築かれたらそれはそれで日本の国民もその状態を受け入れていたことでしょう。ただ「もう戦争はやりたくないね。」という素朴な思いは多くの国民が抱いたことは間違いないと思いますし、日本軍が形として残ったとしても連合軍に加わったかどうか疑問です。今「戦後秩序の維持のため、連合国の先頭に立って戦争に向かいます」と話す安倍総理に欧米諸国から歓迎の意を表されて、その方向で法整備がなされようとしていることに「一寸待て、誰か(外国の人)止めてくれ」と慌てている日本人が多いのではないでしょうか。

 

私は第二次大戦を含めて、「敵対する相手を戦争で無差別に虐殺してでも自分達の思い通りになる世界秩序を作る」という概念自体が誤りである、と考えます。相手が無条件降伏するまで原爆を投下し、無差別爆撃で市民を虐殺して戦勝国になった米英ソこそ最も戦争のやり方を反省するべき国々だと考えます。米英ソ(ロ)の国々(今は中共も含む)が自らを反省しない限り中東の平和も来ませんし、中ロと米欧の対立(無理矢理対立させている感が高いですが)もなくならないでしょう。その意味での歴史認識は修正されるべきであるし、戦後秩序は破壊されるべきだと私は考えます。そうでないと日本はまた連合国の一員として戦争に参加させられてしまいます。戦争で世界の人達が幸福になることはありません。日本が再び戦争をするとすれば、それは直接自国の領土、国民が侵略、殺戮された時だけです。

 

戦後培った平和主義を貫くためにこそ、歴史修正主義はいけない、戦後秩序は絶対に守らねばならない、と何も考えずお題目のように唱える愚は避けるべきです。保守と革新の定義、右翼左翼の定義、戦後秩序と平和主義、既知の事実の如く使われているこれらのことばを再度確認し、日本がこれから向かうべき方向を考えて行かねばならないと、サウジとイランが国交断絶し、北朝鮮が水爆実験に成功したと大騒ぎしている2016年の年頭にあたり痛感しました。

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